小島肇は昭和26年12月24日宮崎県生まれ、熊本市出身の元陸上自衛官。
防衛大学校第19期の卒業で幹候56期、現役時代の職種は普通科であった。
平成18年12月、2等陸佐で陸上自衛隊を定年退官。
退役後に独立し、HAJIMEVISIONを創業して映像クリエイターとして活躍する、異色の元陸上自衛官である。
当サイトでたびたび貴重な画像を頂き、また現役時代の知見を教えて頂いている小島元2佐だ。
退役後は、九州生まれでありながら現役時代そのままに北海道に居を構え、北部方面隊を中心に様々な素晴らしい映像を世に届けるなど、非常に意義深い仕事を続けられている元自衛官である。
その小島元2佐の生き方や仕事ぶりを今回、ぜひご紹介したいと思い、お願いにお願いを重ねてやっと記事にさせて頂いており、本当にワクワクしている。
ではなぜ、自衛隊や自衛官をご紹介する当サイトで、10年以上も前に退役をされた小島元2佐をご紹介するのか。
それは、小島元2佐をご紹介することがさらに自衛隊を精強ならしめて、我が国の国防を確かなものすることに繋がると確信しているからだ。
いつもとは少し勝手が違うが、ぜひ最後までお付き合いを頂ければと思っている。
以下、いつもどおり敬称略で進めていくことをお許し頂きたい。
その小島が退役後に経営している事務所は、そのお名前から取ったHAJIMEVISION。
一般的なドキュメンタリービデオ制作や社史・自分史の記録作成などを手掛ける他、陸上自衛隊、とりわけ北部方面隊の勇姿を撮影するにあっては日本一の映像作家であると言って良い、凄腕のカメラマンである。
http://www.military-spirit.com/
なお、その小島だが、当たり前だが元々は一般的な幹部自衛官である。
映像クリエイターという仕事にはもちろん何の縁もゆかりも無い自衛官人生を送っていた。
そんな自衛官人生の中で、「映像の力」と初めて出会ったのが、昭和59年(1984年)であったそうだ。
陸上自衛隊倶知安駐屯地勤務時代であったとお聞きしているので、実に35年も前の話となる。
当時、レンジャー教官として教育の傍らビデオを回し、学生たちに贈ったところこれが評判になったことをきっかけに、映像の魅力にドハマリしたそうだ。
なお上記画像は、その倶知安第29普通科連隊でレンジャー教育主任教官だった時に撮影されたものである。
中央で着帽しているのが小島。
戦闘服もドーランも今とは違う、前時代的なものを感じさせる、本当に貴重な一枚になっている。
その後、平成2年には第11師団広報室長として映画「マドンナのごとく(名取裕子主演、加藤雅也、宍戸開共演)」の撮影協力を行ったことで、映像作家としての才能が開花。
退役後に映像クリエイターとして独立して、今も自衛隊の勇姿を伝えるなど、多くの作品を世に送り出す小島の原点となる。
なおその小島。
19期の防大時代には、同じ中隊に第4代統合幕僚長であった岩崎茂(第19期)がいたそうだ。
また小隊指導官が、初代統合幕僚長であった先崎一(第12期)であったと言うのだから、本当に時代を感じさせる。
御年67歳(2019年5月現在)になられるが、冷戦時代真っ只中に北方で活躍をされた元幹部自衛官のお話はとても貴重であり、いつも刺激的で本当に興味深い。
ところである時、その小島が私にぼそっと言ったことがある。
「ところで桃野くん、君はいったい何期なんだ?」
「え・・・(汗」
このサイトについてでも明記をさせて頂いているのだが、この場をお借りして改めてご説明しておきたい・・・。
私は元自衛官どころか、自衛隊に体験入隊すらしたことがない一般人である。。
地方の防衛協会に所属し、また10年近く前に防衛省の防衛モニターを2年間拝命していたことはあるが、自衛官経験そのものは一切ない。
あ、2018年には千葉の自衛隊協力会にも参加を認めて頂けました ^^v
にも関わらず、このようなサイトを運営し、自衛隊と自衛官を勝手に応援しているただの小市民である。
実は小島に限らず、私が元幹部自衛官であると思って話し始めて頂ける自衛官の方はとても多いのだが、そのような時、私は大概、震え上がっている・・・。
私は純度100%の一般人です、どうぞお許しくださいませ・・・。
自衛官も、現役だけで20数万人もいれば本当に人生は様々だ。
最高幹部まで昇り、メディアなどで引っ張りだこの論客として活躍する人。
任期付自衛官として根性を鍛え上げ、一般企業に転じて活躍する人。
酒に酔って暴れ、1選抜の出世の道をぶち壊した偉い人。
そして小島のように、自衛官時代の経験が縁で起業に成功したレアな人など。
そしてこれからも、多くの自衛官が新たに入隊し、そして退役して第二の人生を歩んでいくのだろう。
そんな時に、ふと何かの拍子で「こんな活躍をしている人もいますよ」ということで、小島の活躍を知ってもらえればと。
こんな自衛官生活と退役後の生活もあるのだということを、あるいはこれから自衛官を志ざす人の参考にもなればと思い、今回記事にさせて頂いた次第だ。
何かの参考になりお役に立てれば、嬉しく思う。
自衛官として活躍することは、生きていく上でも意外なスキルが身につくものだということを、小島の人生が雄弁に語ってくれている。
与えられた任務を全力で、最高の完成度でこなし続けたからこその結果ではあるが、こんな第二の人生も、本当に魅力的なのではないだろうか。
ぜひ、これから自衛官を目指そうと考えている若者には、リスクではなくこのようなサクセスを夢見て欲しい。
そして一人でも多くの若者に、自衛隊の門を叩いてもらえればというメッセージを、小島の人生を通して発信させて頂きたいと思って記事にした。
もし、自分が詰まらない人生を送っていると思っている若者がいれば、騙されたと思って自衛隊の門を叩いて欲しい。
私自身は、繰り返しになるが自衛官の経験はない。
しかし私は、小島をはじめとした数多くの誇りある自衛官の皆様の人生を、直接取材をさせて頂いて知っている。
具体的なお名前を挙げるのであれば、例えば一般2等陸士・小銃手から自衛官人生を歩み始め、2等陸佐・第1空挺団第3普通科大隊長にまで昇りつめた石本龍一(第40期相当)。
さらに、下士官として2度の米国留学が認められ、イラク戦争後のサマーワにも渡り世界の平和に多大な貢献をされた、加藤直樹(曹学8期)。
自衛隊がどれほど、ひとりひとりの本気の努力に報いる組織であるのかを知っている。
もし自分が、適性がないと思いながら仕事で苦しんでいるのであれば。
あるいは、毎日同じ作業ばかりで働きがいが見えないと思いながらアルバイトで消耗している人がいるのであれば。
そんなつまらないことに人生の時間を消費せずにぜひ、自衛隊の門を叩いて欲しい。
本気で努力すれば、2等陸士(見習い兵士)から、誰でも石本龍一・元大隊長のようになれるだろう。
本気で頑張れば、加藤直樹・元最先任上級曹長のように各国に国費留学が許され、世界の平和を背負って立つ人材になることができるだろう。
小島のように、現役時代のスキルの延長で思わぬ第2の人生が広がることもあるはずだ。
人生の展望が見えない環境でくすぶっているのであれば、ぜひ少しの勇気を持って、自衛官という職業を選んでみてはどうだろうか。
自衛隊・自衛官は決して、人を殺し戦争をするための存在でも道具でもない。
世界の平和を心から願う、心身ともに本当に強いプロフェッショナルの集団だ。
僅かでも自衛隊と関わりを持ち、また小島を始めとした誇りある数多くの自衛官・元自衛官の皆様と交流を重ねる機会を頂けた今、そのことを心から確信している。
(了)
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
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