森下泰臣(もりした・やすのり)は昭和40年12月24日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第32期の卒業で幹候69期、出身職種は機甲科だ。
令和元年8月(2019年8月) 第2師団長・陸将
前職は陸上幕僚監部防衛部長であった。
(画像提供:陸上自衛隊公式ツイッター)
(画像提供:陸上自衛隊公式Webサイト)
2019年10月現在、我が国が誇る北方の防人・第2師団を率いる森下だ。
2019年夏の将官人事で、32期組の同期1選抜として陸将に昇任し近い将来の陸上幕僚長候補として、自衛隊内外の期待を集める。
文字通り、我が国の国防を中心になって担う最高幹部の一人である。
森下については、何からお話するか迷うほどに多くのことをご紹介したい幹部だが、まずはその生い立ちからお話をしてみたい。
自衛隊幹部には多くある話だが、実は森下も、父親は陸自の幹部であった。
そのため、生まれは福岡だが10歳になるまでは、森下も北海道の名寄で過ごした。
そして森下が10歳の頃と言えば、昭和50年であり、対ソ連戦闘が極めて現実的な驚異であった、冷戦真っ只中の時期にあたる。
ベレンコ中尉亡命事件が発生したのが昭和51年9月であると言えば、当時の北海道の緊張感がおわかり頂けるのではないだろうか。
ちなみにベレンコ中尉亡命事件とは、当時としては最新鋭の戦闘機であったMiG-25に乗ったソ連の戦闘機パイロットが函館空港に強行着陸し、米国への亡命を求めた大事件である。
比較的政情の落ち着いている21世紀の現在でも、こんな事が生起すれば、政治処理を誤れば局地戦、ひいては大規模紛争に発展する恐れがある。
まして当時は東西冷戦の真っ只中であり、最新鋭戦闘機の機密漏洩を恐れたソ連が即時、北海道に侵攻を始めてもおかしくないような空気感であった。
まさに日本だけなく、米国、西側諸国に非常に大きな緊張が走った大事件が生起した時代が、この頃の北海道という立地であった。
なおかつ、森下が幼少期を過ごした名寄と言えば、対ソ連戦闘の最前線と位置づけられた陸自の中でも最重要拠点の一つである。
このことは、陸上自衛隊の人事にも色濃く表れているが、過去、名寄を取り仕切る第3普通科連隊長経験者から最も多くの陸上幕僚長を排出していると言えば、その重要性をご理解頂けるのではないだろうか。
つまり森下は、我が国が極めて現実的なソ連の驚異を感じていた時代に、その名寄で勤務する父親の背中を見て育った、生粋の陸上自衛官ということだ。
そして今、森下が指揮を執る第2師団はまさに、その対ロシア戦闘の初動を任されている部隊である。
もちろん、森下が幼少期を過ごした名寄と第3普通科連隊も、その指揮下にある。
さらに言えば、そもそも軍事的な意味合いで言えば明治以降、北海道の「軍都」といえば決して札幌ではなく、長きに渡り旭川であり続けた。
その一つの例が、「北海道護国神社」だ。
ご存知の通り、我が国には各都道府県に一つ、郷土の英霊をお祀りする護国神社が建立されている。
その中で、例外的に北海道だけは3つのお社が建立されているが、都道府県の名前、すなわち「北海道護国神社」の名前を冠しているのは、旭川駐屯地の目の前にある護国神社となっている。
その他に建立されているお社のお名前は、「札幌護国神社」であり、「函館護国神社」だ。
もちろん、郷土の英霊をお祀りするお社に上も下もないが、それでも都道府県の名前を冠する護國神社がここ旭川に建立をされたのは、長きに渡りここが、我が国の「北鎮の防人」であったことを示しているといって良いだろう。
明治の時代から常に、ロシアの脅威に対し、風雪に立ち向かい我が国の国境を守ってきた防人たちの誇りが、ここにある。
だからこそ今も、第2師団は「北鎮師団」と呼ばれ、旭川だけでなく北海道の人の生活に溶け込み、受け入れられ、我が国の国防に大きな責任を担い続けている。
そして陸自の幹部にとっても、ここ旭川で指揮官に着任することは、非常な栄誉であり続けた。
そのような歴史にも思いを馳せると、その頂点とも言って良い第2師団長とは、どういうポジションであるのか。
森下が担う責任の重さと名誉を、ご理解頂けるのではないだろうか。
ぜひ、そんな意味合いでもこの、32期組1選抜の陸将の活躍に期待をしてもらいたいと願っている。
では、そんな栄誉あるポストを務める森下とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳しく、その経歴を見ていきたい。
31期のエース竹本陸幕副長と前田7師団長の後任を一人でやったって言うのは、ある意味で凄いと思いました。当然御本人は「与えられた任務」を淡々とこなしたに過ぎないと思いますが・・・
そう考えると、本当に凄いことですね。
陸幕で、主要な部長級ポストを2つ歴任されるというのも、本当に凄いことだと思います。
経歴としては優秀だと思いますが現場経験の少なさは否めないと感じました。
2師団長ですけど
陸上自衛隊がんばれ。
退官した有望だった某陸将は、毎日無事を祈って神社に参拝していたと聞く。彼が辞めた途端、大事件続発だが、武運長久、運も実力のうちだとの噂もあるが、そんなことを言っている場合ではない。
最後の砦である、陸自に踏ん張ってもらいたい。