鹿子島洋(かごしま・ひろし)は昭和45年3月6日生まれ、長崎県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第36期の卒業で幹候73期、職種は普通科だ。
平成29年3月(2017年3月) 自衛隊三重地方協力本部長・1等陸佐
前職は第36普通科連隊長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第36普通科連隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第36普通科連隊公式Webサイト)
2018年8月現在、自衛隊三重地方協力本部長を務める鹿子島だ。
出身は長崎で、名字の漢字は鹿子島である。未だに、防衛大学校の同期でも年賀状などで「鹿児島」と書いてくる人がいるほどに、間違われやすいそうだ。
父親も自衛官であり、元海上自衛官。
3等海曹で訳あって退職をしたために、自分の息子には自衛官として大成してほしいと願っていたそうだが、鹿子島はしっかりとその思いを受け継ぎ、防大に進学。
要職を歴任し続け、幹部自衛官として活躍している。
普通科のエリートらしい非常に充実した現場を経験し、また中央では人事系のポストを多く経験しているが、中でも印象深いのは、やはり名寄の第3普通科連隊中隊長のポストだろうか。
第3普通科連隊は北海道の名寄市に所在し、我が国のまとまった戦闘単位としてはもっとも北辺に位置する。
そのため、冷戦時代から対ソ連(ロシア)戦闘の最前線と位置づけられており、歴代の連隊長はエース級の幹部が投入されてきた。
ちなみに、第3普通科連隊経験者で、その後陸上幕僚長まで昇ったものは以下の3名だ。
第10代・中村龍平(陸士49期)
第14代・高品武彦(陸士54期)
第32代・火箱芳文(第18期)
普通科連隊だけでも50を越える部隊が編成されてきた中で、一つの連隊長経験者から3名の陸幕長を出している連隊は、おそらく第3普通科連隊のみであろう。
陸上幕僚長が、現職の山崎幸二(第27期)で36名しかいないことを考えると、なおさらである。
なお、鹿子島が第3普通科連隊の中隊長として赴任した際の連隊長は、西部方面総監などの要職を歴任し、陸幕長着任が絶対視されていた中でまさかの退役となった番匠幸一郎(第24期)。
第一次イラク復興支援群長などを務めた24期のエースであったが、番匠を始め多くの連隊長経験者が将官まで昇っている最北の精鋭部隊で、中隊長を務めていたことになる。
非常に期待の大きい若手幹部時代を過ごし、そしてその後も要職を歴任していくことになった。
ではその鹿子島について。
具体的にどのようなキャリアを歩み、また同期の動向はどうなっているのか。
少し具体的に見ていきたい。
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