【退役】眞鍋浩司(自衛艦隊司令部幕僚長・海将補)|第28期・海上自衛隊

眞鍋浩司(まなべ・こうじ)は昭和36年11月生まれ、神奈川県出身の海上自衛官。

防衛大学校第28期、幹候は第35期の卒業だ。

平成30年12月(2018年12月) 自衛艦隊司令部幕僚長・海将補のポストを最後に制服を置くことが決まった。

前職は練習艦隊司令官であった。

(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト 活動状況紹介)

(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト 活動状況紹介)

2018年12月、海上自衛隊の実力組織のほぼ全てを隷下に置く自衛艦隊の幕僚長・眞鍋の退役が決まった。

2018年11月に記事を更新したばかりであり、ある程度予想されたこととは言え、その直後の勇退となってしまった。

眞鍋の活躍と言えば、第3護衛隊群司令であった2016年にリムパックで指揮を執った際の、中国人民解放軍による「海上自衛隊外し」に対して見せた活躍が印象的であった。

この際、国際親善を目的とした多国間軍事演習であったにもかかわらず、中国海軍は海自の幹部だけを、自艦で開催するレセプションに呼ばないという大人気ない振る舞いをみせる。

この非常に稚拙な振る舞いはやや大きな騒ぎとなり、その後各国のメディアでも報じられる事態となった。

結局、アメリカを始め各国の司令官が抗議をした結果、眞鍋も含め中国艦に招待されることになったが、この際眞鍋はただ淡々と、笑顔で招待に応じ中国艦に赴いている。

中国軍の稚拙さと眞鍋の余裕が対照的な振る舞いとなったが、こんなことをしているうちはまだまだ中国は軍事大国になれないだろう。

そんな安心感すら感じられる出来事であった。

あれから僅か2年余りでの退役は、本当に寂しく思う。

そして、最後の大仕事となった自衛艦隊司令部幕僚長の在任期間も、後数日。

今はただ、その長かった自衛官生活に心からの敬意と感謝を申し上げて、その背中をお見送りしたい。

本当に、長い間ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

30数年ぶりの、何も任務がない年末年始になりましたが、まずはゆっくりとお過ごしになって、積年のお疲れを癒やされますことを。

そして新たに始まる第二の人生も、自衛官生活と同様に充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。

【以上、2018年12月18日】

※ここから下は、退役までに記載していた眞鍋海将補のご紹介記事です。

2018年11月現在、海上自衛隊におけるほぼ全ての実力組織を率いる自衛艦隊において、その幕僚長を務める眞鍋だ。

自衛艦隊という名前から、あるいは艦艇の戦力を率いる組織であり、航空集団や潜水艦隊と並列して防衛大臣の指揮を受ける組織と思われるかも知れないが、自衛艦隊はそれら組織のすべてを束ねる。

具体的には、航空集団や潜水艦隊はもちろん、護衛艦隊、掃海隊群、対潜支援群など、直接戦闘を行う組織、その活動を支援する組織のほぼ全てが隷下にある。

洋上における、我が国の防衛行動の全てを担う部隊だ。

眞鍋はその組織において、司令官を補佐するstaffのchiefである幕僚長ということになる。

これほどの要職にある眞鍋のことだ。

そのキャリアは非常に充実しており、どのポストをとっても特筆する経歴ばかりだが、敢えて一つを挙げるとすれば、それは練習艦隊司令官のポストだろうか。

練習艦隊は、幹部候補生学校を卒業した候補生たちが3等海尉に昇任したその足で練習艦に乗り込み、長い練習航海に出航する際に編成される艦隊となっている。

そして初級幹部として世界各国を周り、実技研修を兼ねて航海を重ね、寄港地の国では各種親善交流も行う。

1957年から行われている教育行事なので、当然現役の海自幹部たちもかつて、このようにして幹部候補生学校を巣立っていった。

そしてその時と同じように、幹部候補生学校長が桟橋に立ち、帽振れで新任3尉を見送る。

眞鍋自身も、かつて艦の上から見た光景だ。

その30年後、今度はその航海を預かる司令官として初級幹部を率い、初級幹部の頃と同じように陸を離れた。

そして立場を変え、再び世界を廻ることになった経験は、長かった自衛官生活の中でも特別な思い出となった任務だったのではないだろうか。

海将補唯一の「司令官」ポストでもあり、海自の最高幹部にとって、非常に名誉あるポストの一つである。

では、そんな要職を歴任してきた眞鍋とは、これまでどのようなキャリアを積み上げてきた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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