【退役】山田真史(やまだ・まさし)|第28期・航空支援集団司令官

山田真史(やまだ・まさし)は昭和36年8月生まれ、長崎県出身の航空自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候74期、専攻は応用物理学科であり、出身職種は飛行だ。

F-15戦闘機パイロット、いわゆるイーグルドライバーであり、空の現場を知り尽くす最高幹部である。

令和元年8月23日(2019年8月23日) 航空支援集団司令官・空将のポストを最後に勇退となった。

前職は西部航空方面隊司令官であった。


(画像提供:航空自衛隊西部方面隊公式Webサイト


(画像提供:航空自衛隊西部方面隊公式Webサイト

現場に生き、最後まで現場にあった航空自衛隊の最高のパイロットが、また1人勇退を迎えた。

航空支援集団司令官のポストを最後に制服を置いた、山田真史(第28期)だ。

退役の日は、2019年8月23日。

民間人になり最初の週末を過ごしているということになるが、まだまだ、重い責任感から解放された実感のない日曜日を過ごしているのではないだろうか。

いろいろな意味で、山田は強烈な印象を残した幹部であった。

F-15戦闘機のパイロットとして、国防の最前線・石川県小松基地の第6航空団303飛行隊の一員としてデビューすると、飛行隊長職も同じ第6航空団に所在する、第306飛行隊長として経験。

さらに西方の脅威が増しつつある平成22年には、沖縄の那覇に所在する第83航空隊(現・第9航空団)の司令に着任している。

その後、西部航空方面隊司令官としても指揮を執り、常に国防の最前線のタフな現場で戦い続けたが、最後の補職となったのは、管制や輸送といった飛行業務を支援する、航空支援集団の司令官であった。

我が国の空域を知り尽くし、パイロットして現場を飛び続けたからこそできる後方支援の在り方を実践した、最後の2年間であったのではないだろうか。

なお、山田についてはたびたび触れているが、とても特異(?)なキャリアを駆け上がってきた幹部であった。

1等空佐に昇任したのが、同期1選抜(前期)から2年後となる平成17年1月。

やはり自衛隊では、陸将・海将・空将にまで昇る幹部は、1選抜か2選抜までに昇任する例が圧倒的に多い。

にも関わらず、山田は1選抜から2年後に1佐に昇ると、人事考課規定の最短となる期間で空将補に昇り、さらに空将にも、空将補在任期間わずか5年で昇り詰め、同期3人目の空将となっている。

およそ、通常の人事では考えられないような昇任の仕方を経て階級を極めた、とても印象的な男であった。

そんな型破りな最高幹部が、2019年8月23日に勇退をした。

これほどの昇任を重ねたからには、いうまでもなくそれだけの仕事と実績を残したということである。

ぜひ山田のキャリアに、最後に改めて注目し、その誇りある自衛官人生に想いを馳せてもらいたいと願っている。

山田空将、本当に長い間お疲れさまでした、ありがとうございました。

まずはゆっくりとお休みになって、積年のお疲れをお癒やし下さい。

そして、新たに始まる空将の第二の人生も、自衛官生活と同じかそれ以上に充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げています。

(2019年8月25日 最終更新)

◆以下、2018年11月までに更新した記事

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2018年11月現在、航空支援集団司令官の要職を務める山田だ。

航空支援集団は、航空総隊を直接サポートするいわば我が国の航空戦力の屋台骨であり、航空総隊と裏表の関係を為す。

具体的には、航空総隊の活動に必要となる航空輸送、航空保安管制、航空気象、飛行点検、航空機動衛生の5つをその任務の柱にする。

なお航空機動衛生とは、「空飛ぶICU」と評される高度な医療設備を備えたユニットを輸送機に持ち込み、機動的に重症・重篤患者の下に駆けつけ、その救命率を向上させる部隊だ。

2018年11月現在では、公募幹部であり、東大病院の集中治療部や国立がん研究センターの集中治療科で腕を磨いた山口大介(公募幹部)が衛生機動隊長を務めている、一風変わった組織である。

また航空輸送も、一般的な物資の輸送や陸上自衛隊の各種戦闘部隊の輸送という任務だけでなく、変わり種としては政府専用機の運用も行う。

内閣総理大臣や天皇陛下のご外遊の際、B747-400を運用して我が国の外交を足元から支えているのもこの航空支援集団であり、その隷下にある特別航空輸送隊だ。

なお、2018年11月現在で、その特別航空輸送隊を務めるのは1等空佐の富﨑秀樹(第35期)

F-15が戦闘機パイロットしての一つの頂点とすれば、特別航空輸送隊で政府専用機のパイロットに選ばれることは、我が国のパイロットとしての一つの頂点を極めるポジションと言ってよいだろう。

国家にとってもっとも重要な要人の命を預けられる、まさに航空自衛隊だけでなく、我が国を代表する空の戦士だけが着任できるポジションだ。

航空保安管制、航空気象、飛行点検といった任務は、多くの言葉を必要としないだろう。

航空戦力が航空戦力として、想定通りの力を発揮し戦うために、無くてはならない要素であり、これなくして空の戦いに勝利はない。

そう言った意味では、航空支援集団とは航空総隊の裏表と言うよりも、手足であり、五感であり、戦力そのものと言っても良いかも知れない。

このプロフェッショナル集団の存在なくしては、航空総隊はたったの1機の戦闘機の運用すらも、できることはないだろう。

では、我が国の航空戦力を支えるそんな航空支援集団を率いる山田とはどんな男なのか。

どのような経歴を歩み、このポジションに着任したのだろうか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

その山田が航空自衛隊に入隊したのは昭和59年3月。

パイロットとしての初任地は、石川県・小松基地の第6航空団303飛行隊であり、同地でF-15戦闘機パイロットしてデビュー。

日夜、対中国・対ソ連(ロシア)の航空機を相手にスクランブルに上がるなど、極めて過酷な国防の任務に、20代の若き青年時代の全てを捧げた。


(画像提供:航空自衛隊西部方面隊公式Webサイト

そして、飛行隊長職は同じ第6航空団で、第306飛行隊長として経験。

さらに、我が国で最高の技量を持つ戦闘機パイロットだけがその任務を託される飛行教導隊でも、教導隊長を務めるという非常に栄誉あるポストを任された。

将官に昇任後も、その活躍はとどまるところを知らない。

航空隊司令のポストは、我が国の国防の最前線・沖縄の那覇に所在する第83航空隊(現・第9航空団)で着任。

同様に、航空方面隊司令官ポストは、平成27年12月から西部航空方面隊で務めた。

まさに、パイロットとしても指揮官としても、常に国防の最前線に立ち続けた、我が国を代表する最高幹部の一人と言ってよいだろう。

そんな経歴を積み上げ、平成29年8月に航空支援集団司令官に着任。

日夜、航空総隊を直接支援するポジションから、我が国の国防を支える重職を担う。

さて、そんな山田については別の意味で、少し変わったキャリアがある。

それは昇任に関することであり、山田は1等空佐に昇ったのが平成17年1月。

28期組の1選抜(1番乗り)は平成15年1月であったので、昇任は1選抜に比べ2年遅かったということになる。

昇任については、むしろ1選抜で昇る方がエリートであり特別なので、それ自体は特段話題になることではない。

ただ山田は、後に空将に昇り、航空幕僚長候補の一人として活躍することになる最高幹部だ。

通常、将に昇るような最高幹部は、1佐はもちろん、将官(将補)に昇るのも1選抜前期もしくは後期、あるいは2選抜くらいまでに昇ることが必須であると言ってよいだろう。

陸上自衛隊の人事では特にその傾向が顕著であり、陸上幕僚長候補としてその名前が上がるのは、1選抜前期で将官に昇った幹部だけだ。

それが山田の場合、1佐への昇任では同期1選抜より2年遅かったにも関わらず、空将補へは人事考課の最短期間となる6年で昇任。

同様に、空将へも空将補在任わずか5年で昇り、一気に先行する最高幹部たちに追いついた形だ。

陸海ではまず見られない・・・というよりも、空自でも余り見かけない1佐以降の昇任の速さであり、これもまた、山田の将官としての働きぶりの凄さを窺えるエピソードの一つではないだろうか。

山田をご紹介する際にはぜひ紹介しておきたい、キャリアの一つであった。

では最後に、その山田と同期である28期組の人事の動向について見ておきたい。

2018年11月現在、航空幕僚長は28期の1期上、27期の丸茂吉成(第27期)が務めている。

必然的に、28期組は次の航空幕僚長に昇るか、もしくは着任のタイミングにより現行ポストを最後に退役となる可能性が高いと言ってよいだろう。

そしてその28期組で、次期航空幕僚長候補と言っても良い空将にある最高幹部は、以下の通りだ。

武藤茂樹(第28期)・航空総隊司令官(2015年3月)

荒木文博(第28期)・航空幕僚副長(2015年8月)

山田真史(第28期)・航空支援集団司令官(2015年12月)

※肩書はいずれも2018年11月現在。( )は空将昇任時期。

以上のようになっており、3空将いずれも後職で直接、航空幕僚長に昇る可能性があるポストで、極めて重い責任を担っている。

これら3人は誰が航空幕僚長に昇っても決してサプライズではなく、そしてそれだけの見識と能力に溢れた、我が国を代表する空の男たちと言って良いだろう。

山田については、パイロットとしてあるいは指揮官として、我が国の国防の最前線を知り尽くす最高幹部である。

そう言った意味でも、あるいは「変わった昇任歴」を持つ幹部としても、「次のポスト」があるのかどうか。特に注目していきたい。

その答えは遅くとも、2019年中に出ることになるだろう。

ただ、その結果がどうなろうとも、山田が我が国の平和と安全に非常な貢献をし続けてきた、我が国の誇りとも言うべき自衛官である事実に一切の変わりはない。

その功績はこれからも多くの人の心に残り続け、その意志は後輩たちに引き継がれていくだろう。

当サイトでも、国民の一人としてそんな山田を心から誇りに思い、そして応援し続けていきたい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:航空自衛隊西部方面隊公式Webサイト

◆山田真史(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 航空自衛隊入隊(第28期)
62年5月 第6航空団303飛行隊(石川県)

平成
3年8月 防衛大学校(神奈川県)
5年8月 飛行教導隊(宮崎県)
7年1月 3等空佐
9年3月 航空幕僚監部人事計画課(東京都)
11年1月 2等空佐
11年3月 第6航空団防衛班長(石川県)
12年3月 第6航空団306飛行隊長(石川県)
14年3月 飛行教導隊(宮崎県)
14年8月 飛行教導隊教導隊長(宮崎県)
16年8月 幹部学校付(東京都)
17年1月 1等空佐
17年7月 航空幕僚監部運用課(東京都)
17年8月 航空幕僚監部運用課部隊訓練班長(東京都)
18年3月 航空幕僚監部運用支援課部隊訓練1班長(東京都)
19年12月 西部航空方面隊司令部防衛部長(福岡県)
21年3月 航空幕僚監部運用支援課長(東京都)
22年12月 第83航空隊司令(沖縄県) 空将補
24年3月 航空総隊司令部防衛部長(東京都)
25年8月 航空幕僚監部運用支援・情報部長(東京都)
27年12月 西部航空方面隊司令官(福岡県) 空将
29年8月 航空支援集団司令官(東京都)

令和
元年8月23日 航空支援集団司令官のポストを最後に勇退

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