藤田浩和(ふじた・ひろかず)は昭和36年4月生まれ、大分県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は高射特科だ。
平成31年4月1日(2018年4月1日) 陸上総隊司令部幕僚長・陸将のポストを最後に退役となった。
前職は陸上自衛隊高射学校長兼下志津駐屯地司令であった。
なお、最後の指揮官ポストであった陸上自衛隊高射学校長兼下志津駐屯地司令であった時の指導方針は以下の通り。
【統率方針】
「将来の高射特科を担う人財の育成」
【要望事項】
「一意専心」
「和」
【駐屯地司令要望事項】
「明るい駐屯地」
「美しい駐屯地」
「誇れる駐屯地」
(画像提供:陸上自衛隊陸上総隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊高射学校公式Webサイト)
2019年4月1日、少し花冷えのする「令和」の年号が発表された佳き日に、また一人の自衛官が退役の日を迎えた。
初代となる陸上総隊幕僚長を務めた、藤田浩和(第28期)だ。
各部隊にあって幕僚長は、陸上自衛隊では実務職のトップを務める。
言い換えれば、部隊で実際に手足を動かし、業務を進める責任者だ。
決断は指揮官たる司令官が下すが、ぶっちゃけ面倒事はすべて幕僚長に集中すると言ってもいいだろう。
実際にこのポストにある幹部自衛官の方とお付き合いさせて頂くと、指揮官に振り回され、部下からは判断を求められ、文字通り職務に忙殺されている姿をよく見てきた。
既に熟れている部隊ですらそうなのだから、この陸上総隊という組織の中で、初代となる幕僚長に着任した藤田の場合、それに輪をかけて大変な1年間であったのではないだろうか。
しかしだからこそ、退役ポストとしてはこれ以上無い、充実した最後の自衛官生活として藤田の心に残り続けるはずだ。
本当に長い間、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
藤田陸将が手掛けられた陸上総隊は、これからも日本と世界の平和を守る「飛び道具」として発展し、栄光の歴史を紡いでいくと確信しています。
新しい時代と共に始まる藤田陸将の第二の人生が、充実した素晴らしいものとなりますことを心からお祈り申し上げます。
本当に、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
【以下、2018年10月までに更新した藤田陸将の過去記事】
2018年10月現在、初代となる陸上総隊司令部幕僚長を務める藤田だ。
2018年3月に、従来の中央即応集団を発展的に解消する形で新編された陸上総隊の、その最初の幕僚長と言うことになる。
新たな伝統を作り、我が国の最精鋭部隊の頭脳として期待される、極めて責任の重いポストだ。
なおそんな要職にある藤田だが・・・
最初にお詫びしておくと藤田について、更新前の記事(2017年9月付)では、高射学校長を最後に退役するだろう、と予想していた。
既に28期組の勇退が始まっていた上に、在職期間が2年半を越えるなど、最高幹部の補職としては長期に及んでいたこと。
職種学校長という、行き着くところまで行き着いたイスに在ったことなどが理由だが、結果として藤田は、陸将に昇任の上でこの極めて重要なポストに着任するという、予想の大外しをしてしまっている。
藤田陸将様、大変失礼いたしました。
m(_ _)m
さて、その陸上総隊の幕僚長にある藤田だ。
第1空挺団、水陸機動団、特殊作戦群、第1ヘリコプター団、中央即応連隊など、あらゆる事態に即応する精鋭部隊を率いることはもちろん、有事の際には全国の方面隊を指揮する機能も持つ、文字通り我が国の防衛の要となる。
その司令官ポストは、形の上では方面総監と同等の指定職5号だが、実運用上は方面総監の上位に位置し、次期陸上幕僚長にもっとも近い幹部の指定席となるだろう。
組織としても、方面隊の一段上の位置づけとなっているために、幕僚長のポストが陸将であるのも、この陸上総隊だけとなっている。
あらゆる部隊の能力だけでなく、特殊作戦や海空自衛隊との連携にも通じている事が求められる、まさに全軍を俯瞰する能力を持ち合わせた陸将にしか務まらないポジションだ。
その幕僚長に着任した藤田にかかる自衛隊内外の期待は極めて大きい。
なお、その藤田がサポートする陸上総隊司令官も、同じ28期組のトップエリートである住田和明(第28期)だ。
なおかつ出身職種が同じであり、陸上総隊のトップとNo.2が共に高射特科というのもなかなか無いような状況となっているが、2018年現在の安全保障環境の中で、その役割が非常に大きくなっている職種だ。
あるいは今後も、高射特科出身の幹部が、最高幹部の中でより目立つ存在になっていくのかも知れない。
では、そんな重職にある藤田とは、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳細に、その経歴を見て行きたい。
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