石丸信二(いしまる・しんじ)は昭和41年7月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、職種は野戦特科だ。
平成30年3月(2018年3月) 自衛隊高知地方協力本部長・1等陸佐
前職は西部方面特科隊副隊長であった。
(画像提供:自衛隊高知地方協力本部公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第1特科団公式Webサイト)
2019年5月現在、自衛隊高地地方協力本部長を務める石丸だ。
ご存知のように自衛隊地方協力本部は、「平時の最前線」と例えられることもあり、自衛官の採用、退役する自衛官の再就職先の斡旋、それに自衛隊の知見を民間に提供する役割など、自衛隊への入口と出口の役割を担う。
災害発生時には自衛隊と自治体の連絡役を務めるなど、その任務は多岐に渡り、指揮官たる本部長に求められる力も非常に幅広い。
また「自衛隊の営業責任者」という側面もあることから、コミュニケーション能力に秀でていることも求められるなど、そのポストに座ることができる自衛官は本当にごく僅かだ。
それほどに責任が重く、また高い能力が求められる本部長に着任した石丸のことである。
そのキャリアはいずれも特筆するものばかりだが、敢えて挙げるとすればそれは平成24年3月から務めた、第7特科連隊連隊長のポストだろうか。
第7特科連隊は第7機甲師団隷下、東千歳駐屯地に所在する部隊だ。
第2特科連隊と並び我が国で最大級の特科連隊であり、その連隊長に着任することは野戦特科にある幹部にとって最高の栄誉とされる。
機甲砲兵連隊として、最高時速50kmで移動が可能な99式155mm自走榴弾砲を主力に、機甲科と共に機動戦闘を展開する。
任意の場所にすばやく展開し、また居場所を特定されないよう陣地転換を繰り返しながら敵を面制圧することから、陸上戦闘において勝敗を左右すると言っても過言ではない部隊だ。
機甲科と普通科の投入前に、野戦特科がどこまで敵を無力化することに成功するか。
そんな役割を果たす職種において、我が国で最大級の部隊を率いていたキャリアを誇る。
また前職で務めていたのは、西部方面特科隊の副隊長。
こちらも非常に特徴的な部隊で、2019年3月には西部方面特科連隊を隷下に編入し、照準射撃で海上の敵を駆逐する第5地対艦ミサイル連隊と、大口径の火力で敵を面制圧するFH-70の両方をその隷下に収めた。
いわば石丸は、部隊が新編される準備段階で、その実務責任者たる副隊長を務めていたことになるが、実はこのポストにもわけがある。
野戦特科の幹部の中では珍しく、この照準射撃と面制圧の両方の部隊で指揮を執ったことがあるからだ。
そのため、これら兵種を統合し運用する部隊を発足させるにあたって、非常に適任なポストであったと言えるだろう。
野戦特科という職種をさらに精強にまとめ上げ、新たな時代の中でどのような役割を果たしていくのか。
そんな大仕事を任されやり遂げた、非常に大きな実績を持つ幹部である。
では、そんな実績を誇る石丸とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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