本松敬史(統合幕僚副長・陸将)|第29期・陸上自衛隊

本松敬史(もとまつ・たかし)は昭和37年7月3日生まれ、宮崎県都城市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は普通科だ。

平成29年8月(2017年8月) 統合幕僚副長・陸将

前職は第8師団長であった。

なお、第8師団長であった時の指導方針は以下通り。

【統 率 方 針】「任務の完遂」
【要 望 事 項】「足元を固めよ!」

なお、要望事項には上記の大項目のもと、以下の訓示がある。

・プロフェッショナルたれ
・南九州三県民とともにあれ
・家族を大切に

(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト

(画像提供:防衛省統合幕僚学校公式Webサイト

2019年1月現在、統合幕僚副長の要職にある本松だ。

過去陸上幕僚長に昇ったものの多くが、陸幕長の2つ前に経験したポストであり、近い将来の陸幕長最有力候補にある最高幹部の出世ルートの一つになっている。

そして本松自身ももちろん、29期組の陸幕長候補の一人として活躍する。

その本松、上記画像はいずれも2018年現在のものなので56歳前後の写真だが、いずれもとても若々しい。

それもそのはずで、本松は今に至るも防衛大学校のハーフマラソン歴代30傑に残っている記録の持ち主であり、その記録は1時間7分00秒だ。

昭和58年に出した記録だが、今もその延長で「趣味はジョギング」と話す。

体の鍛錬を怠らず、自ら厳しい任務に立ち向かう気力を維持すれば、オッサンになってもこれほどの若々しさでいられるのだろうか。

見習いたいものである・・・。

さらに本松。

その部下思いの性格・指導方針でもよく知られる最高幹部であり、前職であった第8師団時代の指導方針には、上記の通り「家族を大切に」という項目が入れられていた。

この点について本松は、自分自身が自衛官の子供として幼少期を過ごし、転勤族で寂しい思いをしたこと。

また自らも親として単身赴任を繰り返し、子供の行事にほとんど参加できなかったことから、

「後進にはなるべく家族を大事にして欲しい」

という強い思いを持っているそうだ。

そしてこの思いを訓示に入れ、実際に家族を大事にする価値観を組織に説き、師団長のポストを務めた。

幹部自衛官の人生は本当に国家と任務が第一であり、家族と共に過ごす時間を確保することはとても難しい。

本松ももちろんそのような自衛官生活を送ってきたわけだが、特に平成9年1月、33歳で3等陸佐であった時の任務である第3次ゴラン高原派遣輸送隊の隊長を務めた時などは、とりわけそのような思いを深めたのではないだろうか。

ゴラン高原での任務は、イスラエル軍とシリア軍の間に国連軍が物理的に割って入り、その停戦を監視する国連平和活動の後方支援であった。

当然のことながら、その任務には非常な危険が伴う。

実際にゴラン高原派遣輸送隊の任務は2013年3月で終了しているが、これはシリアの内戦が激化し隊員の安全確保が困難になったためだ。

仕事とは言え、家族から離れ、命の危険と向き合いながら国益と世界平和のために働くことは、本当に強靭な心身を持ち合わせている、誇り高い自衛官にしか務まらない。

しかしだからといって、個人の強さに頼っているだけでは組織を強くすることはできない。

恐らく本松は、その自衛官人生の中で自らの軌跡を振り返り、そのように感じて今のような指揮統率スタイルに至ったのではないだろうか。

我が国の統合幕僚監部、すなわち陸海空の全自衛隊を事実上統御する組織のNo.2は、このような、強さと優しさを兼ね備えた最高幹部によって率いられている。

では、その近い将来の陸上幕僚長候補の一人である本松とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴をみていきたい。

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