上境賢己(かみさかい・まさみ)|第32期・航空自衛隊

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上境賢己は昭和40年4月11日生まれ、福岡県出身の航空自衛官。

防衛大学校第32期の卒業で幹候78期、出身職種は航空機整備だ。

 

平成27年12月(2015年12月) 第1術科学校長・空将補

前職は航空幕僚監部援護業務課長であった。

 

2018年4月現在、第1術科学校長を務める上境だ。

航空自衛隊の第1術科学校は、戦闘機や練習機、ヘリコプターといった航空自衛隊の航空機に関し、そのエンジン、搭載レーダー、通信機、誘導武器といった機械・機材類の整備と維持に必要な術科を教える学校である。

航空機整備出身の上境にとっては、出身職種の幹部が着任する最上位の補職に昇り詰めたと言って良いだろう。

なおかつまだ32期であり、退役を意識するような年齢ではないことから、次のポストでは職種横断的な、全軍を俯瞰する能力が求められる補職になると思われる。

 

F-4戦闘機を未だに現役たらしめるなど、我が国の航空機整備技術とそのスタッフの能力の高さは、凄いと言うよりももはや異様なレベルだ。

しかしこのようなスタッフが居るからこそ、限られた防衛予算の中で、我が国はかろうじて、安全保障に関する最低限の実力を維持することができている。

その職人的とも言える技術や経験はここ、第1術科学校で継承されていくわけだが、上境はその責任者ということになる。

これまでも、そしてこれからの世代を担う技術者教育にかけても、我が国が上境に期待するところは極めて大きい。

 

その一方で、上境にはすこし心配なことがある。

2017年4月7日から4月17日まで、第1術科学校の校長は、航空教育集団司令部幕僚長である森川龍介(第31期)を事務取扱とする辞令が出ていることだ。

事務取扱とは、一般企業で言うところの業務代行である。

更に上境は、2018年の年明け(詳細日時不詳)に撮影された遠目に写り込んでいる写真では、不鮮明でわかりにくいものの、以前に比べだいぶ痩せているようにも見える。

 

11日間の職務移譲が意味するものは何なのか。

第1術科学校の校長職が2015年12月からであり、長い補職になっていることと併せ、とても心配である。

 

 

さて次に、その上境を含む31期組の動向についてだ。

上境が航空自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。

1等空佐に昇ったのが平成19年1月なので、31期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

空将補に昇ったのは27年12月だったので、こちらは同期1選抜から2年4ヶ月の遅れになったが、そもそもが将官に昇る幹部の数がとても少ない航空自衛隊である。

堂々のスピード出世であり、1等空佐として豊富な現場経験を積んだ上での頼もしい空将補昇任であった。

 

なお、その31期組は2018年夏の将官人事で最初の空将が選抜される年次にあたる。

そのため、空将補が出世頭ということになるが、2018年4月現在でその空将補にあるものは以下の通りだ。

 

鈴木康彦(第32期)・航空幕僚監部人事教育部長(2013年8月)

阿部睦晴(第32期)・航空幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

柿原国治(第32期)・北部航空警戒管制団司令(2014年3月)

尾崎義典(第32期)・統合幕僚監部総務部長(2014年8月)

川波清明(第32期)・航空幕僚監部運用支援・情報部長(2015年8月)

上境賢己(第32期)・第1術科学校(2015年12月)

岩城公隆(第32期)・第4補給処長(2016年12月)

※肩書きは全て2018年4月現在。( )は空将補昇任時期。

 

以上のような状況になっており、まずは鈴木、阿部、柿原、尾崎の4人までが、空将補としてのキャリアや在任期間を考えると、2018年夏の将官人事で1選抜で空将に昇る最有力候補となりそうだ。

上境については、おそらく後職として補給系のポストに就くことになるのではないだろうか。

さらに空将補としてキャリアを積んだ上でということになると思うが、その先についても期待し、注目して応援していきたい。

 

 

ところでこちら、オマケの丸茂吉成(第27期)・第35代航空幕僚長だ。

何がオマケかと言うと、こちらの画像、丸茂自身がT-4練習機をかっ飛ばし、第1術科学校を含む浜松基地に視察に訪れた際の画像である。

西部航空方面隊司令官の時代から、各地の視察にはT-4練習機を自ら操縦し移動していた丸茂だが、まさか空幕長になってまで同じことをやっていると思わなかった。

その操縦席の横に見える4つ星は何なのかと。

まるでハイヤーで送迎される将官のノリで、自ら練習機を操縦し移動をしてしまうのだから、本当に航空自衛隊はオシャレである。

ぜひ陸自でも、次に第1空挺団長出身者が陸幕長に昇ることがあれば、各地を視察する際に空挺降下で駐屯地に降り立って欲しい。

(4つ星は落下傘にあしらうというのはどうだろうか・・・)

 

◆上境賢己(航空自衛隊) 主要経歴

昭和

63年3月 航空自衛隊入隊(第32期)
63年9月 第8航空団

平成
4年8月 防衛大学校
7年8月 偵察航空隊
9年9月 航空幕僚監部補給課
11年1月 3等空佐
11年3月 幹部学校付(指揮幕僚課程)
12年3月 内部部局(外務省出向)
14年3月 航空幕僚監部防衛課
14年7月 2等空佐
15年2月 航空幕僚監部補任課
17年3月 第83航空隊
18年8月 航空幕僚監部装備体系課
19年1月 1等空佐
19年8月 幹部学校付(防衛研究所)
20年8月 補給本部防衛援護室長
23年3月 航空幕僚監部援護業務課
23年4月 航空幕僚監部装備課装備調整官
25年3月 航空幕僚監部援護業務課長
27年12月 第1術科学校長 空将補

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 浜松基地公式Webサイト(着任式画像、イベント画像、視察画像)

http://www.mod.go.jp/asdf/hamamatsu/enshunada/index.html

※遠州灘新聞321、330、348号より

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2件のコメント

降下といえば、元空挺団でレンジャー教官の防衛大臣は、習志野視察のさいに降下棟から飛んでましたね。制服は5つ星でした。
防衛大臣用の階級章なんてめったに使わないでしょうから、希少です。

あれはなかなか凄かったですね!
周りの隊員さんが気を使ってて気の毒なくらいでした。
本当に空挺出身の方は、いくつになってもムチャです笑

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