植森治は昭和44年3月31日生まれ、元ブルーインパルス2番機パイロットで福岡県出身の航空自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候81期、出身職種はもちろん操縦で、F-15戦闘機のパイロット、いわゆるイーグルドライバーでもある凄腕パイロットだ。
平成29年8月(2017年8月) 飛行教育航空隊司令・1等空佐
前職は航空幕僚監部総務部総務課広報室長であった。
(画像提供:航空自衛隊新田原基地公式Webサイト)
(画像提供:航空自衛隊公式Webサイト)
2019年5月現在、航空教育集団隷下の飛行教育航空隊で司令を務める植森だ。
かつて1尉の頃に、栄光のブルーインパルスで2番機を任され、日本中を勇気と感動で包んだ男である。
しかしながら、やはり時間は確実に植森を若者からベテランパイロットに変え、今は堂々の貫禄で後進の育成にあたる兄貴分パイロットだ。
人の良さそうな笑顔から伝わる面倒見の良さは、後進に夢と希望を与える仕事という意味では当時と何も変わっていない。
なお、その司令職を務める飛行教育航空隊だが、主にF-15戦闘機のパイロットを養成・訓練する部隊となっている。
植森自身も、ここ新田原でF-15戦闘機への機種転換操縦課程で入校したことがあり、それ以来となる20年ぶりの懐かしの任地だ。
しかも今度は、これからF-15戦闘機に乗り、国防の最前線で戦っていくことになる若者を育てるのだから、その気合いの入り方も相当なものであろう。
空を愛し、空に愛された男にとってまたとない、最高の部隊を任されたことになる。
なおその植森。
ブルーの翼を畳んだ後には、第6航空団第306飛行隊長、すなわち国防の最前線である小松基地で、F-15戦闘機部隊を率いたキャリアも持つ。
全ての異動を把握しているわけではないのでとても断言はできないのだが、おそらくブルーのパイロットを経験してから、その後に最前線部隊の飛行隊長を経験しているパイロットというのは、そう多くはないのではないだろうか。
驚き呆れるほどに、航空自衛隊のパイロットとして幅広いキャリアを積んできたレジェンドである。
50歳を過ぎてから教育隊を任されることになるのは、文字通り天職であると言ってよいだろう。
では、これほどの栄光に満ちたパイロット人生を歩んできた植森とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
同期である35期の動向と併せて、そのキャリアをもう少し詳細に見ていきたい。
先日、首都圏上空を飛行したブルーのことを思い出しながら、興味深く拝読しました。
麻生大臣の件で吹きました。
浦◯さん、何してるんですか?
( ゚∀゚)