【退役】中澤剛(なかざわ・たけし)|第29期・西部方面混成団長

中澤剛(なかざわ・たけし)は昭和38年1月31日生まれの陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は普通科だ。

平成30年11月30日(2018年11月30日) 西部方面混成団長兼ねて久留米駐屯地司令・陸将補のポストを最後に退役となった。

前職は陸上自衛隊富士学校総務部長であった。

なお、西部方面混成団長であった時の、最後の指導方針は以下の通りであった。

【統率方針】為世為人
【要望事項】範を示せ

※この記事について

この記事は2018年12月を最後に更新を停止した記事ですが、改めて一人でも多くの国民に中澤陸将補のことを知ってもらいたい。

そんな思いで改めて、トップページに再掲示するものです。

そのため、肩書きなどは全て、当時のままで再掲示しています。

(画像提供:陸上自衛隊久留米駐屯地公式Webサイト

長い間、本当に長い間ご紹介したいと思っていた中澤陸将補のご紹介記事だ。

これまで、中澤将補の略歴をどうしても見つけることができず、ご紹介を諦めていたところ、2018年12月の異動で陸将補に特別昇任、同日付で退役となってしまったために、慌てて記事にさせて頂いている。

なお略歴はどうしても見つけることができず、手元にある過去10年分の人事異動発令ファイルの全てをチェックし、超アナログで記録をピックアップして略歴を作成した。

そのため、退役をされてから記事の公開まで2週間もの時間がかかってしまったことを、お詫びしたい。

ではなぜ、そこまでして中澤将補のご紹介記事を作成したかったのか。

そのお話をする前に、いつもとは順序が逆だが、判明している限りで中澤のキャリアを見ていきたい。

中澤が陸上自衛に入隊したのは昭和60年3月。

1佐に昇任後、統合幕僚監部で防衛計画部計画課業務計画班長の要職に着任し、続いて福島駐屯地に所在する精鋭・44(獅子)連隊こと第44普通科連隊長に上番している。

しかし、その後は中央(統合幕僚監部、陸上幕僚監部)や職種部隊から離れ、研究本部や防衛研究所で研究官、富士学校の総務部長として勤務が続く。

そして平成29年3月に西部方面混成団長兼ねて相浦駐屯地司令に着任し、30年3月に久留米駐屯地に移って、30年11月に退役をしたという形だ。

エリートらしい高級幹部のキャリアではあるが、だからこそと言ってよいだろうか、特別に目立つものではないかも知れない経歴となっている。

そのような経歴の中、敢えて挙げるのであれば、例えば44普通科連隊長離任時のエピソードだ。

1年で異動となった短い在任期間であったが、中澤が福島駐屯地から異動をする際に見送りに出た隊員は、800名に昇った。

そしてその多くの隊員が涙ぐみ、指揮官の離任と中澤との別れを惜しんだという。

さらに上記の写真2枚、退役の日、陸将補に特別昇任し2つ星の肩章も眩しい中澤を見送る西部方面総監・湯浅悟郎(第28期)との最後の別れのシーンである。

決して上辺ではない、湯浅の気持ちのこもったねぎらいが伝わってくる一枚となっている。

ここでご紹介できていない写真も多くあるが、多くの人が中澤の退役を惜しみ、その功績を称える、とても気持ちのこもったものとなっているのが印象的であった。

最後の最後まで、非常に多くの幹部曹士から慕われ、指揮官として愛され、西部方面混成団長のポストを全うした中澤の活躍が伝わってくる、離任式となった。

ではなぜ、中澤はそれほどまでに多くの部下や上司、同僚から慕われ、愛されていたのか。

そしてなぜ、管理人もこだわって記事にしたかったのか。

その思いを、少し詳しくお話していきたい。

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