河野克俊は昭和29年11月28日生まれ、神奈川県出身の海上自衛官。
防衛大学校は第21期の卒業、幹候は28期の卒業だ。
昭和20年代生まれであり、旧軍出身士官から本格的な薫陶を現場で受けた、最後の制服自衛官となる。
平成31年4月1日(2019年4月1日) 統合幕僚長・統合幕僚長たる海将のポストを最後に退役をされた。
前職は海上幕僚長であった。
(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト)
(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト)
ついにこの日が来てしまったと言えば良いのだろうか・・・。
新元号「令和」が発表された平成31年4月1日。
長年に渡り我が国と世界の平和を担い続けた「自衛隊の巨人」ともいうべき河野が、退役の日を迎えた。
そして平成と共に、一つの時代の終わりを迎えようとしている。
政権首脳や与党幹部からは「ドラえもん」の愛称で親しまれ、そして愛された、歴史に残る稀有な武人だった。
そしてドラえもんと呼ばれたのは、その見た目からだけではもちろん無い。
我が国が非常に厳しい安全保障環境を経験したこの5年間、河野はその全ての難局で政治を支え自衛隊を支え、まるで四次元ポケットから秘密道具を出すように、あらゆる難局を解決してみせた。
自衛隊史上例を見ない、定年延長の更新に次ぐ更新が繰り返されたのも、当然の結果だ。
その任期の途中では、
「自衛隊の立ち位置を明確にして頂けるとありがたい」
という一般論を記者会見で回答しただけで、一部の左派メディアから強烈なネガティブキャンペーンを展開されたが、クビを取られるどころか、全く大きな動きにならなかった。
それほどまでに、河野を支える政権・自衛隊の支持は盤石であったということだ。
左派メディアのつまらないイデオロギー遊びが河野相手に全く通用しなかったという意味では、自衛隊の存在感をより正常化させることに大きな功績のあった幹部であったとも言えるだろう。
何から何まで、本当にすごい人だった。
ところで余談だが、河野を巡っては忘れられない1枚の写真がある。
(画像提供:統合幕僚監部公式Webサイト)
こちら、第151連合任務部隊の司令官職を無事完遂し、統幕に任務完了の申告をする際の、福田達也(第34期)の様子だ。
大阪の中でも特に言葉とガラの悪い下町・八尾の出身であり、福田自身も相当な、「カワチのニーチャン」である(という噂である)。
1選抜で出世を続けるキレ者でもあるが、そんなオラオラ(と噂の)福田ですら、河野の前では明らかに緊張の色が顔に浮かんでいる。
後ろに写る制服自衛官は、当時の統合幕僚副長で2019年4月現在で陸上総隊司令官を務める住田和明(第28期)だが、やはり河野の前でのこの凛とした立ち姿をみると、どこか特別な空気を感じる。
たった1枚の写真だが、河野の存在感の大きさを感じることができる、印象深い写真であった。
そんな河野がついに、自衛隊を去った。
しばらくして、防衛政策の顧問として政権与党を支える存在にはなると思うが、それでも制服を置いた意味は相当大きい。
担い続けた重責を思い、今は少しだけでも、ほっと一息つくことができたのではないだろうか。
本当に長い間、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
河野海将のご活躍を、私たち日本国民は決して忘れることはありません。
その誇り高い自衛官人生に心からの敬意と感謝を込めて、その退役をお見送り申し上げます。
これから始まる第二の人生も、自衛官生活と同じかそれ以上に、充実したものとなりますように。
重ねまして、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
【更新】2019年4月3日
【以下、2018年3月までに更新した記事】
(画像提供:海上自衛隊幹部候補生学校公式Webサイト)
言わずと知れた自衛隊のラスボス、河野だ。
統幕長として異例の2度の定年延長措置を受け、朝鮮半島危機に揺れる我が国において、制服組最高責任者として難局に当たり続けている。
そのキャリアは極めて充実しており、海将補までは21期組1選抜前期、海将昇任は1選抜から数ヶ月遅れたが、もちろんここでの数ヶ月に大きな意味はない。
そして24年7月に海上幕僚長に、26年10月に統合幕僚長に昇り、重い責任を担い続けている。
歴任してきたポストも、第3護衛隊群司令、掃海隊群司令、護衛艦隊司令官、自衛艦隊司令官と、トップに昇るべき最高幹部が現場で経験するであろう要職を全て歴任。
海幕では監理部長、総務部長、防衛部長と、部長級のポストを歴任し、さらに統合幕僚副長も経験した上で制服組のトップに昇りつめた。
その河野だが、昭和29年11月生まれなので平成30年3月現在で63歳。
統合幕僚長の定年は62歳だが、緊迫する東アジア情勢下においては容易に退役させることができないということであったのだろう。
すでに2回、定年の延長が閣議決定され、2018年3月現在でその在任は3年半に及ぶ。
なお、統合幕僚長の定年が2度に渡り延期されたのはもちろん、河野が史上初めてであった。
(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式Webサイト)
とは言いながら、いくら河野が他に得難い統幕長であったとしても、いつまでも務めるわけにはいかない。
そしてその河野の延期された任期は2018年5月までとなるが、さすがに今度ばかりは交代となる可能性が高く、この記事をポストしている時から考え2ヶ月後には、久しぶりの統幕長交代人事がある見込みだ。
政府高官から「ドラえもん」とあだ名されるほどに愛され、そしてあらゆる難局をまるでひみつ道具を出してしまうかのように解決してきた河野だが、その自衛官生活は終りが近づいている。
そうなるとやはり、注目されるのは後任人事であり、どのように人事が動くのか。
少し状況を整理してみたい。
統合幕僚長に選ばれる可能性がある有資格者は、いうまでもなく3名のみだ。
すなわち、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長であり、この3名の中から必ず選ばれる。
なおかつ、実務的であると同時に政治的な意味合いも持つ統合幕僚長のポストは、どれほど優れた幹部であっても連続して同じポストから選ばれることは想定できない。
つまり、陸上幕僚長出身者である統合幕僚長の後任には必ず海か空出身の幕僚長が着任するということだ。
なおかつ、あくまでも慣例という意味ではあるが、これまでの統幕長は陸が優遇されてきた傾向がある。
すなわち、陸→空→陸や、陸→海→陸のように、間に海か空を挟んで再び陸出身者が統合幕僚長に就くことはあったが、空→海→空や、海→空→海などのように、3代で1度も陸が選ばれなかった人事の歴史はない。
これは統合幕僚長の前身である統合幕僚会議議長の時代からも同様であり、冷戦構造下では旧ソ連が最大の仮想敵であったことから、陸上自衛隊の役割が非常に大きかったという事情も背景にあったと考えられる。
その上で、2018年3月現在の候補者3名は以下の通りとなっている。
陸上幕僚長 山崎幸二(第27期) 2017年8月着任。
海上幕僚長 村川豊(第25期) 2016年12月着任。
航空幕僚長 丸茂吉成(第27期) 2017年12月着任。
これらのうち、河野の跡を継ぎ、誰が第31代統合幕僚長に着任するのか。
少し詳細に、見ていきたい。
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