加藤直樹(かとう・なおき)は昭和39年4月25日生まれ、群馬県高崎市出身の元陸上自衛官。
地元の高校を卒業後、一般陸曹候補学生の第8期生として武山に入隊、現役時代の職種は普通科で主に北海道で勤務した。
平成30年4月、3等陸尉で陸上自衛隊を定年退官。
退官後は、現役時代に身に着けた語学力を活かして外国公館で勤務する、誇り高き元陸上自衛官である。
さて今回、私(管理人)の長年の願いが叶ったとも言うべき企画をご紹介できることを、とても嬉しく思っている。
それは、下士官のご紹介だ。
それも、下士官を極めた本物のプロのご紹介である。
折に付け書かせて頂いているが、普段、当サイトでは幹部自衛官のご紹介が中心の内容になっている。
しかしそれは、防衛省の公開情報が幹部自衛官、その中でも1佐以上の階級に限られている事がほとんどだからだ。
可能であれば、幹部以外の曹士についてもご紹介をしたいと思っていたところ、かねてからお世話になっている小島肇(第19期)・元2等陸佐から、今回ご紹介する加藤にお引き合わせを頂いた。
そして非常に興味深いお話をたくさん聞くことができたので、ムリにムリをお願いして今回、記事にさせて頂いている。
この場をお借りして、関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました!
さて、その下士官を極めたプロ中のプロ、加藤についてである。
自衛官時代のほとんどを下士官(陸曹)として過ごした加藤の経歴は、本当に異色だ。
そもそもの入隊の動機が「銃が撃てるからでした」と、まるで小学生のような理由で自衛官になろうと思ったことを、楽しそうに話す。
「警察でも良かったのでは?」と質問すると、加藤は、自身が中学時代に夢中になったTVドラマ「コンバット」の主人公であるサンダース軍曹に憧れてたと、やはり子供のように笑う。
結局、かの有名なサンダース軍曹に少しでも近づきたくて、本当に自衛隊に入隊してしまった経歴の持ち主だ。
平成18年度の第32期生募集が最後となった、一般曹候補学生第8期での入隊である。
こんな嘘のような理由で自衛官になった加藤だが、もちろんただのミリオタでガンマニアというわけではなかった。
陸曹に昇任後、小平の調査学校(当時)で英語を学んだ加藤は、師団司令部勤務に抜擢され概況説明や外国資料の翻訳などで力を発揮。
さらに、その活躍の場を方面総監部にステップアップさせると、陸上自衛官として初めて米国陸軍上級曹長学校(テキサス州エルパソ市)戦闘幕僚下士官課程に留学を許される。
そして、帰国後に入校した中堅隊員の義務教育、陸曹上級課程では首席で卒業。
嘘のような結果を出し続け、北海道内の上級司令部勤務を極めることになった。
しかし、あるいは 小銃好き 現場好きの加藤の血が、そうさせたのだろうか。
ここで一転、自ら志願し第一線普通科連隊での勤務に復帰することになるのだが、残念ながら(?)ここでも、現場勤務は長く許されなかったようだ。
装甲戦闘車の分隊長として連隊で勤務中、加藤は二度目の米国留学を命じられることになる。
今度もまた、米陸軍の下士官教育における総本山ともいうべき、上級曹長課程への留学だ。
ちなみに米国陸軍上級曹長課程への留学は、陸自から年にたった2名だけが選抜される、狭き門である。
またこの課程は他の陸曹の留学と違い、米軍からの要請で下士官を派遣する、いわば交換留学生としての軍事交流の意味を持つ非常に重要なものだ。
「陸曹が二回も留学させてもらえる訳がないだろう」と、周りからの否定的な声もあったそうだが、それだけ非常識なことを実現させてしまったことになる。
そしてここから、加藤の人生はさらにスケールを増し、世界をまたにかけて活躍していくことになる。
[…] 以前インタビューをして頂いたご縁で、今回は、お忙しい中GunTREXにお立ち寄りくださいました。 […]
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