【退役】田浦正人(たうら・まさと)|第28期・北部方面総監

田浦正人(たうら・まさと)は昭和36年12月2日生まれ、長崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期(機械)の卒業で幹候65期、出身職種は機甲科だ。

令和元年8月23日(2019年8月23日) 北部方面総監・陸将のポストを最後に勇退をされた。

前職は第7師団長であった。

なお北部方面総監としての最後の指導方針は、以下の通りであった。

【方面総監要望事項】

よく考えて、前へ!

(画像提供:陸上自衛隊北部方面隊公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊北部方面隊公式Webサイト

管理人(私)が特別な敬意を持つ自衛官がまた一人、自衛隊を去った。

ギリギリの国益や国難の最前線に立ち続け、にも関わらずいつも笑顔を見せ続けた不思議な最高幹部であった、田浦正人(第28期)だ。

先週から、この夏の将官人事でご勇退をすることになった陸海空自衛隊の将官のご紹介を続けてきたが、やはり最後に、この田浦のご紹介で締めたかった。

いつも暑苦しくて恐縮だが、以下、お話を進めていきたいと思う。

ところで、自衛隊という「軍事組織」では、正直、個人の活躍や実績を特別視することは必ずしも良い結果をもたらさない。

それは日本や世界の近現代史でも明らかだが、特定の個人に特別な意味を与えてしまうと、属人的な判断が軍事合理性を上回ってしまうことが往々にしてあるからだ。

そのため、自衛隊をはじめ先進諸国の軍事組織には、属人的なオペレーションの余地が発生しないように、極めて短期間に高位にある幹部の人事ローテーションが行われる。

これもある意味で、人類が身につけた「無益な戦争を避ける」ための、叡智の一つと言ってよいだろう。

そのような前提を置いた上でもなお、私は田浦陸将には特別な敬意を持ち続けた。

なぜか。

それは田浦が、非常に人間臭い魅力を持っていながらそれでいて、常人離れした数々の活躍を重ねてきたからだ。

そんな田浦の退役に辺り、私は山之上哲郎(第27期)・元東北方面総監の退役の時と同じくらい、深い悲しみにくれている(泣)

その上で、実は田浦の退役にあたっては一つのサプライズがあった。

実は私は、映像プロダクション「HAJIMEVISION」を経営する、小島肇(第19期)・元2等陸佐のご厚意により、この田浦の離任式に立ち会うことを許された。

ウソのような、本当の話である(笑)

そのため、田浦の退役記事は以下の特別企画で、詳細にレポートしたい。

この記事を公開したあと、なるべく早く公開を予定している。

福島原発に立ち向かった男 ー田浦正人・ある自衛官の人生について

田浦陸将、本当に長い間お疲れさまでした、ありがとうございました。

勝手に企画させて頂いた上記ページが、自衛隊や防衛省、田浦総監のお怒りを買いませんように・・・

(2019年8月29日 最終更新)

◆以下、2019年6月までに更新した記事

**********

2019年6月現在、我が国で最大の勢力・火力を誇る北部方面隊を率いる、北部方面総監を務める田浦のご紹介だ。

先日来、この夏の将官の人事異動で退役となることが確実な28期組の最高幹部の最後のご紹介をさせて頂いてきたが、田浦がその最後となる。

長年に渡り、我が国と世界の平和に人生のすべてを捧げてきた自衛官が、また一人自衛隊を去ろうとしている。

その最後の記事の更新にあたり、心からの敬意と感謝を込めて、筆を進めていきたいと考えている。

さて早速だが、田浦はその実績もさることながら、不思議な魅力のある将官であった。

上記の写真を見て頂ければおわかり頂けると思うが、そもそも自衛隊の高級幹部で、プロフィール写真に笑顔で収まる最高幹部はほとんどいない。

皆が皆、判で押したように怖い顔で、威厳に溢れた顔で「指揮官の紹介」ページに登場する。

加えて、地べたに這いつくばった写真を公開するような指揮官もまず居ないが、田浦は普通にそれら写真を公式サイトで公開した。

思うに、部隊の広報や幕僚からも、指揮官紹介の写真撮影に際しては、注文が入るのだろうか。

いろいろと制約が多い世界であろうことは想像に難くないが、そんな中でこれほど魅力的な写真を公開できる指揮官を、私(管理人)はほとんど知らない。

唯一、海上自衛隊で護衛艦隊司令官を務める湯浅秀樹(第30期)が、掃海隊群司令であった時にそのプロフィール写真に、満面の笑顔で写っていたことを覚えているのみだ。


(画像提供:海上自衛隊掃海隊群公式Webサイト

しかも、「笑う門には福来たる」であり、明らかに確信犯(故意犯)である(笑)

これは、湯浅のご紹介ページでも書かせて頂いたことだが、もし本当に我が国で有事が発生した際に。

余裕のない表情で部隊指揮を執る指揮官と、余裕のある表情で最前線にも顔を出す指揮官の、どちらを頼もしいと思うだろうか。

誤解を恐れずにいうと、指揮官は極論、神輿である。

日露戦争の際の大山巌-児玉源太郎のコンビを出すまでもなく、大軍を率いる指揮官とは泰然自若として、ただ全軍を俯瞰し、重大な決断を下し、結果責任に覚悟を持つ神輿であればいい。

そんな中で、指揮官が不安そうな顔をしていれば、それだけで部隊の戦闘能力・作戦能力は低下し、我が国は戦う前から敗れ去るだろう。

そういった意味で田浦は、我が国の最後の砦である北部方面隊を率いるのに、もっともふさわしい将官であった。

後述するが、田浦の自衛官人生は常にハードであり、余裕のある任務は全く無かったはずだ。

時にはギリギリの厳しい決断を下したこともあったはずだが、私(管理人)はこれまで、田浦のことを悪く言う関係者にお会いしたことがない。

お会いした自衛官、元自衛官の方が皆、田浦への敬意を語り、そしてそのお人柄を嬉しそうに話してくれた。

そんな田浦の信念が見えるようで、冒頭のプロフィール写真はぜひ、最後にもう一度ご紹介しておきたかった一枚である。

では、そんな田浦とはこれまで、どのような自衛官人生を歩み北部方面総監にまで昇り詰めたのだろうか。

最後にもう一度、その自衛官人生を振り返ってみたい。

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