齋藤拓也は埼玉県出身の航空自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候81期、職種は要撃管制だ。
防衛省の公式情報がないので生年月日は判明しないが、ストレートであれば、第35期は昭和43年度の生まれにあたる年である。
平成29年8月(2017年8月) 作戦システム運用隊司令兼ねて横田基地司令・1等空佐
前職は南西航空警戒管制隊南西防空管制群司令であった。
防衛大学校ボート部出身で、往時を思わせる肩周りと胸筋を思わせる、堂々とした体躯の齋藤である。
2014年に防空指揮群から改編され、作戦システム運用隊となった組織の3代目司令だ。
同部隊は、航空情報を収集し各部隊へ提供する、というのが公式Webサイトの説明になっていることから、旧防空指揮群の任務が主になっている状況に、特に大きな変更はないようだ。
これに航空総隊隷下であったプログラム管理隊を統合させ、作戦システム運用隊として発足した。
その齋藤が防衛大学校を卒業した年次は35期。
35期と言えば、2016年夏の人事で1選抜の将官が誕生した年次で、まさにこの先10年、我が国の国防を中心になって担っていく最高幹部の世代にあたる。
同期1選抜で将官に昇ったものとしては、第5航空団司令の熊谷三郎(第35期)や第6航空団司令の亀岡弘(第35期)などがあり、戦闘航空団を預かり、正に国防の最前線に立つ役割を担っている。
また、政府専用機の輸送を担当する特別航空輸送隊司令の富﨑秀樹(第35期)も同期であり、今後も現場指揮官クラスにはこの年次がどんどん配属され、その重い職責を担っていくことになるだろう。
(肩書はいずれも、2017年11月現在)
齋藤もまた、そのような35期の中にあって、作戦システム運用隊司令兼ねて横田基地司令としての重責を担っている。
その齋藤だが、職種は要撃管制であり、24時間365日休むこと無く我が国周辺の空を監視する任務にあたる部隊が、その専門領域だ。
そして一旦我が国に近づこうとする意図不明の航空機があれば、手順に従い航空自衛隊の戦闘機をスクランブル発進させた上で、必要に応じて要撃機の管制までを行う極めて重要な任務にあたる。
まさにスクランブルに上がったパイロットにとっての目であり耳であり、その国防に対する思いと重責は、常にパイロットと共にあると言って良いだろう。
また別の側面として、要撃管制には機上管制(空中警戒管制)というジャンルがある。
背中に大きな円盤を背負ったAWACSなどで有名な早期警戒管制機による警戒監視で、地上レベルでは困難な水平線の先までをも警戒監視可能なレーダーを搭載することで、我が国に接近するあらゆる敵性ユニットを早期に発見することが可能となっている。
この早期警戒機は、時に友軍への情報提供に限らず要撃管制もその任務として役割が与えられているが、南西方面における我が国の島嶼防衛に際しては、その存在感はますます大きなものとなりつつある。
なぜか。
現在、建設が進められている陸上自衛隊宮古島駐屯地と、2018年度にも建設が開始される予定の陸上自衛隊石垣島駐屯地だが、両駐屯地に配備されることになっているのは、陸上自衛隊の地対艦ミサイル部隊と高射特科部隊だ。
この2つの駐屯地が設置され、これら部隊の配置が完了すると、我が国の南西方面における防衛体制は極めて盤石になり、中国人民解放軍にとっては相当目障りで、なおかつ撃破困難な自衛隊の拠点になる事が確実である。
詳細はこちらのコラム、
【コラム】「市民団体」が陸上自衛隊の沖縄新基地に反対する本当の理由とは
で詳述しているので割愛するが、要するに、これらユニットが防衛可能な範囲は200kmを越えることから、中国人民解放軍は第1列島線から外側には容易に出られなくなることを意味するためだ。
ただし、これらユニットには大きな問題がある。
それは、ユニットが持つレーダー網では、水平線の向こうを射程距離に収めることができず、ちょっとした高台に布陣するとしても、せいぜい10~20km先までしか対応できないということだ。
ではなぜ、最大射程距離を200km以上先にも確保できるのか。
それが、高々度に昇り、水平線の向こうをも警戒監視空海域に収めることが可能な、これら早期警戒機などの航空機ユニットの存在感たる所以である。
これら陸海空の垣根を超え、職種間の役割を融通しあい、航空自衛隊の要撃管制部隊は必要に応じ陸自の地対艦ミサイル部隊に敵所在地の座標を共有し、また当然のことながら、海上自衛隊の護衛艦や潜水艦とも情報を共有する。
このようにして要撃管制は、南西方面の島嶼部防衛における我が国の防衛の要とも言える役割を担うことになっており、また今後ますます、その役割は広がっていくことだろう。
そして齋藤の前職は、南西航空警戒管制隊南西防空管制群司令である。
まさに国防の最前線であり、ホットスポットである南西航空方面隊空域における要撃管制の現場で指揮を執り、これからの我が国にとってもっとも必要な知見を蓄え、現職に着任したということだ。
作戦システム運用隊司令兼ねて横田基地司令のポストは、後職で空将補に昇ることも十分に考えられる、極めて重要な責任を負う1等空佐職である。
そのキャリアと併せ、後職では空将補に昇ることも考えられる齋藤だが、今後さらに、南西方面空域に活躍の場を広げていくことになるのではないだろうか。
注目して追っていきたい、航空自衛隊1等空佐の一人である。
◆齋藤拓也(航空自衛隊) 主要経歴
平成
3年3月 航空自衛隊入隊(第35期)
16年3月 航空幕僚監部防衛部防衛課
20年4月 中部航空警戒管制団中部防空管制群防空管制隊長
21年8月 統合幕僚監部防衛計画部計画課
24年12月 統合幕僚監部防衛計画部計画課計画班長
26年3月 統合幕僚監部防衛計画部計画課統合防衛戦略室長
26年8月 南西航空警戒管制隊南西防空管制群司令
29年8月 作戦システム運用隊司令兼ねて航空自衛隊横田基地司令
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 横田基地公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/yokota/sirei.html
防衛省 自衛官募集公式Webサイト(要撃管制紹介画像)
http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/streaming/movie/story/sky/kind/subject03/index.html
斎藤拓也は埼玉県川越市霞ヶ関東中学校出身。
私立城西大学附属川越高等学校から1987年に防衛大学に進学したと思います。
匿名様
コメントありがとうございました。
1佐クラスの場合、防衛省公式サイト経由の公開情報でないものは、場合によっては削除をすることがございますが、その際はどうぞご容赦下さい。