濱本博文(はまもと・ひろふみ)は岐阜県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第32期の卒業で幹候69期、職種は普通科だ。
生年月日は判明しないが、第32期はストレートの場合、昭和40年度の生まれということになる。
平成30年8月(2018年8月) 陸上自衛隊教育訓練研究本部主任教官・1等陸佐
前職は第14旅団幕僚長であった。
なお、直近の指揮官ポストであった第16普通科連隊長当時の指導方針は以下の通り。
【要望事項】
J「準備の万全」K「基本・基礎の確行」A「明るく爽やかに」
(画像提供:陸上自衛隊大村駐屯地公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第14旅団公式Webサイト 広報誌しこく28年12月号)
2019年3月現在、陸上自衛隊教育訓練研究本部で主任教官を務める濱本だ。
教育訓練研究本部は2018年3月の陸自大改革で誕生した組織であり、従来の研究本部に幹部学校の機能を統合させて誕生している。
そのため、官職名ではわかりにくいが、従来の幹部学校主任教官に相当するポストで活躍しているという事になりそうだ。
40年近くに渡り空手で鍛え上げ、さらに余暇を見つけてはジョギングで体を絞り上げるなど、いかにも普通科の幹部自衛官らしいストイックな高級幹部である。
その一方で、静かな環境で読書を好む一面もあるなど、精神面での修養にも余念がない。
将来の最高幹部を教育するポストで腕を振るう濱本のことだ。
そのキャリアは非常に充実しており、どれも印象深いポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすればそれは前職の第14旅団幕僚長のポストだろうか。
濱本がこのポストにあったのは2016年12月から2018年8月までであった。
そしてその間の2018年3月、第14旅団は非常に歴史的な転換点を迎えた。
我が国初の、機動旅団として再編されたことだ。
機動旅団は、全国あらゆる場所で発生する可能性のある有事に際し、常時即応できる態勢を維持し、諸職種混合の実践的な配備を敷いている精強な部隊だ。
その改編は大規模なものとなり、隷下の戦車中隊も機動戦闘車隊に再編の上、第15即応機動連隊隷下に収容。
特科隊は廃止となり、その一部は重迫撃砲中隊として同様に、第15即応機動連隊として生まれ変わった。
早い話が、軽武装高機動の戦闘力を志向した部隊へと生まれ変わり、あらゆる事態に直ちに駆け付けられる部隊になったということだ。
厳しい防衛予算環境の中、装備や人員の削減が進められる陸自が精強さを維持するためには、戦力の集中と機動力の向上以外に方法はない。
第14旅団はその先駆けとなり、2018年の陸自大改革において最初の機動戦闘集団に生まれ変わった部隊であると言ってよいだろう。
ではなぜ、そのような大事な時期に濱本が第14旅団で、実務職のトップと言える幕僚長に補職されたのか。
それは、そのキャリアを見れば明らかだ。
濱本の、第14旅団幕僚長に着任する前のポストは第1空挺団副団長。
さらに連隊長ポストは、長崎県大村に所在する、2019年現在で我が国の新たな最前線の一つと言って良い第16普通科連隊であった。
それ以前には、首都圏の防衛を担う頭号師団(第1師団)司令部の第3部長を務めるなど、その補職は軽武装高機動の部隊を率い、もしくは運用し、直ちに有事に対応することが求められる経験が豊富なものとなっている。
つまり濱本は、第14旅団を我が国初の機動旅団として再編する上でこれ以上はない幕僚長であったと言ってもよいだろう。
そしてその期待に応えきっちりと大仕事をやり遂げ、後職として未来の最高幹部を育成するポストに転じ、辣腕を振るっているのが現職である。
では、そんな要職を歴任した濱本とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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