安藤忠司は昭和42年2月生まれ、福島県郡山市出身の航空自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候79期、出身職種は飛行でF-4戦闘機パイロット上がりの空将補だ。
平成29年9月(2017年9月) 航空戦術教導団司令・空将補
前職は第2航空団司令であった
安藤が2017年9月から補職されている航空戦術教導団は、飛行教導群、高射教導群、電子作戦群といった航空自衛隊の教導隊を一元的に運用する部隊だ。
この試みは航空自衛隊の近年の組織改編においても非常に画期的なものであり、従来では不可能であった、職種横断的な訓練を可能にする仕組みである。
すなわち従来は、飛行教導群、高射群、電子作戦群などが、それぞれの職種の中でベストを尽くす形で想定を作成し訓練を行っていたが、実戦はもちろんこのようなわけにはいかない。
それぞれの職種が協働し、それぞれが受け持つべき役割の中で想定をこなすべきだが、やや信じられない話かもしれないが、従来はそういう仕組がなかった。
これが軍事組織というものであり、さらに大きな話をすれば、陸海空の各部隊が同じ想定のもとで共同訓練を行えるかと言えば、やはりそう簡単には行かないものがある。
実戦では協働しなければならないのに、だ。
そのような、軍事組織が本質的に内包する問題はともかくとして、まずは同じ航空自衛隊の中で、職種の垣根を越えて同じ想定の下で、訓練を行おうという試み。
それが航空戦術教導団であり、安藤はその司令を務めているということになる。
そしてこの航空戦術教導団が編成完了を見たのは極めて最近のことであり、2014年7月である。
安藤はまだ、その3代目の司令だ。
この試みを成功させられるかどうかは、他の職種間の協働作業においても同様の試みが有効に機能するのかどうか。
そして大きくは、軍事組織が克服するべき根本的課題、すなわちセクター間の利害を超えて本来の目的のために戦力の集中を図ることが出来るのかどうか。
ある意味で、このような大胆な試みが出来るのは航空自衛隊ならではといえる。
ぜひ、その試金石として安藤には、この走り始めた組織をしっかりと機能させることを期待したい。
そのような、非常に画期的で重要な組織を任された安藤だ。
どんなキャリアを積み、またポストを歴任してきたのかについても気になるところである。
安藤が防大を卒業し、航空自衛隊に入隊したのは平成元年3月。
防衛大学校在任中よりF-15戦闘機のパイロットを志望し、千歳配属を熱望していたが、初任地は第6航空団(小松基地)であり、愛機はF-4戦闘機であった。
職種には適性があり、また任される機種にもそれぞれパイロットとしての適性があるのでどちらが上でどちらが下という話ではないが、結果として安藤はF-15戦闘機に乗ることができず、千歳への配属もなかなか叶うことがなかった。
その千歳への配属が叶ったのが、平成27年3月。
なんと、その千歳基地の司令を兼ねる第2航空団司令としての赴任が、最初の同地配属であった。
防衛大学校卒業から実に四半世紀以上、自衛隊に入隊以来25年以上の時を経て初めての千歳配属が千歳基地司令という形であったことを、第2航空団司令着任後、安藤はユーモアを交えて話すのが定番の持ちネタとなっている。
その安藤であるが、1等空佐に昇ったのが平成20年1月なので、第33期の1選抜(1番乗り)でのスピード昇任である。
空将補に昇ったのは同期1選抜より半年遅れたが、ここは大した差ではないだろう。
なお第33期組で、安藤とともに出世街道のトップを走っているのは以下の空将補たちだ。
石上誠(第33期相当)・防衛装備庁調達事業部総括装備調達官 2016年12月
今城弘治(第33期)・航空総隊司令部防衛部長 2015年12月
影浦誠樹(第33期)・防衛大学校防衛学教育学群長 2015年12月
南雲憲一郎(第33期)・中部航空方面隊副司令官 2014年8月
森田雄博(第33期)・第3補給処長 2014年8月
安藤忠司(第33期)・航空戦術教導団司令 2015年3月
(肩書はいずれも2017年11月現在。末尾の日時は空将補昇任時期。)
2017年11月現在では、南雲と森田が33期組のトップを走っている形になっているが、繰り返しになるものの、航空自衛隊の人事においてこのあたりの遅れはそれほど決定的な差にはならない。
そのわかり易い例が、28期の航空幕僚長候補にして3人の空将の一人である山田真史(第28期)・航空支援集団司令官のキャリアであろう。
山田が1等空佐に昇ったのは、同期1選抜から実に2年遅れであったが、ここから脅威の追い上げを見せる。
そして第83航空隊司令や西部航空方面隊司令官を歴任し、空将に昇任したのは同期1番乗りに比べわずか9ヶ月遅れ。
航空支援集団司令官の要職に昇り詰め、航空幕僚長候補の一人として我が国の平和と安全のために、ますます粉骨砕身し、任務に励んでいる。
陸海ではちょっと想像できない出世の流れだが、こんなことをやってのけてしまうのもまた航空自衛隊の魅力だろう。
つまり、将補に昇るのが半年や1年遅れたくらいの差は、いくらでも巻き返しが可能ということだ。
それは、今現在の職務を全力でこなすことで、いくらでも仕事を任されるという組織からのメッセージであるとも言えるだろう。
軍事組織でありながら、こんな「当たり前のことを当たり前に」できる空自は、やはり「支離滅裂」だが、とても素敵だ。
そんなこともあり、安藤の人事予想も含め、出世レースの見通しについて予想がもっとも難しいのが航空自衛隊だ。
だからこそ楽しみでもあり、安藤の今後についても、楽しみにしながらその活躍を追っていきたい。
※
本記事は当初2017年7月10日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月8日に整理し、改めて公開した。
なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。
安藤は、平成22年8月からスタンフォード大学のフーバー(フーヴァー)研究所でも学んだ経験を持ち、アメリカの政府・軍高官の意思決定に深い知見を持つ。
この聞き慣れないフーヴァー研究所。
一体どのような組織なのかだが、これが実に興味深い。
元々は、アメリカ合衆国第31代大統領であるハーバート・フーヴァー(1929年3月4日 – 1933年3月4日)が設立したシンクタンクなのだが、この組織は、アメリカ政治の保守思想を代表するシンクタンクの一つと位置づけられており、その影響力は極めて大きい。
特に、歴代の共和党政権において多くの政治的な意思決定に関わってきたとされ、アメリカの意思決定プロセスを探る上で無視できない存在だ。
米国の世論形成に対する影響力も大きいことから、ここで学ぶことは米国権力者たちの思考プロセスや意思決定メカニズムを研究する上で、極めて重要な経験値となる。
そのような経歴もあり、安藤は平成25年3月から着任した統合幕僚監部運用部運用第1課長時代には、日米共同の大規模演習である「日米共同統合演習(実動演習)」の企画・運用に深く携わり、第2航空団所属のF-15戦闘機と米軍との訓練計画を調整するなど訓練成功に尽力した。
また、この功績により安藤はアメリカ合衆国から「メリトリアル・サービス・メダル功績勲章」を受章しており、自他共認める「米国通」としての立ち位置を確保したと言えるだろう。
その安藤が預かる千歳基地の面積は東京ドーム約21個分と極めて広大であり、航空自衛隊の基地として最大の規模を誇る。
北海道で働く航空自衛隊の隊員約4000名は、その多くが安藤の隷下にあり、第2航空団司令の職は、航空自衛隊の幹部としてもっとも栄誉あるポストの一つだ。
このようなこともあり、第31代航空幕僚長・第4代統合幕僚長の岩崎茂(第19期)を始め、多数の航空幕僚長が通過してきたポストであるが、安藤についてはどうなるのか。
今後に注目し、追っていきたい最高幹部である。
◆安藤忠司(航空自衛隊) 主要経歴
平成
元年3月 航空自衛隊入隊 (第33期)
元年9月 航空教育集団付
4年5月 第6航空団306飛行隊
9年3月 第3航空団
10年3月 防衛大学校
11年3月 幹部学校付(米空軍大学指揮幕僚課程)
12年1月 3等空佐
12年8月 統合幕僚会議事務局第3室
14年8月 航空幕僚監部人事教育部人事計画課 兼ねて陸上自衛隊東部方面総監部防衛課
15年7月 2等空佐
15年8月 第3航空団司令部防衛部防衛班長
17年4月 第3航空団第8飛行隊長
19年3月 航空幕僚監部防衛部防衛課
20年1月 1等空佐
20年8月 幹部学校付(防衛研究所一般課程)
21年9月 航空幕僚監部人事教育部補任課人事第1班長
22年8月 幹部学校付(スタンフォード大フーバー研究所)
23年8月 航空幕僚監部総務部庶務室長
24年4月 北部航空方面隊司令部防衛部長
25年3月 統合幕僚監部運用部運用第1課長
27年3月 第2航空団司令 空将補
29年9月 航空戦術教導団司令
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 第2航空団(千歳基地)公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/chitose/kichishirei/index1.html
http://www.mod.go.jp/asdf/chitose/eikou/index.html
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