【退役】岩谷要(いわや・かなめ)|第28期・教育訓練研究本部長

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岩谷要(いわや・かなめ)は昭和36年3月20日生まれ、青森県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は施設科だ。

 

令和元年8月23日(2019年8月23日) 教育訓練研究本部長・陸将のポストを最後に退役することが決まった。

前職は第4師団長であった。

なお、第4師団長であった時の指導方針は以下の通りであった。

 

【要望事項】

「原点への回帰と変化への対応」

「地域等との連携」

(画像提供:陸上自衛隊第4師団公式Webサイト

最後の陸上自衛隊研究本部長であり、初代陸上自衛隊教育訓練研究本部長を務めた、岩谷の退役が決まった。

退役の日は、2019年8月23日。

陸自大改革の中でも、非常に大きなインパクトが有ったこの大仕事を成し遂げた男が、もう間もなく自衛隊を去ろうとしている。

 

陸上自衛隊教育訓練研究本部の発足がどれほど大きなものであったのか。

一言で言えば、かつて存在した日本陸軍において、「陸軍三長官」と呼ばれた最重要ポストに相当する補職であると言えば、イメージして頂けるだろうか。

戦前の日本陸軍において、もっとも重い役職とされたのは

・陸軍大臣

・参謀総長

・教育総監

の3つであった。

そして岩谷が初代の本部長を務めた教育訓練研究本部長は、このうち教育総監のポストに匹敵する。

「坂の上の雲」で勇名を馳せた秋山兄弟の兄、秋山好古・陸軍大将が最後に務めたポストであり、第18代総理大臣を務めた寺内正毅など、歴史に名を残す先人たちが着任したポストだ。

そして教育訓練研究本部も、その役割は我が国の国防の根幹をなすと言ってもよいほどに、極めて重い。

 

教育訓練研究本部の中心になる組織は、かつての陸上自衛隊幹部学校と、陸上自衛隊研究本部である。

この意味するところは、教育と研究の統合にある。

すなわち、従来の陸上自衛隊研究本部では、どれほど研究活動で成果を挙げても、それが直接、高級幹部の教育に活かされることがなかった。

自衛隊といえども、縦割りの組織では同一ライン上にない組織の仕事は、やはり違うラインとの共有は容易ではない。

しかしながら本来、最新の研究成果は幹部教育にこそ活かされるべきものだ。

そのような国防の要請に応えて生まれたのが、この教育訓練研究本部であった。

3自衛隊で唯一、「幹部学校」の名前を失うことは相当なインパクトのある組織再編であったが、それ以上に、実効性のある組織再編を志向したということなのだろう。

そしてその難しい大仕事を、初代本部長として担ったのが、岩谷であった。

 

自衛官人生の最後に、これだけの大仕事を担った岩谷が、間もなく退役となる。

ぜひ、その退役の日には、我が国の安全保障環境を変えるほどの改編をやり遂げた幹部の活躍に、思いを馳せてもらいたいと願っている。

 

岩谷陸将、本当に長い間お疲れさまでした、ありがとうございました。

陸将が成し遂げた大きな仕事を、自衛隊をサポートする多くの国民が記憶し忘れないでしょう。

その誇りある人生に、心からの敬意と感謝を申し上げます。

そしてその岩谷陸将を支え続けたご家族の皆様にも、心からの敬意と感謝を申し上げます。

本当に長い間、お疲れさまでした。

ご家族の皆様も、私たち日本国民の誇りです。

陸将とともに戦い続けたその誇りある人生に、重ねて感謝申し上げます。

 

(2019年8月20日 最終更新)

 

◆以下、2019年6月までに更新した記事

 

**********

2019年6月現在、初代となる教育訓練研究本部長を務める岩谷だ。

教育訓練研究本部は2018年3月、陸自大改革の一環で新設された組織であり、従来の陸上自衛隊研究本部に、陸上自衛隊幹部学校の機能を統合させて生まれた組織である。

 

その統合の目的とするところは、「研究と教育の統合」にある。

すなわち、これまでは研究本部における各種研究課題の成果は、ダイレクトに教育の現場に反映されること無く、いわば研究のための研究に終わってしまうきらいがあった。

しかし研究本部と、その研究の果実を直ちに吸収する必要がある陸自の幹部教育が一つの組織となったことで、研究と教育が即時的に一体化し、タイムリーに幹部教育へと活かされることになった。

この組織改編は極めて有意義であり、研究の本質的な目的を100%活かすことができる「陸自大改革」の名にふさわしい再編であったと言えるだろう。

「陸上自衛隊幹部学校」の名前が失われたことは正直寂しい気がするが、名より実を取るという意味では、特筆するべき組織が生まれたと言ってよいのではないだろうか。

 

さて、その初代となる教育訓練研究本部長に着任した、岩谷である。

初代の指揮官というものはどんな組織でもそうだが、その性質を方向づけて、組織文化に大きな影響を残す。

それほどの大仕事を任された岩谷だが、実は間もなくとなる2019年夏の将官人事で、現職を最後に退役するだろう。

先日から予告させて頂いているように、陸上自衛隊28期組最高幹部の、最後のご紹介の一環である。

岩谷は、その4番目のご紹介だ。

誇りある陸将の最後のご紹介記事を書くにあたり、そのキャリアや現職から思いつくこと、書きたいことはいくらでも溢れてくるが、やはり最後は、この岩谷が自衛官生活の総仕上げに任された現職について、もう少し深掘りしたいと考えている。

 

繰り返しになるが、教育訓練研究本部とは陸自の最高幹部を育てる教育と、陸自が追求する各種研究テーマを融合させた組織である。

その役割は極めて大きく、戦前で言えば陸軍三長官と言われた陸軍大臣・参謀総長・教育総監のうち、教育総監に相当するポストと言ってよいだろう。

「日本騎兵の父」と呼ばれ、日露戦争では日本の奇跡の勝利に貢献し、「坂の上の雲」で広く世に知られた秋山好古・日本陸軍大将が最後に任された要職だ。

戦後70余年の時間が経ち、ようやく本来のあり姿を取り戻したと言ってもよい組織で、最初の指揮官を任されたのが岩谷である。

 

率直に言って、これほどの重責を担う組織でありながら指定職は3号と、やや納得が行かない格付けになっている。

航空自衛隊で同様の職務を担う航空教育集団司令官が5号であることを考えると、ますます不思議な気がするが、それは陸海空の組織文化と編成の違いというものだろうか。

いずれにせよ管理人は、やがてこの教育訓練研究本部長は、「陸上幕僚長直前ポスト」の一つとして運用されるであろう、極めて重い職責になるものと予測している。

なぜなら組織において、将来研究と教育、すなわち環境への適応に全責任を担うポストとは組織の生存を任されたことと同意義であり、我が国の生存を任されたことに等しいからだ。

いずれこのポストは、陸上幕僚長直前ポストの一つになるか、あるいはその任に昇るものの必須ルートの一つとなるだろう。

岩谷が任された任務とは、それほどまでに重い仕事であった。

ぜひ、決して目立つことの無いこの組織とポストには、そういった意味でも注目して欲しいと願っている。

 

では、それほどまでに重い任務を最後に任された岩谷とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

 

その岩谷が陸上自衛隊に入隊したのは、昭和59年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成15年1月だったので、28期組1選抜(1番乗り)のスピード昇任であった。

また陸将補に昇ったのが22年7月、陸将に昇ったのが28年7月なので、こちらも28期2選抜前期となるスピード昇任である。

(画像提供:陸上自衛隊第4師団公式Webサイト

1佐以降のキャリアで見ると、連隊長(相当)ポストには座間駐屯地に所在する第4施設群の郡長に、また将官ポストではエリートの登竜門とも言うべき、大久保駐屯地の第4施設団長に上番。

中央(陸上幕僚監部)では、班長ポストを防衛部運用課の総括班長で、課長ポストは教育訓練部の教育訓練課長で、部長ポストは人事部長を任された他、統合幕僚監部では運用部の副部長も務めた。

その他、幕僚やスタッフのポストでは幹部学校教官、第3師団副師団長、東部方面総監部幕僚長などの要職も歴任する。

そして平成28年7月に陸将に昇任すると第4師団長に上番し、その後職として陸上自衛隊研究本部長に転じ、研究本部を発展的に解消して発足した教育訓練研究本部で、初代となる本部長を務めている。

文字通り、28期組を代表し、我が国を代表する最高幹部であった。

 

では最後に、その岩谷と同期であり、間もなく退役を迎えるであろう28期組の陸将の顔ぶれを改めて確認しておきたい。

我が国と世界の平和に貢献し続けてきた陸将であり、湯浅を除く4名は、間もなくとなる2019年夏の将官人事で退役することが確実な最高幹部だ。

 

湯浅悟郎(第28期)・陸上幕僚長(2019年4月)

住田和明(第28期)・陸上総隊司令官(2018年8月)

田浦正人(第28期)・北部方面総監 (2017年8月)

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 (2017年8月)

岩谷要(第28期)・教育訓練研究本部長(2017年8月)

※肩書はいずれも、2019年6月現在。

※( )は現職着任時期。

 

湯浅を除く4名は、全員が陸上幕僚長に着任してもおかしくはなかった、凄い幹部たちであった。

誰一人として、湯浅に劣っていたわけでもなく、また優れていたわけでもなく、ただ時の巡り合わせと、わずかばかりの運でトップに昇ること無く退役するだけである。

ぜひ、これら最高幹部の活躍を最後まで応援し、注目して欲しいと願っている。

 

岩谷については特に、研究と教育の融合という陸自の大目標に対し、初代本部長として道筋をつけた実績は特筆するべき最後の功績となった。

まさに、岩谷だからこそできた、退役前の最後の大仕事であったと言えるのではないだろうか。

この記事をポストしてから、岩谷が自衛隊を去るまでは、おそらく1ヶ月余りだろう。

だからこそ、その活躍を最後にもう一度ご紹介しておきたかった。

ぜひ、この記事を読んで頂いた読者の皆様にも、岩谷の最後の活躍にエールを送って貰えれば嬉しく思う。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第3師団公式Webサイト

◆岩屋要(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 陸上自衛隊入隊(第28期)

平成
7年1月 3等陸佐
10年1月 2等陸佐
15年1月 幹部学校付 1等陸佐
15年8月 幹部学校教官
16年3月 陸上幕僚監部防衛部運用課総括班長
18年3月 第4施設群長
19年7月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課長
22年6月 第4施設団長
22年7月 陸将補
24年8月 統合幕僚監部運用部副部長
26年3月 第3師団副師団長
26年12月 東部方面総監部幕僚長
27年8月 陸上幕僚監部人事部長
28年7月 第4師団長 陸将
29年8月 陸上自衛隊研究本部長
30年3月 陸上自衛隊教育訓練研究本部長

令和
元年8月23日 教育訓練研究本部のポストを最後に退役

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