九鬼東一(くき・とういち)|第30期・陸上自衛隊

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九鬼東一は昭和38年5月生まれ、東京都武蔵野市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第30期の卒業で幹候67期、出身職種は機甲科だ。

 

平成29年3月(2017年3月) 東北方面総監部幕僚副長・陸将補

前職は第8師団副師団長兼ねて北熊本駐屯地司令であった。

 

第30期のトップエリートの一人である九鬼だ。

2018年1月現在、陸将補に昇任後では2つ目の補職となる、東北方面総監部で幕僚副長を務めている。

出身職種は機甲科であり、第8戦車大隊への配属を皮切りに機甲科幹部として活躍。

空中機動旅団である第12旅団隷下の第12偵察隊長を務めるなど、非常に充実したキャリアを誇る。

 

そのキャリアはどれも輝かしく、注目に値するものばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、機甲科の幹部でありながら補職された、第43普通科連隊(都城)の連隊長ポストであろうか。

 

九鬼が43普連の連隊長に着任したのは1等陸佐で45歳の頃。

そしてこの時期の九鬼と43普連には、自衛隊史上でも例を見ない困難な任務が託されることになる。

東国原知事(当時)が先頭に立ち対策を取ったことであるいは記憶している人も多いかと思うが、2010年に発生した宮崎県での口蹄疫の発生、及びそれに伴う家畜処分への災派(災害派遣)出動だ。

 

この災派では、口蹄疫が発生した地区で飼育されている豚や牛を全て殺処分し、それらを埋却するという前代未聞かつ極めて過酷な作業の一端を、43普連が背負うことになった。

なおこの際、「法律で獣医師以外には許されていない殺処分以外の全てのことをした」と九鬼自らが後日振り返っているが、処分場への家畜の追い込み、処分された家畜の運搬、埋却用の穴掘りといった作業を、4月の終わりから初夏の走りにかけて、自衛隊員が担うことになる。

 

殺処分以外のこと、とはいえ、処分場に追い込むのは自衛隊の役割。

また、処分された家畜を運び出すのも自衛隊の役割だ。

当然、大量に殺処分される家畜の悲鳴や鳴き声、激しく抵抗する様なども全て目撃し、耳で聞くことになり、隊員の中には精神的に疲弊するものが出始める。

そして、それら作業の様子をただ呆然と立ち尽くし見つめる農場主もいれば、居たたまれなくなりその場を去る農場主もいて、通常の災派とは全く違う経験をすることになる。

 

また口蹄疫という、感染の拡大を封じ込め、この場限りに収める必要がある任務の特性上、他の連隊に応援を求める訳にはいかない。

他の連隊が作業をすれば、その地元に口蹄疫を持ち帰ることになりかねないからだ。

その為43普連ではこの作業を自隊のみで行い、また農場と駐屯地間を出入りするとそれだけで感染経路の拡大につながる恐れが有ることから、担当隊員は任期が終わるまで、自衛隊に用意された近隣の体育館にマットを敷き、雑魚寝するという精神的にも肉体的にも負担の大きい任務に従事することになった。

 

災派の現場にはそれぞれ、その現場特有の苦労があることには間違いない。

しかしながら、人の命を救い負傷者を助け出す災派と違い、家畜を処分しその農場主にはただただ、災難としか言いようのない作業を自衛隊が担うのは異例だ。

いろいろな意味で精神的な折り合いをつけるのが大変な任務であったが、九鬼は、

「これも国民の生命と財産を守るための活動である」という認識のもと、部隊長としてこの過酷な任務を完遂した。

一般にはほとんど知られていないことではあるが、自衛隊がこのように過酷な任務に従事していたこと。

ぜひ一人でも多くの人に知ってほしい。

 

 

さて、次に九鬼を含む30期の人事について見てみたい。

 

九鬼が陸上自衛隊に入隊したのは昭和61年3月。

1等陸佐に昇ったのは平成17年1月なので、30期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのは26年12月だったので、同期1選抜に比べ3年4ヶ月の遅れということになったが、もちろん将官に昇るということそのものが、とんでもないトップエリートである。

約10年間の1等陸佐で豊富な現場経験を誇り、地に足をつけた形での陸将補昇任であった。

 

なお30期組は、2017年夏の将官人事で最初の陸将が選抜された年次にあたる。

そのため、同期の出世頭はすでに陸将に昇っている者がいるが、陸上自衛隊では、1選抜で陸将に昇ることはそのまま、同期の陸上幕僚長候補になることを意味する。

すでに陸幕長候補レースは「最終出走馬」が出揃っている状況だが、その30期組トップエリートたちは以下の通りだ。

 

髙田祐一(第30期)・第4師団長(普通科出身・2017年8月)

野澤真(第30期)・第2師団長(野戦特科出身・2017年8月)

小野塚貴之(第30期)・第7師団長(施設課出身・2017年8月)

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長(普通科出身・2017年8月)

田中重伸(第30期)・第3師団長(航空科出身・2017年12月)

※肩書はいずれも2018年2月現在。( )は陸将昇任時期。

 

30期組については、陸幕長レースという意味ではこの5人が中心となり、人事が行われていくことになる。

早ければ4年後程度、2021~22年頃には陸幕長に昇るかもしれない世代であり、我が国の安全保障における中心で活躍することになる最高幹部だ。

 

九鬼を始めとしたその他の30期組についても同様に、2021~22年頃にかけて国防の中心を担い、その活躍が我が国の平和と安全を左右することになる最高幹部である。

その活躍と異動は要チェックであり、ぜひ注目して応援して欲しい。

 

本記事は当初2017年8月28日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年2月6日に整理し、改めて公開した。

 

◆九鬼東一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 陸上自衛隊入隊(第30期)
62年3月 第8戦車大隊

平成
年 月モザンビーク国際平和協力業務(ONUMOZ)派遣要員
9年1月 3等陸佐
12年7月 2等陸佐
12年8月 第12偵察隊長
14年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課
17年1月 1等陸佐
17年8月 陸上自衛隊幹部学校教官
18年3月 幹部学校付
19年3月 陸上幕僚監部教育訓練課訓練演習班長
20年12月 第43普通科連隊長
23年4月 陸上自衛隊幹部学校主任教官
23年8月 第1師団幕僚長
25年12月 防衛大学校統率・戦史教育室長
26年12月 第8師団副師団長兼ねて北熊本駐屯地司令 陸将補
29年3月 東北方面総監部幕僚副長

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 東北方面隊公式Webサイト(演習時写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/17YS/17YS.htm

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