【退役】今瀬信之(いませ・のぶゆき)|第29期・飛行開発実験団司令

今瀬信之(いませ・のぶゆき)は昭和37年10月生まれ、岐阜県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候75期、出身職種は飛行でF-15戦闘機のパイロットだ。

令和元年8月23日(2019年8月23日) 飛行開発実験団司令・空将補のポストを最後に制服を置き、勇退となった。

前職は第8航空団司令兼築城基地司令であった。

なお、最後の補職となった飛行開発実験団司令としての指導方針は、以下の通りであった。

【統率方針】

「誠実、精強、信頼」

(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト

航空自衛隊には、「空の勝利は技術に在り」という言葉があることをご存知だろうか。

空に限らず、軍事技術は国家の技術力そのものであり、国力そのもの表す。

その中でも、航空自衛隊ほど、技術力が直ちに戦闘の勝敗に直結し、ひいては国家の存亡に直結する組織もないだろう。

そして航空自衛隊において、その航空戦力に関するあらゆる実験と検証を行う組織が飛行開発実験団であり、その司令を務めたのが今瀬であった。

エリートの指定ポストである一方で、ベテラン空将補が最後に着任することも多い任務ではあるが、今瀬はF-15戦闘機のパイロット上がりであり、第8航空団司令兼築城基地司令なども歴任した歴戦の幹部だ。

特に今瀬が指揮を執った2017年9月以降と言えば、F-35の実戦配備を直前に控えた頃合いであった。

また先進技術実証機X-2の検証も盛んであった頃である。

おそらく、これら仕事の多くが今瀬の指揮下で行われたはずだが、この先、30年、50年の未来に渡って我が国の国防を担う技術や実績を残した2年間であったのではないだろうか。

そしてそれら大仕事をやり終えて、2019年8月23日に制服を置いた。

30年余に渡り積み上げた現場経験を最後に活かす補職として、これ以上はない勇退のポストであった。

今瀬空将補、本当に長い間お疲れさまでした、ありがとうございました。

F-15戦闘機のパイロットとして、また多くの現場で指揮を執り続けられた指揮官として、その誇りある自衛官人生に心からの敬意と感謝を申し上げます。

今瀬空将補の第二の人生も、自衛官人生と同じかそれ以上に充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げています。

ありがとうございました。

(2019年8月24日 最終更新)

◆以下、2019年2月までに更新した記事

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2019年2月現在、航空自衛隊のエリート中のエリートを束ねると言ってよいだろう、飛行開発実験団司令を務める今井だ。

「空の勝利は技術に在り」という、航空戦力の合言葉を象徴する部署であり、新機種や新しい兵装の飛行テスト、稼働実験などを担う極めて重要な組織の司令を務める。

今瀬自身も、F-15戦闘機パイロットとして各地の現場で空に上がり続けた、空自を代表する凄腕パイロットの一人だ。

その今瀬がこの非常に大事なポストに着任したのが、平成29年9月。

西暦でいうと2017年9月だが、当時は次世代主力戦闘機・F-35が三沢基地への配備を控え、テスト飛行が繰り返されている真っ只中であったはずだ。

また、悲願とも言える国産戦闘機の開発を見据えた先進技術実証機X-2の実験・開発も佳境を迎えている時期であり、2019年2月の今も、その重責を果たし続ける。

我が国の30年ないし40年先までの国防をも左右するほどの重責を任されたと言ってもよく、今瀬にかかる自衛隊内外の期待は極めて大きい。

そんな重責にある今瀬のことだ。

これまでのあらゆる補職が全て印象深い仕事ばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは平成23年4月から務めた、特輸隊(特別航空輸送隊)司令のポストだろうか。

特輸隊の任務は、一般によく知られた任務で言えば、政府専用機の運用を担当する部隊である。

米国大統領で言うところのエアフォース1を運用する部隊であり、今瀬が務めていたのはその責任者のポジションだ。

名前は政府専用機だが、もちろん総理大臣だけでなく、天皇陛下や皇族などの外遊にも用いられ、我が国の国益に無くてはならない活躍をしてきた部隊である。

このポストには、操縦技術の高さが必須であることは言うまでもなく、国家に対する疑いようのない忠誠心、抜きん出た実績、任務に対する責任感の強さ、そして何よりも指揮官として卓越した全ての技量が要求される。

ぶっちゃけた言い方をすれば、特別航空輸送隊司令に、これらの素養を持ち合わせない指揮官が万が一着任することがあれば、日本の歴史は一瞬で変わる可能性すらあるだろう。

それ程に、国家を担う多くの要人を輸送し、国益を縁の下から支えるポジションである。

今瀬がどれほど、航空自衛隊内外の期待を集め続けてきた幹部であるのか。

その1点だけでも、ご理解頂けるのではないだろうか。

では、それほどまでに重い責任を担う今瀬とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見てみたい。

その今瀬が航空自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等空佐に昇ったのは平成16年1月であったので、29期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世であった。

パイロットとしての初任地は、北海道の千歳に所在する第2航空団第203飛行隊であり、同地でF-15戦闘機を預けられ、対ソ連戦闘の最前線に立ち、連日スクランブルで空に上がり続けた。

(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト

(画層提供:航空自衛隊飛行開発実験団公式Webサイト

その後パイロットの現場にあっては、第5航空団第202飛行隊を経て飛行隊長ポストは第7航空団の第305飛行隊で着任。

また先述のように、特別航空輸送隊司令などレアなポストも経験し、空将補に昇任した平成27年8月からは、第8航空団司令兼ねて築城基地司令にも補された。

その間中央(航空幕僚監部)では、人事教育部教育課、防衛部防衛課を経て班長ポストは防衛部防衛課の編成班長で、課長ポストは統合幕僚監部の運用部運用第1課長など要職を歴任。

教育畑での活躍も目立ち、飛行教育航空隊司令に加え、航空教育集団司令部教育部長を務めるなど、凄腕パイロットとして後進を育成するポジションでも手腕を発揮した。

そして平成29年9月から、我が国の半世紀先をも見据えた防衛体制を担う、飛行開発実験団司令としてさらに活躍を続けている。

29期のみならず、我が国を代表する最高幹部の一人であると言ってよいだろう。

では最後に、その今瀬と同期である29期組の人事の動向について見てみたい。

29期組は2016年に最初の空将が選抜された年次であり、1佐までの同期は今まさに、2018年度で、全て定年退官を迎えようとしている。

そして、同期の航空幕僚長候補は既に出揃っており、その候補となる空将にあるものは、以下の通りになっている。

城殿保(第29期)・航空教育集団司令官(2016年7月)

三谷直人(第29期)・補給本部長(2016年7月)

増子豊(第29期)・中部航空方面隊司令官(2016年12月)

長島純(第29期)・航空自衛隊幹部学校長(2016年12月)

井上浩秀(第29期相当)・航空開発実験集団司令官(2017年12月)

※肩書は2019年2月現在。( )内は空将昇任時期。

以上のようになっており、あるいはこの中から、丸茂吉成(第27期)の後を継ぎ、第36代の航空幕僚長に着任するものが現れるかもしれないという状況だ。

いずれの空将も今まさに、我が国の安全保障政策の中でもっとも重い責任を担っている、他に得難い最高幹部ばかりであると言ってよいだろう。

今瀬については、教育訓練系の要職を担い続けた活躍が目立ち、我が国の安全保障政策への貢献が極めて顕著な空将補だ。

そのため、その最高峰とも言える現職が、寂しいことではあるが、退役ポストになってしまう可能性もあるいはあるのではないだろうか。

幕僚やスタッフポストで退役を迎えるよりも、非常に重要な指揮官ポストで退役を迎えるというのもまた、これほどの実績を誇る幹部が制服を置くにはふさわしいのかも知れない。

とはいえまだまだ、現在進行系で重い責任を担い続けている、今瀬のご紹介であった。

その活躍には今後とも注目を続けていきたい。

そして変わらずに、応援をしていきたい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:航空自衛隊築城基地公式Webサイト

◆今瀬信之(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 航空自衛隊入隊(第29期)
60年9月 飛行教育集団付(浜松)
63年7月 第2航空団第203飛行隊(千歳)

平成
3年8月 防衛大学校(横須賀)
5年8月 第5航空団第202飛行隊(新田原)
8年1月 3等空佐
8年8月 航空幕僚監部人事教育部教育課(六本木)
10年3月 幹部学校付(目黒)
11年3月 補給本部(十条)
11年7月 2等空佐
13年3月 第7航空団司令部防衛部(百里)
14年3月 第7航空団第305飛行隊長(百里)
16年1月 1等空佐
16年3月 幹部学校付(米国留学)
17年7月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
18年3月 航空幕僚監部防衛部防衛課編成班長(市ヶ谷)
19年9月 飛行教育航空隊司令(新田原)
21年7月 統合幕僚監部運用部運用第1課長(市ヶ谷)
23年4月 特別航空輸送隊司令(千歳)
24年12月 航空教育集団司令部教育部長(浜松)
27年8月 第8航空団司令兼築城基地司令(築城) 空将補
29年9月 飛行開発実験団司令(岐阜)

令和
元年8月23日 飛行開発実験団司令のポストを最後に勇退

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