小笠原卓人は昭和41年6月生まれ、島根県出身の航空自衛官。
防衛大学校第34期の卒業で80幹候、出身職種は高射だ。
平成28年12月(2016年12月) 西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令・空将補
前職は統合幕僚学校副校長であった。
2017年10月現在、小笠原が補職されているのは空将補ポストである西部航空警戒管制団司令。
これほどの要職についているので、どれほどのエリートかといえば、率直に言って34期組の出世レースでぶっちぎりのトップを走っているスーパーエリートである。
1等空佐に昇ったのが21年1月であり、航空自衛隊入隊が平成2年3月であったので、文句なしの34期組トップの1選抜。
さらに空将補に昇ったのも同期1番乗りで平成27年8月。
わずか6年で1等空佐を駆け抜けており、実際の人事運用上ではこれ以上無い最速の出世スピードになる。
仕事のできるスーパーエリートというのは、51歳(2017年10月現在)になっても、こんなに髪の毛がフサフサしているのかと羨ましい限りだが、よく考えれば仕事ができるスーパーエリートの尾崎義典(第32期)・空将補や時藤和夫(第29期)・空将補は・・・
どうやら髪の毛の量と仕事の能力は無関係のようである。
なお2017年10月現在、航空自衛隊で34期組の最高位は空将補で、まだ空将を出す年次には至っていない。
そしてその空将補にあるものは以下の4名である(※1)
小笠原卓人(第34期)・西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令
小島隆(第34期)・航空開発実験集団司令部幕僚長
佐藤信知(第34期)・第8航空団司令兼築城基地司令
谷嶋正仁(第34期)・第1航空団司令兼浜松基地司令
(肩書はいずれも2017年10月現在)
この4名はいずれも、1等空佐に昇ったのは1選抜で同時期。
そして空将補に昇ったのは
小笠原、佐藤・・・平成27年8月
小島、谷嶋・・・平成28年12月
ということになっており、あくまでも2017年10月現在での状況だが、小笠原と佐藤が、34期組の出世レースにおいてトップを走っている状況となっている。
このうち小笠原は高射出身であり佐藤はF-15戦闘機パイロットの出身。
まさに両者譲らずの、それぞれの分野におけるエキスパートであり、7年後くらいの航空幕僚長候補であると言えるだろう。
※1
2017年7月、南西航空警戒管制隊が南西航空警戒管制団に再編された際、横尾広・司令が空将補に昇っており、その年次は34期組か35期組であるのは間違いないのだが、正確な情報がないため、暫定的に4名として記載する。
そのようなスーパーエリートである小笠原が補職されているのは、改めて、西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令。
このネコは、航空自衛隊春日基地の歩哨責任者で、特に夜間の警戒任務に当たる空曹長のそらにゃんである。
さすがに空曹長らしい鋭い目つきで、油断なく基地内を警戒する。
なお、空曹長というのは嘘である。
基地司令の小笠原の言うことであっても絶対に聞かない、困った隊員だ。
春日基地に住み着き随分になるが、自衛隊の公式サイトでその動向が何度も登場するネコはそらにゃんくらいではないだろうか。
カタブツの 任務に実直な陸自ではなかなかお目にかかれないユーモアのある記事も、また春日基地の公式サイトにアクセスする楽しみだ。
そして小笠原を支え、西部航空警戒管制団の実務を担うと言っても過言ではない副司令は、1等空佐の剱持暢子(けんもち・のぶこ)。
女性の副司令であり、まだ防衛大学校が女性を受け入れていない時代に自衛隊に入隊しているので、一般大学から幹部候補生となり、1等空佐に昇りつめ、副司令に補職されているエリート自衛官だ。
2014年3月から務めていた第2航空団基地業務群司令のポストでは、航空自衛隊千歳基地野球部で女性初の部長に就任し、話題となった。
女性の年齢を言うのは気が引けるが、おそらく2017年10月現在で52歳であり、あるいは1等空佐の定年である56歳までに陸将補に昇るのは難しいかもしれない。
なお女性の出世といえば、医官と営門将補を除く初の女性将官に昇ったのは、航空自衛隊の柏原敬子・元空将補であった。
すでに退役されて第二の人生を歩まれているが、小笠原のようなスーパーエリートの下に女性を配置し力をつけさせるという人事もまた、航空自衛隊らしい組織の在り方だ。
小笠原の今後のキャリアとも合わせ、剱持暢子・1等空佐の今後の活躍にも期待し、注目したい。
◆小笠原卓人(航空自衛隊) 主要経歴
平成
2年3月 航空自衛隊入隊(第34期)
13年1月 3等空佐
13年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
15年8月 内局官房(安危)参事官補佐(永田町)
16年7月 2等空佐
17年4月 第4高射群12高射隊長(饗庭野)
18年3月 内局秘書課大臣副官(市ヶ谷)
19年9月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
21年1月 1等空佐
21年5月 航空自衛隊幹部学校付(目黒)
22年7月 航空幕僚監部補任課人事1班長(市ヶ谷)
24年4月 航空幕僚監部庶務室長(市ヶ谷)
25年8月 航空幕僚監部人事教育部教育課長(市ヶ谷)
27年8月 統合幕僚学校副校長(目黒) 空将補
28年12月 西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令(春日)
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 春日基地公式Webサイト(顔写真:小笠原司令・ネコ)
http://www.mod.go.jp/asdf/kasuga/kichishirei/index.html
http://www.mod.go.jp/asdf/kasuga/gallery/index.html
ふと思ったのですが、職種が高射なのに高射管制徽章をつけていないのは何故なんでしょうか。田母神元空幕長もつけていないようなんですが…
あら・・・本当ですね。
なぜなんだろう、わかりません><;
各高射隊の公式HPの部隊長を拝見すると、つけていない方が結構いらっしゃるんですよね。何か分かったら教えていただけると助かります
知り合いから聞いた話なので本当かどうか定かでは無いですが、高射管制徽章はパイロットのウィングマークのような国家資格(事業用操縦士)に基づくものではなく、部隊毎の訓練を修了し認定を受ける必要があるため、部隊を離れて司令部や空幕勤務になると外すことになるそうです。
また高射隊の隊長が分屯基地司令を兼ねている場合は、高射以外の職種の方が隊長につく場合もあるそうです(パイロットやら航空管制官やら補給幹部やら)。その場合は部隊毎の高射管制に関する訓練を受けることはおそらくないので、徽章をつけていない隊長がいたとしたら、そういう他職種から分屯基地司令として高射隊長に上番した人なのではないでしょうか。
おぉ~なるほど!
細かなご教示ありがとうございました!
^^