酒井良(大湊地方総監・海将)|第31期・海上自衛隊

酒井良(さかい・りょう)は昭和37年12月生まれ、滋賀県出身の海上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で、幹候は38期だ。

なお酒井の出身地について、防衛年鑑2018では兵庫県となっているが、大湊地方隊の公式Webサイトには滋賀県と記載があり、公式情報を優先し滋賀県と記載している。

平成30年8月(2018年8月) 大湊地方総監・海将

前職は海上幕僚監部防衛部長であった。


(画像提供:海上自衛隊大湊地方隊公式Webサイト


(画像提供:海上自衛隊第1護衛隊群公式Webサイト

2018年8月現在、大湊地方総監を務める酒井だ。

青森以北の海上の安全に睨みを利かせる31期組のエースであり、2018年8月の海将昇任とともに現職に着任した。

その大湊地方隊、発祥は日露戦争開戦2年前の、1902年まで遡る。

ロシアの太平洋艦隊が日本海から日本周辺海域を遊弋し、大陸への交通と兵站を遮断しようと企図する中で、主に津軽海峡周辺の警戒監視を行うために設置された。

実際に、日本の連合艦隊がロシアのバルティック艦隊を撃破した日本海海戦においては、それに先立ち対馬ルートでウラジオストックに向かうのか。

それとも津軽海峡を経由してウラジオストックに向かう迂回コースを採るのか。

主力艦船に余裕のなかった連合艦隊幕僚と東郷平八郎を大いに悩ませたが、徹底的な哨戒活動の結果もあり対馬ルートであることを見抜いて迎撃、この局地戦に勝利している。

時代はそれから100年以上もの時間が経ったが、今も我が国周辺の安全保障環境を考えると、大湊地方隊が担当する津軽海峡、それに加えて宗谷海峡警備の重要性は何ら変わりはないと言ってよいだろう。

さて、そんな要衝を海将昇任とともに任された酒井についてだ。

さすがにこれだけのエリートであり、そのキャリアは特筆することだらけだ。

その中で、酒井の活躍をご紹介するには海外での数多くの演習指揮などのエピソードも引き合いに出したいところだが、ここでは、第7護衛隊司令時代の話をご紹介してみたい。

酒井が第7護衛隊を指揮していたのは平成21年8月から22年7月。

その間、平成21年11月(2009年11月)から平成22年2月(2010年2月)まで、隷下部隊を率いてインド洋に、第7次補給支援活動派遣部隊の指揮官として赴いている。

何のことかわかりづらいかもしれないが、海上自衛隊がインド洋で、主に海外の艦船に燃料補給を行っていた国際貢献活動であるといえば、思い出す人もいるのではないだろうか。

酒井はこの補給支援活動の、最後の指揮官であった。

なぜ最後の指揮官になったのか。

それは、2009年9月に誕生した民主党政権、鳩山由紀夫氏の総理大臣就任の影響による。

この民主党政権の誕生にあっては、あるいはもっとも政治の道具にされたのが、自衛隊の海外での諸活動であった。

とりわけテロ特措法は、鳩山由紀夫氏と言うよりも、民主党幹事長であった小沢一郎氏によってたびたび影響を受けることになったが、民主党政権の誕生以降はその動きがさらに加速。

テロ特措法の期限切れに際し国会でその延長手続きを取らず、インド洋への海上自衛隊派遣を打ち切り撤収させる命令を下すことになる。

この際の、最後の指揮官が当時、第7護衛隊司令であった酒井だった。

酒井はこの決定に際し、メディアからの質問に

「撤収は今後、我が国の戦略に影響があるのではないか」

という短いコメントを発表している。

現役の艦隊指揮官としては十分すぎるほど、強烈な政権批判の言葉だ。

現役の自衛官として許容されるギリギリの発言だったかもしれないが、酒井はこれほどのエリートでありながら、あるいは更迭されることも恐れずにこれほどの発言をしたことになる。

国際貢献の現場を熟知し、我が国の行く末を案じて黙っていられなかった、勇気ある酒井の「告発」と言ってもよいのではないだろうか。

当時は、メディアの世論誘導もあり日本国中が鳩山由紀夫氏と小沢一郎氏を熱狂的に支持していたが、そのような中でのこの酒井の言葉は、非常に重い。

浮ついた世論に左右されず、原理原則を守り海上自衛官としての矜持を守った酒井のエピソードして、ぜひ多くの人に記憶にとどめて欲しい。

そんな、そんな31期組のエースである酒井である。

これまでどんなキャリアを歩み、そして同期の動向はどうなっているのか。

少し詳細に見ていきたい。

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