近藤奈津枝 (統幕首席後方補給官・海将補)|第33期相当・海上自衛隊

近藤奈津枝(こんどう・なつえ)は昭和41年1月13日生まれ、山口県出身の海上自衛官。

昭和63年に山口大学を卒業後、1年間、非常勤講師として中学校で国語教師を経験した後に、たまたま見かけた自衛官募集のパンフレットを見て海上自衛隊に入隊した異色のキャリアを持つ。

幹候は40期であり、第33期相当の幹部ということになる。

平成28年12月(2016年12月) 統合幕僚監部首席後方補給官・海将補

前職は海上幕僚監部厚生課長であった。


(画像提供:自衛隊統合幕僚監部公式Webサイト


(画像提供:防衛省公式Webサイト

2018年10月現在、統合幕僚監部で首席後方補給官を務める近藤だ。

言わずと知れた、医官を除く海上自衛隊初の女性将官であり、女性活躍社会の扉を開いた非常に功績のある最高幹部である。

そしてその近藤。

先述のように元々、今で言うところの非正規として大学卒業後に中学校の教壇に立ったが、1年後には海自の幹部採用試験に合格。

「正規職員だったので、必要とされていると感じ」そのまま”転職”を果たし、海自の門をくぐった入隊の経緯を持つ。

しかし、時代は昭和から平成になったばかりの平成元年である。

防衛大学校が女性1期生を受け入れたのは平成4年であったが、それよりも3年も前であり、女性が活躍できる職域は極めて狭い。

さらに当時、今からは考えられない事ではあるが、江田島の幹部候補生学校を卒業してそのまま出港する海自の伝統行事、「遠洋練習航海」にも同行を許されなかったという。

当時はまだ、護衛艦は男性のみであり女性の居住区がなかったためとは言え、わずか30年ほど前の世界は、このような対応が常識であった。

長い自衛官人生の中で近藤自身、「独身で子供もいないので、性別の差を感じたことは余りない」とする一方、この時の出来事だけは本当に悔しかったと振り返る。

そんなこともあり、近藤は結局、夢であった水上艦艇の幹部としての勤務は叶わず、経理補給系で活躍。

しかし平成6年8月から1年間、練習艦やまぐもの補給長として洋上勤務を経験し、船乗りの夢を果たした。

もう四半世紀も前のことだが、長い自衛官生活の中でも今も、非常に思い出深い勤務であったと振り返るのも当然だろう。

このような、夢に向かって誠実に努力を重ねてきた先人がいるからこそ、今の自衛隊がある。

近藤の背中を追い自衛隊に入った多くの女性幹部たちは、防衛大学校女子1期生が早くも2021年には1選抜で将官に昇る年次になってきた。

陸上自衛隊では、弥頭陽子(第40期)あたりが、1選抜で陸自史上初の将官に昇るとも噂されている。

航空自衛隊では、2018年夏の将官人事で、小野打泰子(第31期相当)が史上2人目(営門将補を除く)となる空将補昇任を果たした。

さらに2018年夏には、女性初の戦闘機パイロットとして松島美紗2等空尉が、全ての課程を修了し、実戦デビューを待つばかりだ。

今後も更に多くの女性将官が誕生し、そう遠くない将来には、女性初となる幕僚長も誕生するかも知れない。

しかし、そのような時代が来たとしても、いうまでもなく近藤が成し遂げてきた数々の功績と、フロンティアとして積み上げてきた実績は、永きに渡って多くの人の心に残り続けるはずだ。

それが、フロンティアとして道を拓いたものだけに与えられる栄誉であり、近藤の名前は歴史に残る自衛官として、未来に渡り語られることになるだろう。

では、そんな「歴史の教科書」に載るかも知れない近藤とは、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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