小野打泰子(統合幕僚監部報道官・空将補)|第31期相当・航空自衛隊

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小野打泰子は昭和39年8月19日生まれ、東京都出身の航空自衛官。

昭和62年に青山大学を卒業し航空自衛隊に入隊しているので、幹候は77期、防衛大学校第31期相当の幹部ということになる。

職種は情報だ。

 

平成30年8月(2018年8月) 統合幕僚監部報道官・空将補

前職は第6高射群司令であった。

なお、直近の指揮官ポストである第6高射群司令であった際の指導方針は以下の通り。

 

【指導方針】 俺がやる!

(画像提供:防衛省東北防衛局公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊三沢基地公式Webサイト 広報みさわ440号)

2019年3月現在、統合幕僚監部で報道官を務める小野打だ。

2018年8月の将官人事で空将補に昇り、現役としては航空自衛隊で唯一の女性将官となる。

陸海空・自衛隊では、海上自衛隊の近藤奈津枝(第33期相当)・大湊地方総監部幕僚長と並び、20余万の自衛官の中でわずか2人の女性のうちの1人だ。

営門将補(退職日特別昇任)と医官を除き、女性としては柏原敬子(第23期相当)・元空将補、それに近藤に続いて、史上3人目の女性将官と言うことにもなる。

なお小野打については、平成30年9月に開催された第52回自衛隊高級幹部会同において、訓示を行った安倍総理大臣自らが小野打の昇任にふれ、祝意を送ったことが印象的であった。

それに先立つ1年前、平成29年9月に開催された第51回自衛隊高級幹部会同においては、近藤奈津枝(第33期相当)の活躍にふれ、さらに女性の活躍の場を増やすと宣言していたので、いわば小野打がその期待に応えた形だ。

ますます、美しく強い女性が、制服組の中央でも、活躍する場面が増えてくることだろう。

 

これほどの要職に昇った小野打のことだ。

その活躍はどれも印象深いポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは前職の、第6高射群司令のポストだろうか。

第6高射群は、航空自衛隊三沢基地にその本部を置き、第20及び第23高射隊(八雲分屯基地)、第21及び第22高射隊(車力分屯基地)を隷下に置く、北日本の防空の要となる部隊である。

なお第20及び第23高射隊のある八雲分屯基地は函館の北西部に位置する。

第21及び第22高射隊が所在する車力分屯基地は、津軽海峡にほど近い青森県つがる市に位置する部隊だ。

その要職に小野打が着任したのは平成29年9月。

時期と位置関係を聞いてピンときた人も多いかもしれないが、この時期は半島のお坊ちゃんが高価なおもちゃを使い、やんちゃし放題で楽しんでいた時にあたる。

そして東北~北海道上空を飛び越える形で弾道ミサイルが乱射された際、何度かメディアに登場していたのも、この第6高射群であった。

八雲及び車力分屯基地ではPAC3、いわゆるパトリオット(ペイトリオット)ミサイルの運用を行っているが、当時、これら部隊が機動展開訓練をメディアに公開する形で、その防空能力の高さを見せつけた。

 

そしてその指揮を執り、防空任務に関する大きな責任を担っていたのがこの小野打であった。

あの騒動の影で、この強く美しい女性自衛官が我が国を防衛する最前線に立っていたことは全くニュースになっていなかったので、意外と知る人は少ないのではないだろうか。

まだまだ女性の活躍が珍しかった時代から、男社会の自衛隊に入隊し、男性と同じフィールドで昇任をし続けてきた女性はやはりダテではない。

ぜひ、小野打空将補の活躍に思いを馳せ、覚えておいて欲しいエピソードだ。

 

では、そんな小野打とはここれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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2件のコメント

先頃、中警団司令兼入間基地司令を最後に退官されましたね。

実は小野打氏が2等空尉の時分に、朝霞訓練場で実施された観閲式総合予行でお会いして以来、度々各種メディアでお見かけしてしていたのですが、『ゼネラル』にまで登り詰めたのを知った時はホントに驚いたと同時に、我が事の様に嬉しくなった事を覚えております(←うざ)

7月下旬に開催された入間基地花火大会にて、浴衣姿の小野打氏と実にン十年振りにお会いできて(←当然本人は覚えちゃいない/苦笑)記念写真に収まって頂きました。まさか此の1ヶ月後に退官…と知ってショックでしたが、ギリギリのタイミングでお会いできて(私にとっては)良き思い出となりました。

長い間ご苦労様でした!

ご退官されましたね。
本当に長い間、お疲れ様でした!
記念写真、撮られたんですね
うらやましい・・・!

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