小野賀三は昭和35年3月生まれ、奈良県出身の航空自衛官。
防衛大学校第26期の卒業で幹候は72期の出身だ。
平成29年12月(2017年12月) 航空総隊副司令官・空将のポストを最後に退役となった。
前職は航空自衛隊幹部学校長であった。
なお、航空総隊司令部の公式Webサイトには、出身地が奈良となっているが、防衛年鑑では京都となっている。
恐らく奈良北部、京都南部の微妙な県境あたりの出身で、本籍地と出身地の表記が異なるのではないだろうか。
【以下、2017年12月21日加筆】
ついに、26期組の最後の空将二人が自衛隊を去った。
1名は情報本部長であった宮川正(第26期)で、そしてもう1名が小野だ。
2017年12月に、丸茂吉成(第27期)・航空幕僚長の着任が決まった段階での退役だった。
装備や補給系の要職を歴任し、また一方で第2術科学校長や幹部学校長を務めるなど、確かな知見で後進を多く育てる責任者としても手腕を発揮。
小野が空自で育て、そして残した多くの人材は、今後も日本の平和と安全に貢献し続けてくれるだろう。
長い間、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
まずは、40年近くぶりとなる何もしない生活で積年のお疲れを癒やされますよう。
小野空将の第2の人生が素晴らしいものになりますよう、心からお祈りしています。
【以下、2017年11月9日記述】
宮川正(第26期)・情報本部長と並び、航空自衛隊で最後の26期出身空将となった小野だ。
他に26期の空将は、尾上定正(第26期)・ 航空自衛隊補給本部長と小城真一(第26期)・航空支援集団司令官(いずれも退役時のポスト)の両名がいたが、いずれも早期退職勧奨を受け、長い自衛官生活に終止符を打ったのが2017年8月。
陸上自衛隊では、27期組の幕僚長である山崎幸二(第27期)がトップに着任したように、自衛隊の中心となる最高幹部は、次第に27期以降にシフトしつつあるのが2017年11月の状況だ。
恐らく航空自衛隊も、2017年12月か、遅くとも2018年3月には、航空幕僚長人事で動きがあるだろう。
その際には、あるいは26期の宮川が、そのキャリアから考えて極めて僅かながら一般大学出身者として極めて例外的な航空幕僚長着任の可能性が無いわけではないが、現下の状況では小野の上司にあたる前原弘昭(第27期)・航空総隊司令官か、丸茂吉成(第27期)・航空幕僚副長の着任が順当だ。
その場合には、小野を含めた26期組と、27期から一部は28期にまで及ぶ、空将の退役人事があるだろう。
どれほど優秀で、国防に対し大きな貢献があった将官であっても、退役の時が来るのは避けられない。
軍事組織は人事やドクトリンの硬直化を嫌う。
嫌うというよりも、強制的に排除する仕組みを保たない限り必ず硬直化し、視野狭窄になり、属人的な組織運営が行われるようになる宿命を持つ。
それは、意思決定の全てが人命に関わる重大事であり、先例を重視し保守的にならざるをえない傾向があること。
また上官の命令が絶対であるという軍事組織の特性上、属人的な考え方を組織に根付かせると、合理性が排除されてしまうという傾向があるためだ。
このようなこともあり、自衛隊幹部では上に行けば行くほど、「組織の新陳代謝」のために転属が早くなり、また場合によっては早期退職勧奨を受けることになる。
軍事組織が精強さを保つために必要な人事制度であるとは言え、長年に渡り国防に尽くしてきた自衛官個人のことを考えると、なかなか居た堪れない制度だ。
そして小野は、今まさにその渦中にあるといえるかも知れない。
空将に昇り、そして航空自衛隊の実力集団である航空総隊を指揮する副司令官に着任した小野だ。
そのキャリアは極めて充実しており、まさにトップエリートとして、我が国の平和と安全に常に貢献をし続けてきた人生がある。
航空自衛隊の入隊は昭和57年3月。
1等空佐に昇ったのが平成13年1月なので、26期1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。
その後、空将補に昇ったのが平成20年12月であり、第2術科学校長や第1補給処長、航空幕僚監部装備部長といった要職を歴任。
そして、航空自衛隊幹部学校の校長に着任し、10年後、20年後にかけて我が国の国防を背負うことになる後進育成の責任者を託されたのが平成26年で、本職への着任と併せて空将に昇任した。
さらに平成28年12月からは、航空総隊副司令官に就き、我が国の国防の要である全ての航空戦力を指揮する副司令官を務めている。
その役割は、主に後方支援系職種出身幹部としての慧眼を発揮することだ。
現代の安全保障に関する考え方は、航空自衛隊に限らず、1国単独での防衛体制の整備は現実的ではない。
そのため、兵器開発はもちろん、航空機の部品や装備品の調達、補給品の保管といった考え方も、広く同盟国もしくは友好国の間で融通し合う仕組みを持つ必要がある。
特にF-35戦闘機のような、その開発と部品の調達に多くの国が関わっているプロジェクトでは多国間の連携が欠かせない考え方になっており、補給系職種の役割は国内だけで完結しなくなりつつある。
これは言い換えれば、兵站を始めとした後方支援業務はもはや国際的プロジェクトであり、技術的に優れていれば仕事をこなせた時代は終わったことを意味する。
後方支援職種にも、外交能力や国際情勢への精通は不可欠な要素となり、時に名実ともに国家の命運を握ることになる存在であるといえるだろう。
そのような、兵站や装備、基地業務に精通している小野が、航空総隊の副司令官に着任したのは極めて妥当な人事だ。
任期ある限り、その知識と経験を最大限傾け、我が国の平和と安全のために力を尽くしてくれるだろう。
寂しいことだが、間もなく退役の時を迎えることは間違いのない小野だ。
しかし、そんなことは関係なしに全力で任務を果す、自衛隊最高幹部が持つ矜持がある。
ぜひ、この26期の「古強者」の最後の活躍に、一人でも多くの国民が注目し、そしてエールを送ってほしい。
◆小野賀三(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
57年3月 航空自衛隊入隊(第26期)
平成
5年1月 3等陸佐
8年7月 2等陸佐
13年1月 1等陸佐
13年4月 幹部学校付
14年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
15年3月 航空幕僚監部防衛部装備体系第2班長(市ヶ谷)
16年4月 統合幕僚会議事務局(第3幕僚室企画官)(市ヶ谷)
17年8月 第8航空団基地業務群司令(築城)
18年8月 航空幕僚監部防衛部装備体系課長(市ヶ谷)
20年12月 第2術科学校長(浜松) 空将補
22年7月 第1補給処長(木更津)
23年8月 防衛監察本部監察官(市ヶ谷)
24年7月 航空幕僚監部装備部長(市ヶ谷)
26年8月 航空自衛隊幹部学校長(目黒) 空将
28年12月 航空総隊副司令官(横田)
29年12月 航空総隊副司令官のポストを最後に勇退
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 目黒基地公式Webサイト(式典写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/meguro/katudoujyoukyou/28/katudoujyoukyou-index.html
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