山田憲和(やまだ・のりかず)は昭和46年2月13日生まれ、青森県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第38期の卒業で幹候75期、職種は普通科だ。
平成29年8月(2017年8月) 第41普通科連隊長兼別府駐屯地司令・1等陸佐
前職は統合幕僚監部総務部総務課勤務であった。
なお、第41普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。
【統率方針】
任務の完遂
【要望事項】
あたりまえのことをあたりまえにやれ
【駐屯地司令要望事項】
1.和
2.あかるくさわやかに
3.地域との一体化
(画像提供:陸上自衛隊別府駐屯地公式Webサイト)
2019年1月現在、大分県の別府駐屯地に所在する、第41普通科連隊長を務める山田だ。
見た目が相当いかついが、防衛大学校在学中はハンドボール部に所属していたキン肉マンである。
なお昭和46年2月の生まれということは、ストレートであれば第37期であったはずだが、38期であるのは一度は一般の大学に入学し、その後防衛大学校に入り直したことによる。
司馬遼太郎の著した日露戦争を巡る人気小説、「坂の上の雲」を読み感銘を受け、自衛隊を志し防大に転じたというのだから、なかなかの逸話だ。
なお突然の余談だが、上記2枚の写真は2018年11月に開催された、別府駐屯地創立61周年記念行事の一コマである。
観閲行進に参加し、手を振っているのはなんと別府市のゆるキャラ、べっぴょんだ。
記念行事の観閲行進にゆるキャラが参加し、観閲官に対して敬礼をしているシーンなど初めてみた・・・。
しかし壇上の山田は、なんとなく横の人と話をしてしまっているように見えるのは気のせいだろうか笑
べっぴょん、かわいそうです(泣)
話を山田に戻す。
そんないかつい山田だが、これまでのキャリアを紐解くと、印象深い補職はやはり、平成25年6月から務めた防衛駐在官の任務だろうか。
しかもこの時の担当先は、レバノン・シリア・ヨルダンの兼務であり相当ムチャである。
何がムチャかと言うと、そもそも3カ国を一人の防衛駐在官が担当するというのもムチャな話だが、この3カ国の兼務と聞いて、それが意味するものとムチャ度合いが分かる人は、恐らくかなりの自衛隊通だ。
レバノン・シリア・ヨルダンとは、中東ゴラン高原を取り囲むように国境を接する3カ国である。
これに加え、イスラエルもゴラン高原で国境を接している。
つまり「中東の火薬庫」として、必ずその国内情勢・外交情勢を抑えておかなくてはならない国々ということだ。
実際に我が国は、2012年まで国連のUNDOF(国際連合兵力引き離し監視軍)に隊員を派遣し、まさにこの中東ゴラン高原で派遣輸送任務を担っていた。
この任務自体、シリアとイスラエルの間に割って入り、停戦を担保する極めて危険な任務であったが、その関係国の間で情報を収集し、「軍人外交」を展開していたのが山田であった。
しかも山田が赴任したのは、実はゴラン高原派遣輸送隊の任務に危険が生じ始め、自衛隊の部隊が2012年末に撤収をしてしまった翌年である。
シリアの内戦が激化し、危険が生じたために自衛隊と関係者が全て撤収した後のこれら3カ国で活動するというのは、まさにムチャ振りというほどに、過酷な任務であったであろう。
日露戦争の際に活躍し、「彼の活躍は、10個師団相当の働きに相当する」と讃えられた陸軍のレジェンドと言っても良いスパイ、明石元二郎並の危険がつきまとったのではないだろうか。
なお2019年1月現在では、「レバノン・シリア・ヨルダン兼務」という防衛駐在官のポストは消滅している。
それどころか、派遣先からシリアがなくなり、レバノン1名(1等陸佐)、ヨルダン1名(2等陸佐)という布陣に改められているが、これはおそらく、この地における防衛駐在官の役割が大きく変わったからではないだろうか。
ちなみに山田の防衛駐在官としての任務は、通常は3年であるはずの任務が2年で終わり、帰国していることも印象的だ。
このようなことから考えても、山田の任務がゴラン高原を巡る中東情勢の情報収集であったことは、まず間違いないのではないだろうか。
見た目だけでなく、そのこなしてきた任務もまさに命がけであったいかつい山田の、世間には全く知られていない凄いキャリアの一つである。
では、そんな見た目もキャリアもいかつい山田とは、これまでどのような経歴を歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その入隊以来の歩みを見ていきたい。
山田憲和さんは現在中央即応連隊長です。
ううう・・・
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