稲月秀正(いなづき・ひでただ)は昭和43年7月生まれ、埼玉県出身の航空自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候81期、出身職種はF-2戦闘機のパイロットと思われる。
防衛大学校時代には、伝統のラグビー部で鍛え上げた元ラガーマンだ。
平成29年12月(2017年12月) 第9航空団司令兼ねて那覇基地司令・空将補
前職は航空幕僚監部運用支援・情報部運用支援課長であった。
なお、稲月の出身地について、防衛年鑑2018には福岡と記載されているが、第9航空団公式Webサイトには埼玉県と記載があり、公式サイトの記述を優先し記載している。
(画像提供:航空自衛隊那覇基地公式Webサイト)
(画像提供:航空自衛隊那覇基地公式ツイッター)
2019年3月現在、国防の最前線である第9航空団で司令を務める稲月だ。
第9航空団は2016年1月、築城基地から移駐したF-15戦闘機部隊(第304飛行隊)を受け入れ、第83航空隊から航空団に昇格したばかりの組織である。
稲月はその第2代の司令ということになり、我が国の国防の最前線と言っても良いこの要衝の地沖縄で、日本の平和と安全のために全力を尽くす。
陸海空のあらゆる部隊が南西シフト体制を取り、中国人民解放軍の海洋進出に備える中で、もっとも重要な役割を果たす高級幹部の一人と言ってよいだろう。
その第9航空団が受け持つ南西方面の空域。
平成28年度、すなわち第9航空団が新編された2016年度には実に803回ものスクランブルに出動し、中国人民解放軍の挑発的な行動に毅然とした対応をみせた年となったが、翌年の2017年度には、スクランブル回数は477回に急減した。
中国人民解放軍の意図を、単純に領空侵犯の可能性を感じさせる飛行の回数のみで読み解くことは到底できないが、一つにはこの陸海空域における我が国の防衛力整備に、一定のめどが付いていることもあるだろう。
我が国のあらゆる防空網が中国人民解放軍の軍用機を追い、その監視を続けている以上、むやみな飛行は無駄な情報を暴露させるだけである。
通信のあり方一つでも、その練度や企図が明らかにされる昨今に、かつて無いほどに充実した戦力と、それをサポートする各種部隊が配備されつつある我が国の南西域に近づくことで得られるものは少ない。
おそらくそんな意識の表れであろうと思われるが、これもまた、自衛隊にとって非常に重要な仕事である「抑止力」として機能していることの何よりの証左だ。
目には見えないが、自衛隊のこのような活躍こそが、我が国の平和を守る力の根源である。
なお、2018年度のスクランブル件数については、上半期の数字で再び増加に転じる傾向があり、全国の総数は561回。
対中国軍機が345回と最多で、さらに第9航空団を含む南西航空方面隊が最多となる326回であった。
2016年度ほどの数字ではないが、2017年に比べ増加に転じており、中国人民解放軍の活動は再び活発化している。
これらニュースがほとんど報じられることはないが、沖縄をはじめとした我が国を取り巻く安全保障環境はかつて無いほどに厳しい状況にあることは明らかだ。
ぜひ、このような厳しい状況にあって、24時間365日体制で任務についている自衛隊の苦労にも、たまには思いを馳せて頂きたいと願っている。
では、そんな国防の最前線でもっとも重い責任を担う稲月とは、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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