蛭川利幸(中部方面総監部幕僚長・陸将補)|第31期・陸上自衛隊

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蛭川利幸(ひるかわ・としゆき)は昭和39年10月生まれ、鹿児島県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。

 

平成29年3月(2017年3月) 中部方面総監部幕僚長・陸将補

前職は大阪地方協力本部長であった。

(画像提供:陸上自衛隊中部方面隊公式Webサイト 広報飛鳥93号)

(画像提供:自衛隊大阪地方協力本部公式フェイスブック

2019年1月現在、北陸・東海から近畿に加え、中国・四国地方までの広い範囲をその担当区域に収める中部方面隊で、幕僚長を務める蛭川だ。

都市防衛にあたる政経中枢師団・第3師団や、全国あらゆる場所の危機に迅速に駆けつける機動旅団・第14旅団など、多彩な実力部隊を隷下に持つ方面隊であり、我が国の国土の30%を平時の管轄下に置く。

その幕僚のトップとして方面総監をサポートし、事実上の実務職を担う蛭川にかかる期待と責任は極めて重い。

 

これだけの重責を担う蛭川のことだ。

そのキャリアはいずれも充実しており印象深いものばかりではあるが、あえて一つ挙げるとすれば、それは秋田県に所在する第21普通科連隊で、連隊長に上番していることであろうか。

第21普通科連隊は、東北方面隊隷下、第9師団の基幹部隊であり、1100名もの大所帯であることで知られる。

通常、我が国の普通科連隊は概ね800~900名規模であることが多い。

また軽武装高機動力を志向した軽編成の普通科連隊の場合、650名の編成が標準だ。

これらの数と比較すると、いかにこの第21普通科連隊の規模が大きいのか、ご理解頂けるのではないだろうか。

 

なおかつ21普連は、もちろんただ数が多いというだけではない。

歴史を紐解くと、その前身にあたる歩兵第17聯隊の活躍と武勲は、非常に輝かしいものがある。

日露戦争においては、第3軍の乃木希典・陸軍大将の隷下として203高地の攻撃に参加し、これを陥落させるなど、我が国の歴史を変えるほどの活躍を見せる。

その後も、黒溝台の戦闘では主力部隊として同地の占領に貢献し、他の連隊と共に「国宝師団」の主力部隊に数えられる栄誉を受けた。

 

「真姿素朴、堅忍不抜」と讃えられたその精鋭部隊を引き継ぐ、第21普通科連隊である。

充実した戦闘力を維持し、1100名もの大所帯で運用されているのもある意味当然の事と言ってよいであろう。

そんなこともあるのだと思うが、実はこの21普連。

歴代の連隊長経験者の多くが将官にまで昇り、いわば「出世の登竜門」とも言うべきポストの一つに数えられている。

そして2019年1月現在で現役にある、第21普通科連隊長経験者の将官は以下の通りだ。

 

第27代 湯浅悟郎(第28期) 西部方面総監・陸将

第29代 蛭川利幸(第31期) 中部方面総監部幕僚長・陸将補

第30代 末吉洋明(第33期) 陸上幕僚監部運用支援・訓練部長・陸将補

第31代 橋爪良友(第34期) 陸上総隊司令部運用部長・陸将補

第32代 堺一夫(第36期) 富士学校普通科部長・陸将補

※肩書は全て、2019年1月現在。

 

以上のように錚々たる最高幹部ばかりであり、これだけでも、この第21普通科連隊という精鋭部隊の存在感の大きさが、おわかり頂けるのではないだろうか。

精鋭部隊を率いることができるのもまた、心身ともに強靭な連隊長のみである、ということである。

そして蛭川もその一人として活躍し、さらに重い責任を担って活躍している。

 

では、そんな要職で活躍をした蛭川とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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