生田目徹(なまため・とおる)は昭和41年生まれ、茨城県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、職種は施設科だ。
平成30年8月(2018年8月) 自衛隊兵庫地方協力本部長・1等陸佐
前職は西部方面総監部総務部長であった。
(画像提供:自衛隊兵庫地方協力本部公式Webサイト)
(画像提供:防衛省入試案内公式Webサイト)
2019年7月現在、平時における国防の最前線とも言える地方協力本部で、本部長を務める生田目だ。
なおかつ、前任であった六車昌晃(第31期相当)をはじめ、多くの将官を排出している大都市の指揮官であり、後職で陸将補に昇任する可能性が十分考えられる兵庫地本長の要職である。
なお上記写真、1枚目はわかりやすく兵庫地方協力本部長に着任後の生田目だが、2枚目は平成5年11月、生田目がモザンビーク国際平和協力隊の第2次輸送調整中隊の要員として、現地にあった時の一枚である。
平成元年に任官したばかりの若者が、その4年後に早速海外での平和活動に従事している時に撮られたものだが、この時まだ生田目は27歳前後。
兵庫地方協力本部長の写真が撮られたときから、実に25年前の写真である。
兵庫地本長の写真も、正直50歳を過ぎている幹部とは思えないほどに若々しくエネルギーを感じるお姿だが、やはり20代後半の初々しさは別格だ。
日本から遥か遠く、アフリカ南東部のモザンビークで我が国の国益と世界の平和のために尽力をしていた若者が、当時と同じ眼力をもったまま1等陸佐に昇り、今日も任務に励んでいる。
さてその生田目だが、このモザンビークでの国際平和協力隊要員として活躍したことを皮切りに、その後は文字通り、世界をまたに掛けて大活躍する人生を送る。
イラク復興業務支援隊、国連日本政府代表部防衛駐在官、南スーダン現地支援調整所長と、その活躍は非常に幅広くワールドワイドだ。
その中でも、もっとも印象深いのはやはり、平成19年から務めた国連日本政府代表部の防衛駐在官だろうか。
防衛駐在官は、全世界45大使館と2代表部に、陸海空自衛官67名が派遣されている(平成30年7月時点)。
内訳は陸海空で31、18、18名だが、そのうち国連代表部に派遣されるのは1等陸佐が1名のみ。
ただでさえエリートポストである防衛駐在官だが、その中でまさに、国家同士の利害が衝突する国連の場に、武官として1名が派遣されるわけだ。
軍事の専門的な見地から我が国の国益に重要なアドバイスを行う、常駐では唯一の自衛官である。
その役割の大きさはもちろん、そのようなポストを任される生田目の人柄、外交力、知見といったあらゆる能力の高さが窺える補職であったのではないだろうか。
国防とは、軍事力だけではない。
むしろ専守防衛を国是とする我が国にとっての真の強さとは、精強な自衛官の実力を基礎に、あらゆる交渉を用いて戦争を回避し、強さゆえの抑止力を発揮すること。
生田目は、そのような大舞台で活躍したキャリアを持つ、非常に稀有な自衛官の一人だ。
ぜひそんな生田目の活躍には、特別な注目の目を注いで欲しい。
では、その生田目とはこれまでどのような経歴を歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。
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