2度目となる米国留学は、家族を伴い1年を超える米国生活となったそうだが、やはり世界各国からエリート下士官が集う教育課程である。
様々な困難に直面することも多かったそうだが、しかし日本を代表する陸曹として参加している以上、加藤の不甲斐なさは直ちに、陸自の不甲斐なさとして国の恥になる。
そのため、心身ともにプレッシャーは大きかったと話すが、そのたびに、「もし、サンダース軍曹だったらどうするだろう?」と自問自答して乗り越えていったそうだ。
なお上記写真1枚め、前列中央に立つのが加藤だが、一番目立つ場所に堂々と立つのは、
「日本から来た自衛官として、小さくなっているわけにはいかない」
という強い思いもあったそうだ。
そしてこの留学でも成果を上げ帰国すると、加藤にはさらに、大きな仕事が待ち受けていた。
それはなにか。
自衛隊のイラク派遣であり、加藤はこの際、イラク派遣の第1陣として参加している。
「第1陣と言えば、現地の情勢も判明せず、また戦後で治安も悪かったはずです。恐怖はありませんでしたか?」
と聞く私に、加藤は当時を思い出すように少し考えてから、
「恐怖はありませんでしたね・・・」
と前置きし、実弾を装填した銃を携えての勤務は、誤解を恐れずに言えばやっと、自衛隊が果たすべき任務ができていると感じたことを話してくれた。
そして、世界の平和に大いに貢献できていることを、肌感覚で感じることができる、自分にとっての黄金時代であったという。
ちなみにこの際の加藤の上司は、「ひげの隊長」で有名な、現・参議院議員の佐藤正久(第27期)。
27期と言えば、現・統合幕僚長の山崎幸二(第27期)と同期ということになる。
山之上哲郎(第27期)・元陸将も同期です・・・皆さん忘れないで(T_T)
なお、上記写真2枚めはその加藤の、イラクにおける活動中に撮られた写真だが、ご覧のようにかなりのイケメンで、その表情はとても充実している。
加藤40歳頃の一枚だが、定年退官後の今も、「人生の黄金期でした」と振り返るだけあって、非常に充実した日々を送っていたことが窺えるようだ。
クールな頭脳に熱いハートをもつ、加藤の魅力が詰まった一枚となっている。
そして、話はイラクから帰国後のことになる。
これだけの成果を出し続けた下士官を、もはや陸幕も放っておくわけがない。
すぐに陸幕から一本釣りされ、実戦感覚と語学力を兼ね備えた下士官として各種日米共同訓練の担当幹部たちをサポートする重要な任務を歴任することになる。
その数、3年間の単身赴任で実に二十数回の海外出張である。
まさに文字通り、下士官を極めた自衛官として、ひたすら世界中に引っ張り回されることになった。
そしてこの頃、陸自では上級曹長制度の検証が始まっていたのだが、制度が導入されるとさっそく加藤は、上級曹長に任命されることになった。
当時、陸曹教育部隊の区隊長兼軽火器教官だった加藤は、連隊長から「連隊最先任上級曹長」を命ぜられ、その後「陸曹教育隊最先任上級曹長」、「混成団最先任上級曹長」と次々に要職を歴任する。
結局、退役までに3個部隊で計5人の指揮官を直接補佐することになった。
そして、主に戦場における基本基礎の徹底を一任された加藤は、小銃の銃口管理を主軸としたガンハンドリングを浸透させるため、自ら小銃を携行して現場を回り、範を示す。
なおこの時の加藤の信条は、「口を出さずに顔を出す」であったそうだ。
正直ちょっとよくわからなかったのだが、自衛官ならわかる何かがあるのかもしれない。
さて、これほどまでに充実した成果を残してきた加藤にも、退役の時が近づいてきた。
そして最後に選んだポストは、新隊員教育隊であったそうだ。
自身が学ばせてもらった経験や知識を、余すこと無く次世代に伝えていきたい。
最後まで組織に献身的であった加藤は迷わずその道を選ぶ事になったのだが、これほどの成果を残した自衛官を、黙って退役させるわけには行かなかったのだろう。
退役間近の平成28年度には、陸上自衛隊優秀隊員として、岡部俊哉(第25期)・元陸上幕僚長から直接顕彰される栄誉を受けている。
そして平成30年4月、惜しまれながら54歳で、自衛官としての制服を置いた。
まさに、最後まで職人として駆け抜けた、下士官の鑑のような自衛官人生であった。
その加藤だが、退役後にはどんな人生を送っているのか。
やはりこれだけの経歴と語学力の持ち主なので、すぐに外国公館での再就職が決まったそうだ。
そしてその傍らで、自宅から車で30分のところに退職金で土地を購入し、私設エアガン射場を設立してしまっている・・・(最初はなにかの冗談だと思ったが、本当だった・・・)。
なんというか、まさに三つ子の魂百まで、である
^^;
そして、銃の技量を磨くために多くの後輩にも射場を提供し、今も現役自衛官と楽しく交流を続けているそうだ。
そんな加藤が、インタビューの最後に、
「ぜひ最後に、これだけは聞いて欲しい」
と私に、改まって話してくれた事がある。
きれいな姿勢に伸びた背筋は、現役自衛官そのままであり、立ち姿勢だけでなく座り姿勢も本当に美しい。
それはなにか。
「幸いにも今は、自衛隊に対する国民の支持が高まっており、とても仕事がしやすい環境かも知れません」
そう話し出した加藤が何を語るのか、やや緊張しながら次の言葉を待つ。
すると、その話は意外なものだった。
「しかし、自衛官というのは、特別な人間だけができる、特別な仕事であると思ってほしくないのです。」
その後も、加藤の熱を帯びた話は続く。
とても長いものであったが、その内容は要旨、以下のようなものだった。
自分(加藤)のような中途半端でつまらない人間でも、自衛隊はここまで仕事ができる人間に育ててくれたこと。
災害派遣などで活躍する自衛官を見ていると、自分にはとてもできないと尻込みする若者が多いが、けっしてそんなことは無いこと。
自衛隊は、本人の希望や特質をしっかりと見極め、必ずその得意分野の能力を開花するノウハウを持ち合わせています、ということ。
だからこそ、万が一、人生でドロップアウトしてしまったと自分の人生に悲観している若者がいれば、ぜひ自衛隊の門を叩いて欲しい。
自衛隊は、本人の熱意次第で私(加藤)のように、あらゆる教育を受けさせてくれた上で、世界をまたにかけた活躍すらもさせてくれる組織だということを、わかってほしい。
小さくくすぶらないで欲しい。
ぜひ若い人には、熱いハートを持って、自衛隊にチャレンジして欲しい。
そんなことを、繰り返し熱い言葉で、話してくれた。
正直、加藤ほどの男が「自分みたいなつまらない人間」という謙遜は言いすぎでありハードルを下げ過ぎだと思うが、それでも加藤自身、高校を卒業し、すぐに自衛隊に入隊したノンキャリの自衛官だ。
その加藤が、米国に2度も留学しただけでなく、20数回も海外出張を重ね、エリート自衛官を補佐し続け、最後には陸上幕僚長から直接、表彰を受けるほどの凄い自衛官になってしまった。
さらに退役後は、その人間性と能力の高さを買われ、外国公館に採用されるという第二の人生を送っているのである。
この取材を通して私は、自衛隊という組織の本当の強さを知ることができた思いだ。
もちろん、いつもご紹介している幹部自衛官の凄さに対する思いは、いささかも変わることはない。
それでも、その幹部自衛官を支える優秀な下士官がいるからこそ、そしてその下で誠実に任務に励む陸士・海士・空士がいるからこそ、我が国の自衛隊はこれだけ精強なのだと。
そんな事実を、加藤の人生は物語っているような気がする。
20余万人の自衛官の皆様。
幹部だけでなく、その多くを占める曹士の皆様と、そしてそのご活躍を支える配偶者様、ご家族の皆さまを、一国民として心から誇りに思います。
これからもぜひ、任務に奨励されますことを。
そんな皆様を、さらに応援していきたいと思います!
(了)
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
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