増子豊 (ますこ・ゆたか)|第29期・航空自衛隊

増子豊は昭和38年生まれ、岩手県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で75幹候。

なお、防衛年鑑2017年度版には、出身地が東京都と記載があるものの、統合幕僚監部の公式Webサイトには岩手県と記載があるため、表記は統合幕僚監部のWebサイトに従って岩手としている。

もっとも幹部自衛官にとっては、出身地や現住所という概念はないほどに全国に転勤を重ねるので、本人ももはや本当に覚えていないのかもしれない。

平成28年12月(2016年12月) 統合幕僚監部運用部長・空将

前職は航空支援集団副司令官であった。

数少ない空将のポストに昇る自衛官というのは、例外なくスーパーエリートだ。

30代なかばくらいにはすでに目立ち始め、41歳の頃に1選抜で1等空佐に昇り、47~8歳の頃には将補に昇る。

増子もその例外ではなく、1等空佐に昇ったのが平成16年1月。

第29期の昭和60年3月に自衛隊入隊なので、文句なしの1選抜である。

将補に昇ったのが平成24年3月なので、1等空佐は8年と、同期の出世頭に比べるとやや遅れたが、将補になってからは1年でポストの異動を繰り返し4つの役職を経験。

空将補をわずか4年でパスして平成28年12月、空将に昇り統合幕僚監部運用部長に補職された。

防衛省の公式プロフィール画像や講演会での公式発表資料を見ると、どうにも写真写りがよくないせいか、どこにでもいるおじさんに見える風貌である。

しかしながら、これほどまでに要職を歴任し、統合幕僚監部の運用部長に昇りつめた高級幹部というのはその能力だけで今があるのではない。

人格、コミュニケーション能力、部下を成長させるスキル、強い使命感、余人を持って代えがたいカリスマ性と持って生まれた運など、その全てが備わって初めて就くことができる階級だ。

それでいながら、どこか親しみやすいキャラであるのも増子の魅力なのかもしれない。

2017年9月現在で統合幕僚長を務める河野克俊(第21期)が”ドラえもん”とあだ名されるように、きっと増子にも、本人の知らないところで部下たちからカワイイあだ名が付けられているのではないだろうか。

さて、そんな増子だが、さすがに空将に昇るだけあって、そのキャリアは極めて充実したエリート自衛官のそれになっている。

個別に上げていけばきりがないが、敢えて挙げるとすれば、83航空隊司令のポストであろう。

空将補に昇って最初に任されたのが、我が国が直面する21世紀の国防最前線だ。

83航空隊は、2017年9月の組織で言うところの第9航空団。

南西航空方面隊隷下の主力戦闘航空団で、中国からのスクランブルが急増しているさなかに南西航空混成団から格上げになった航空方面隊隷下であり、冷戦時代の小松や千歳のイメージであろうか。

そして増子が83航空隊の司令を務めていた時期は、中国の我が国に対する挑発行為が激化する境目となった平成24年(2013年)。

当時、航空自衛隊のスクランブル発進が年間500件を超え、この数字は過去20年以上もあり得なかった数字であったのだが、その多くの任務を増子の指揮のもとこの83航空隊が担当した。

しかしながら、それからというもの、年を追うほどに航空自衛隊のスクランブル出動は急増。

2016年度は、実に1168回という異常な数字をカウントすることになる。

20年以上ぶりに年間500回を超えたとかいうレベルではない。

このような、客観的に計測できる数字をもってしてもなお、中国人民解放軍による我が国土に対する領土的野心を疑い過小評価することは許されないレベルまで来ているといえるだろう。

ここまでくれば、さすがに現場パイロットの疲弊も積もり、「専守防衛」の国是が機能するのかどうかを再考するべき時期であるのかもしれない。

もちろん一義的には、機能させなければならない。

しかしそのためには、より多くの予算と人員が必要だ。

戦いは、平時における心理戦は攻撃側が圧倒的に有利なことはいうまでもない。

仕掛ける側からすれば、任意の時間、任意の場所まで軍用機を送り込み、限界線を超えれば撤収する挑発行為をするだけでいいことだ。

最低限のサラリーマン的な軍人にも勤まる仕事であり、ローテーションでランダムに日本領空まで近づいては引き返すだけで、我が国の警戒管制団、スクランブルに上がるパイロット、当直士官の神経を極限まで削ることができる。

しかも、受け身の側は24時間365日待機する必要があるのであって、挑発側はローテーション表に従った計画的で最低の予算、最低の人員で済む現実に比べれば、航空自衛隊の現場が負担する任務の重さは余りに過酷だ。

なおかつ中国人民解放軍から見れば、これら挑発行為は連続的であり、地域や時間を特定させずに仕掛けることで我が国の出方を分析することもできるだろう。

年間スクランブル回数が1100回を越えるというのはそういうことだ。

1日に3回のスクランブル発進が必要になるという状況は、挑発による航空自衛隊の現場を疲弊させることもさることながら、統計値や行動パターンを解析し、具体的な戦闘シミュレーションを立てている段階にあると見るべきである。

どこから侵入する意志を見せればどの基地からスクランブルに上がり、なおかつその空域到達時間はどれくらいなのか。

その際にくるパイロットは誰であり、航空機の識別コードはなにであるのか。

それらパイロットと航空機は1日に何回、あるいは何日に1回来るのであって、もしくはこないのか。

繰り返すが、1日3回のスクランブル発進という回数は、もはや中国人民解放軍がこのようなデータの蓄積に入ったと考えて良い。

具体的な侵攻シミュレーションを立案する段階に入ったということであって、もちろん自衛隊はその意識でことにあたってはいるものの、残念なのは国民の意識だ。

おそらく日本国民は、スクランブル回数が急増していることすら知らない者が大多数であろう。

そして今も、現実離れした安保意識で政治家を選び、危機対応を遅らせる選択肢を選び続ける。

あるいは率直に言って、尖閣は取られてしまったほうが、現実感のない国際情勢意識の中でのんきにくらす我が国の国民には良い刺激であるのかもしれない。

もちろんそのような事態は極めて不本意であり、開拓者である先人に対し申し訳も立たない事態ではあるが、安全保障環境という意味では、大局に大きな影響は与えないであろう。

中国大陸から伸びる大陸棚の端っこにある島だが、いくら石油資源が埋蔵しているといっても、我が国からパイプラインを敷くことなどできない場所になる。

尖閣沖から我が国の方面には、急速に海が深くなるためだ。

つまり、安全保障環境に大きな影響を与える心配はなく、我が国の経済活動に対する損失もそれほど大きくはない島であるといえる。

にも関わらず、この島を中国が侵攻し実効支配するようなことがあれば、おそらくリベラル系の政治勢力は我が国から一掃されるほどに、国民の怒りは一瞬で沸騰するだろう。

そして現実的な脅威に目を向け、新たな国家の枠組み、自衛隊の在り方と言ったものを真剣に議論し始めるに違いない。

その場合、憲法9条という宗教はたちどころにその信仰心を失う。

授業料としては決して高いものではなく、むしろ好ましいとすら言えるかもしれないが、そのようなことは中国もさすがに計算ずくであろう。

ここでこの島を武力侵攻することは、得るものよりも失うもののほうが遥かに大きい。

とはいえ、自衛隊はこれら想定される事態に対し、あらゆる準備をすることが仕事だ。

増子が務めた83航空隊司令の時代からさらに厳しい環境になったとは言え、この地における勤務経験はかけがえのない知見となり、増子の指揮能力に厚みを加えてくれたはずだ。

それら知見と能力が高く評され、統合幕僚監部運用部長の要職に就き、あわせて空将に昇った増子である。

南西方面の島嶼部に対する安全保障を一手に担っていると言っても過言ではないポストであり役割だが、緊張感を切らさずに事態に中って欲しい。

我が国の平和と安全は、増子の能力と一瞬の判断にかかっていると言っても過言ではないだろう。

◆増子豊 (航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 航空自衛隊入隊

平成
8年1月 3等空佐
11年7月 2等空佐
16年1月 1等空佐
16年8月 幹部学校付(目黒、防衛研究所一般課程)
17年8月 統幕会議第5幕僚勤務室
18年3月 統幕計画班長
19年8月 第8航空団飛行群司令
21年3月 航空総隊運用課長
22年12月 空幕運用支援課長
24年3月 第83航空隊司令 空将補
25年8月 航空総隊防衛部長
26年8月 北部航空方面隊副司令官
27年12月 航空支援集団副司令官
28年12月 統合幕僚監部運用部長 空将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省統合幕僚監部 公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_j3.htm

防衛省航空自衛隊 ニュースリリース公式Webサイト(演習写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/news/release/2017/0428/

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