深沢英一郎(ふかざわ・えいいちろう)は昭和38年3月5日生まれ、福岡県出身の航空自衛官。
防衛大学校卒業第30期の卒業で幹候76期、出身職種は飛行で戦闘機パイロットだ。
平成28年12月(2016年12月) 航空幕僚監部監理監察官・空将補
前職は北部航空方面隊副司令官であった。
(画像提供:航空自衛隊車力分屯基地公式Webサイト)
(画像提供:防衛省公式Webサイト 防衛白書2006)
2018年11月現在、航空幕僚監部監理監察官を務める深澤だ。
監理監察官は、重大事故などが発生した際に仕事をするイメージが強いポストだが、平時においては業務計画の策定状況やその進捗の確認、航空自衛隊全体の計画監理などを監察する非常に重要な役割を担う。
そのためこのポジションは、全軍を俯瞰する能力に長けたベテランや、もしくはエースが着任することが多いポストであり、組織運営の要とも言える要職となっている。
もちろん深澤自身も、そのポストに決して不足ではない、非常に充実したキャリアを誇る。
その深澤のキャリアの中で、印象的なポストをひとつ挙げるとすれば、やはり駐イスラエル防衛駐在官のポストだろうか。
上記画像2枚めは、防衛白書の中から発掘した防衛駐在官当時、2006年なので40代半ばの頃の若き深澤(右端)だ。
50代半ばになっても若々しさを保っている深澤だが、やはり当時はさらに若々しい。
深澤はこの3年間の中で、通常の「軍人外交」の任務はもちろん、ゴラン高原のUNDOF(兵力引き離し監視隊)に派遣されている自衛隊員の支援、イスラエルにおけるスカッドミサイル被害の実態調査や研究など、非常に大きな仕事を成し遂げている。
なおUNDOFでの兵力引き離しは、まさにそのイスラエルとシリアの兵力の間に入り、停戦を実効性のあるものにしようとする国連PKO活動の一環であった。
停戦中とは言え、だからこそ緊張状態が最高潮に高まっているイスラエルに赴任した3年間は、深澤にとっても特別な経験になったはずだ。
我が国にとっても、北朝鮮からのミサイル防衛構想が大きな安全保障上の課題であることを考えると、その教訓がもたらす国益は計り知れない。
きっと私たち国民の知らないところで、厳しい世界の現実を前提にした、実効的な安全保障体制の構築に、力を尽くしてくれたのではないだろうか。
そしておそらく、それだけではない。
深澤にとっては、この過酷な環境の中で目にしたイスラエル国民の国防に対する意識の高さ、現実認識能力の高さこそが、もっとも印象的な経験であったようだ。
常に国家の滅亡と隣合わせに生きてきたイスラエルの人々の強さやしたたかさ。
その現実的な脅威に対する対抗策。
究極の危機意識の中で人々はどのように安全保障政策を考え、国家の運営を考えているのか。
帰国後に著した論文や講演会の演目にも、そこで学んだそのような教訓が現れている。
「中東情勢」「国際テロをどう捉えるか」
という現実認識は、今や我が国にとっては安全保障そのものであり、シーレーン保護など国益に直結する政治的課題そのものである。
深澤の駐イスラエル防衛駐在官の経験と3年間の実績は、非常に大きい。
では、そんな要職を任された深澤とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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