木原邦洋(きはら・くにひろ)|第40期・第39普通科連隊長

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木原邦洋(きはら・くにひろ)は長崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第40期の卒業で幹候77期、職種は普通科だ。

 

平成30年8月(2018年8月) 第39普通科連隊長兼ねて弘前駐屯地司令・1等陸佐

前職は北部方面総監部防衛課長であった。


(画像提供:陸上自衛隊弘前駐屯地公式Webサイト


(画像提供:陸上自衛隊弘前駐屯地公式Webサイト

2019年10月現在、日露戦争第8師団以来の伝統を誇る弘前の地で、第39普通科連隊長を務める木原だ。

我が国が誇る東北の強兵・歩兵第31連隊の伝統を引き継ぐ非常に名誉ある連隊であり、この連隊長職を任される幹部は、その後将官まで昇った者も多い。

 

少し話が逸れるが、第39普通科連隊の前身である歩兵第31連隊についての活躍を、先にご紹介しておきたい。

同連隊がもっとも勇名を馳せたのは、日露戦争の黒溝台会戦であった。

この局地戦では、作戦指導の失敗もあり日本軍は窮地に陥り、歩兵31連隊は自軍の5倍にもなるロシア軍の猛攻にさらされる。

そして、弘前第31連隊が守る正面を破られると、日本軍は分断されそして各個撃破され、全軍が総崩れになる危機に陥っていた。

 

この際、31連隊が破られ日本軍が総崩れになり日露戦争に敗れていたら、その後の日本がどうなっていたのか。

その命運は明らかだ。

ロシアが周辺の弱小国を併合し、ソビエト連邦を構成してきた歴史とその扱いを見ても、日本という国家が事実上消滅する危機を迎えていたと言ってよいだろう。

そしてそのような中、31連隊は甚大な被害を出しながらも最後までこの猛攻を耐え、全軍を崩壊の危機から守り抜き、もって日本陸軍反攻の足掛かりを築いた。

戦後、その活躍は国民にも広く知られることになり、31連隊などを主力とする第8師団は「国宝師団」の名誉ある称号を与えられることになるのだが、そのようなこともあるのだろう。

時代は変わり組織は陸上自衛隊に変わっても、この31連隊の伝統を引き継ぐ第39普通科連隊は、今も精強な曹士を揃え、その指揮官にはエース級の幹部が投入されることが多い。

 

例えば、現役の幹部である。

連隊長は木原で第30代だが、

 

第23代 本松敬史(第29期)・西部方面総監(陸将)

第24代 吉田圭秀(第30期相当)・北部方面総監(陸将)

第25代 佐々木俊哉(第32期)・自衛隊情報保全隊司令(陸将補)

第26代 鳥海誠司(第34期)・教育訓練研究本部教育部長(陸将補)

※肩書は全て、2019年10月現在

 

などとそうそうな顔ぶれになっており、歴代の連隊長の多くが将官に昇任する年次になると、より重い責任を担うポストに補されている。

なお、木原の前任である北島一(第39期)も、後職で統合幕僚監部運用部運用第2課長に着任しているので、近い将来に将官に昇ることは間違いないだろう。

現役以外でみてみると、例えば第15代連隊長であったのは先崎一(第12期)。

第29代陸上幕僚長を経て、初代となる統合幕僚長に昇り詰めた幹部だ。

 

これだけをみても、いかにこの弘前の強兵に対する陸自の期待が大きいか。

そしてその連隊長にはエース級の幹部が投入されてきたのか。

その歴史がご理解頂けるのではないだろうか。

そして、それほどまでに歴史と名誉ある第39普通科連隊を、第30代で任されたのが、本記事でご紹介している木原である。

ぜひ、その活躍に注目し応援して欲しい。

 

ではそんな名誉あるポストを任された木原とは、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。

少し詳細に見ていきたい。

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