【退役】本松敬史(西部方面総監・陸将)|第29期・陸上自衛隊

 

本松敬史(もとまつ・たかし)は昭和37年7月3日生まれ、宮崎県都城市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は普通科だ。

 

令和2年8月(2020年8月) 西部方面総監・陸将として長きにわたる自衛官生活に別れを告げ、制服を置いた。

前職は統合幕僚副長であった。

なお、西部方面総監時代の指導方針は判明しないが、第8師団長であった時の指導方針は以下通りであった。

 

【統 率 方 針】「任務の完遂」
【要 望 事 項】「足元を固めよ!」

また、要望事項には上記の大項目のもと、以下の訓示が続いていた。

・プロフェッショナルたれ
・南九州三県民とともにあれ
・家族を大切に

(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト

(画像提供:防衛省統合幕僚学校公式Webサイト

2020年8月、我が国の国防の最前線に立ち、この極めて厳しい難局を任されてきた将官がまた一人、静かに自衛隊を去った。

西部方面総監・陸将を務めた、本松敬史(第29期)だ。

昭和60年3月の陸上自衛隊入隊以来、35年に渡る自衛官生活であった。

 

この本松ほど、陸上幕僚長にもっとも近かった幹部はいないであろう。

そのキャリアを見れば明らかだが、若き3等陸佐の時代には第3次ゴラン高原派遣輸送隊長として非常にタフな任務を任され、また連隊長ポストはエリートの登竜門とも言うべき弘前・第39普通科連隊長。

その後、我が国の国防の正面が西方に移ると、沖縄地方協力本部長、第8師団長といった驚異への対処を直接担当する。

そして統合運用任務を強化する今の自衛隊の状況にあって、トップに昇るものとして絶対に経験しておきたい統幕副長も務め、最後のポストになった西部方面総監はまさに、我が国が直面する国防の正面だ。

まさに絵に描いたような、陸幕長に就くものの為に用意されたようなポストを歴任し、そして最後までその全てを完遂し続けた上で迎えた、勇退の日であった。

 

言うまでもないことだが、本松はいつ陸上幕僚長に昇っても全くサプライズではなかった。

というよりも、なにか事情があれば、いつでも陸上幕僚長に昇るために最後までその可能性があった幹部であると言ってよいだろう。

てっぺんのイスだけは期別、巡り合わせといったタイミングも完全に一致しないと就けるものではないが、逆に言うと本松がトップのイスに座ることなく制服を置いたのは、ただそれだけの差であった。

本当に、類まれな実績を残し、また我が国の国防と世界の平和のために尽力を続けてきた、誇りある自衛官人生であった。

そして今は逆に、陸幕長に昇らなかったゆえの身軽さから、一民間人としてさらに活躍を続けて行かれることを、心から期待し、そして楽しみにしたいと願っている。

 

本松陸将、本当に長い間お疲れさまでした。

ありがとうございました。

コロナ禍の中、静かに離任の日を迎えることとなりましたが、多くの国民が本松陸将の国家に対するご貢献、誇りある自衛官人生について、よく存じ上げているところです。

今はその重責から解放され一息つかれている頃かも知れませんが、ぜひ第二の人生でも、さらにご活躍を重ねられることを、心から楽しみにしております。

 

重ねまして、本当にお疲れさまでした。

ありがとうございました。

本松陸将とご家族の皆様のご多幸、ご健康を心からお祈り申し上げます。

 

(2020年10月8日 最終更新)

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以下は、ご在職時に更新していた記事のアーカイブです

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2019年1月現在、統合幕僚副長の要職にある本松だ。

過去陸上幕僚長に昇ったものの多くが、陸幕長の2つ前に経験したポストであり、近い将来の陸幕長最有力候補にある最高幹部の出世ルートの一つになっている。

そして本松自身ももちろん、29期組の陸幕長候補の一人として活躍する。

 

その本松、上記画像はいずれも2018年現在のものなので56歳前後の写真だが、いずれもとても若々しい。

それもそのはずで、本松は今に至るも防衛大学校のハーフマラソン歴代30傑に残っている記録の持ち主であり、その記録は1時間7分00秒だ。

昭和58年に出した記録だが、今もその延長で「趣味はジョギング」と話す。

体の鍛錬を怠らず、自ら厳しい任務に立ち向かう気力を維持すれば、オッサンになってもこれほどの若々しさでいられるのだろうか。

見習いたいものである・・・。

 

さらに本松。

その部下思いの性格・指導方針でもよく知られる最高幹部であり、前職であった第8師団時代の指導方針には、上記の通り「家族を大切に」という項目が入れられていた。

この点について本松は、自分自身が自衛官の子供として幼少期を過ごし、転勤族で寂しい思いをしたこと。

また自らも親として単身赴任を繰り返し、子供の行事にほとんど参加できなかったことから、

「後進にはなるべく家族を大事にして欲しい」

という強い思いを持っているそうだ。

そしてこの思いを訓示に入れ、実際に家族を大事にする価値観を組織に説き、師団長のポストを務めた。

 

幹部自衛官の人生は本当に国家と任務が第一であり、家族と共に過ごす時間を確保することはとても難しい。

本松ももちろんそのような自衛官生活を送ってきたわけだが、特に平成9年1月、33歳で3等陸佐であった時の任務である第3次ゴラン高原派遣輸送隊の隊長を務めた時などは、とりわけそのような思いを深めたのではないだろうか。

ゴラン高原での任務は、イスラエル軍とシリア軍の間に国連軍が物理的に割って入り、その停戦を監視する国連平和活動の後方支援であった。

当然のことながら、その任務には非常な危険が伴う。

実際にゴラン高原派遣輸送隊の任務は2013年3月で終了しているが、これはシリアの内戦が激化し隊員の安全確保が困難になったためだ。

仕事とは言え、家族から離れ、命の危険と向き合いながら国益と世界平和のために働くことは、本当に強靭な心身を持ち合わせている、誇り高い自衛官にしか務まらない。

しかしだからといって、個人の強さに頼っているだけでは組織を強くすることはできない。

恐らく本松は、その自衛官人生の中で自らの軌跡を振り返り、そのように感じて今のような指揮統率スタイルに至ったのではないだろうか。

我が国の統合幕僚監部、すなわち陸海空の全自衛隊を事実上統御する組織のNo.2は、このような、強さと優しさを兼ね備えた最高幹部によって率いられている。

 

では、その近い将来の陸上幕僚長候補の一人である本松とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴をみていきたい。

2 件のコメント

  • 名将たちが去り寂しくなりました。
    29期の末路を見るにやっぱり次の陸幕長は30期で決まりですかね。時期は次の夏でしょうか。早ければ春もあるんでしょうか。

    • 30期もあるかも知れませんが、私はもしかして31期もあるんじゃないかなと。
      その場合、竹本陸将か前田陸将のどちらかですね。

      そして恐らく・・・
      おっと、言い切るのはやめておきます笑

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