野沢真(のざわ・しん)は昭和38年1月23日生まれ、埼玉県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第30期(国際)の卒業で幹候67期、出身職種は野戦特科だ。
平成29年8月(2017年8月) 第2師団長・陸将
前職は陸上幕僚監部装備計画部長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第2偵察隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第2師団公式Webサイト)
2019年2月現在、「北鎮師団」の尊称を持つ第2師団で師団長を務める野澤だ。
文字通り我が国の最北端を護る師団であり、旭川にその司令部を置く。
対ソ連・対ロシア戦闘の最前線と位置づけられ整備された部隊は、質・量ともに非常に充実した戦力を誇る。
例えば、隷下にある名寄駐屯地の第3普通科連隊は我が国の一線級部隊として最北に位置する連隊だが、冷戦時代には対ソ連戦闘を想定し、非常に充実した戦力を誇る部隊だ。
そのため第3普連はエース級の幹部が務める指定席とされ、過去には第3普通科連隊長経験者から3人もの陸上幕僚長が誕生している。
第10代陸上幕僚長 中村龍平(陸士49期)
第14代陸上幕僚長 高品武彦(陸士54期)
第32代陸上幕僚長 火箱芳文(第18期)
といった錚々たる顔ぶれであり、陸上自衛隊がいかにこの地を重視しているかは、過去の人事の履歴からも明らかだ。
また同様に、隷下にある第2戦車連隊は第7師団隷下の戦車連隊とともに我が国で唯一の、連隊編成の戦車部隊となっている。
第7師団は「機甲師団」の尊称を持ち、普通科に至るまで機動力を確保した機動戦闘を設計して編成された部隊なので、ある意味で戦車部隊が連隊規模であるのは必然という事情がある。
そういった意味でも、第2師団の戦車部隊が連隊編成規模になっていることの特別な意味を、ご理解頂けるのでは無いだろうか。
また第2戦車連隊は我が国で唯一、3世代の戦車が全て現役で運用されているという非常に珍しい特徴も持つ。
すなわち、74式戦車、90式戦車、10式戦車であり、上富良野駐屯地の記念行事に足を運ぶと、この3世代戦車を一枚の写真に収めることができるという超レアな楽しみ方ができるのも特徴だ。
信頼性の高い実績のある戦力と、最新の戦力を運用することで、作戦実行能力の高さを担保しているのだと思われるが、これもまた国境の最前線にある部隊ならではの特徴と言えるだろう。
近年、ロシアとの外交関係では緊張状態の緩和が続き、目先という意味では脅威は遠ざかっている。
だからといって、ロシアに対する警戒を緩めるべきではないことは、ロシアという国の歴史や直近の近隣諸国への侵攻を見れば明らかだ。
ロシアが日本に対する軍事侵攻を起こさないのは、単に損得勘定で割が合わない状況であるからに過ぎない。
言い換えれば、損得勘定で割が合えば、ロシアは躊躇なく北海道に侵攻してくるだろう。
そういった意味では、第2師団が精強であるからこそ、我が国の北辺は安定し平和が担保されていると言っても良い。
平時における第2師団の舵取りこそが、日本と世界の平和を維持する大事なファクターになるということだ。
その第2師団を指揮する、野澤に対する国民からの期待は極めて大きい。
では、そんな要衝の防衛を指揮する野澤とは、これまでどのようなキャリアを歩んできたのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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