時藤和夫(ときとう・かずお)は昭和36年4月生まれ、山口県出身の航空自衛官。
防衛大学第29期の卒業で幹候75期の工学博士だ。
出身職種は判明しないものの、おそらく通信と思われる。
平成30年8月(2018年8月) 北部航空方面隊副司令官・空将補のポストを最後に勇退となった。
前職は第4航空団司令兼松島基地司令であった。
(画像提供:航空自衛隊松島基地公式Webサイト)
【以下、2018年8月7日加筆】
北の防空の要・北部航空方面隊副司令官であった時藤が退役となった。
前職の第4航空団司令であった時には、栄光のブルーインパルスの翼を松島に里帰りさせる大役を担うなど、その功績は非常に印象深いものにあふれる将官であった。
飄々とした見た目でも人気を集め、松島基地の広報誌に連載されている4コマ漫画では、ディズニーランドのミッキーとして登場したこともある(耳はもちろん、両サイドの・・・である)。
偉くなっても親しまれ、愛され続けた将官であった。
29期であり、まだまだ活躍をしてくださると期待していたのでとても残念な退役となったが、これも自衛隊が精強であり続けるために、避けられない世代交代なのだろう。
毎年のこととは言え、将官人事は楽しくもあり、そして寂しくもある。
長い間、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
時藤空将補の第二の人生も、自衛官生活以上に充実した素晴らしいものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。
【以下、2018年2月24日までの過去記事】
2018年2月現在、北部航空方面隊副司令官を務める時藤だ。
前職は第4航空団司令兼松島基地司令と、一見すると通常の空自エリートらしいキャリアを昇っているように見えるが、一方でそれ以前の経歴を見るとやや特徴的なポストを歴任していることに気が付かされる。
例えば空将補に昇り、最初に就いたポストは統合幕僚監部指揮通信システム部長。
このポストはもちろん、一義的には陸海空自衛隊の統合システムに関する業務を職掌するが、時藤が在職中にはサイバー企画調整官が置かれ、2018年2月現在ではサイバー企画室となり人員と予算が割り当てられた、サイバー空間における防衛政策も担当する部署である。
残念ながらこの分野は、世界各国の取り組みに比べ自衛隊は立ち遅れていると言われている。
サイバー攻撃に対する防衛はもちろん、場合によっては反撃を行うことも検討する必要があるが、自衛隊ではなかなか予算と人員がつかない分野であった。
時藤は統幕の部長職にあって、その黎明期から同分野の立ち上げに尽力しており、一つ特徴的なキャリアを積み上げている。
(画像提供:防衛省防衛大学校公式Webサイト)
それもそのはずと言うべきだろうか。
時藤には、若年より現場指揮経験も目立つが、それ以上に目立つのがやはり研究者としての活躍だ。
ちなみに上記写真は時藤がまだ29歳の頃、防衛大学校付で研究活動に従事していた頃の貴重な写真である。
20代の頃から、とても苦労していたことが良く分かる一枚である・・・。
工学博士であり、情報通信系の機器や機能に関する論文も執筆するなど、アカデミックな領域での知識を積み上げ、さらにその知識を現場にフィードバックし通信分野で指揮を執り、現実の運用に耐えられる知見としてスパイラルアップさせ続けてきた。
その結果として、サイバー戦に関する第一人者として統幕指揮通信システム部長に着任し、同テーマに関する講演会も数多くこなすなど、この分野での存在感を確実なものにしている。
ところでその時藤が東日本大震災を経験したのは、第4航空団基地業務群司令にあった頃だ。
松島基地であり、F-2戦闘機を始めとした航空機と多くの基地機能を喪失するという甚大な被害を受けた基地である。
その業務群司令として震災対応にあたり、そして復興に尽力したが、後に
「想定していたことの3~4%しか、実際にはすることができなかった」
と時藤自身が述懐しているほど、その破壊力は凄まじいものであった。
通信技術の専門家としても、おそらくこの経験がさらに時藤の経験値となり、より強い航空自衛隊の基盤づくりにかける知見となったのではないだろうか。
そして平成27年8月、その松島基地に第4航空団司令兼松島基地司令として再び戻ってきた時藤は、その在任中に、5年ぶりとなるブルーインパルスの帰還を実現させた。
あの災害を業務群司令として経験し、復興に尽力した時藤である。
栄光の翼が松島に帰ってきた光景は、一際感慨深いものとして心に残ったに違いない。
(画像提供:防衛省東北防衛局公式Webサイト)
さて最後に、その時藤と、同期である29期組の状況について見てみたい。
時藤が航空自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。
1等空佐に昇ったのが16年7月であり、こちらは1選抜の半年遅れということになっている。
空将補に昇ったのは平成25年8月なので、こちらは同期1選抜にくらべ3年の遅れということになるが、そもそも航空自衛隊には将官のポストがとても少ない。
1選抜で将官に昇るような一部のバケモノはともかく、将官に昇ることそのものが既に超が付くエリートの自衛官であり、時藤もまた、その専門分野に関する知見と、高い現場指揮能力を発揮して、空将補に昇り詰めた。
なお29期組からは、既に空将に昇るものもあり、年次で言えば次期航空幕僚長候補と言っても良い世代にあたる。
そして2018年2月現在で、空将にある最高幹部は以下の通りだ。
城殿保(第29期)・北部航空方面隊司令官(2016年7月)
三谷直人(第29期)・補給本部長(2016年7月)
増子豊(第29期)・統合幕僚監部運用部長(2016年12月)
長島純(第29期)・航空自衛隊幹部学校長(2016年12月)
井上浩秀(第29期相当)・航空開発実験集団司令官(2017年12月)
※肩書はいずれも2018年2月現在。( )内は空将昇任時期。
2018年2月現在で航空幕僚長を務めるのは丸茂吉成(第27期)。
一般に幕僚長の任期は2年程度であることが多いので、その次の航空幕僚長候補は28期と29期組を中心にして選抜されることになる。
あるいは上記5名の中から、2019年12月前後に、次の航空幕僚長が選ばれることになるかもしれない。
時藤については、あるいはそろそろ退役の時期が見え始めた頃と言っても良いかもしれないが、その豊富な経験と知見は、まだまだ我が国の平和と安全にとって不可欠なものばかりだ。
後数年、最後の大仕事を見せて活躍してくれることを楽しみに、これからも応援していきたい。
※
本記事は当初2017年7月13日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年2月24日に整理し、改めて公開した。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
◆時藤和夫(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
60年3月 航空自衛隊入隊(第29期)
60年9月 北部航空警戒管制団
平成
1年3月 防衛大学校付
3年3月 第6高射群
5年3月 中部航空方面隊司令部
7年8月 航空中央通信群
8年1月 3等空佐
11年8月 航空幕僚監部通信電子課
12年1月 2等空佐
14年3月 第5高射群第19高射隊長
15年8月 航空幕僚監部情報通信課
16年7月 1等空佐
16年8月 幹部学校付
17年7月 航空幕僚監部情報通信課
17年8月 航空幕僚監部情報通信課計画班長
19年8月 航空幕僚監部服務室長
20年12月 第4航空団基地業務群司令
23年8月 航空幕僚監部情報通信課長
25年8月 統合幕僚監部指揮通信システム部長 空将補
27年8月 第4航空団司令
29年12月 北部航空方面隊副司令官
30年8月 北部航空方面隊副司令官のポストを最後に勇退
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