徳永勝彦は昭和44年10月2日生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第36期(機械)の卒業で幹候73期、出身職種は普通科か施設科であることは間違いないのだが、いずれか判明しない。
平成29年8月(2017年8月) 第2施設団長・陸将補
前職は陸上幕僚監部装備計画部装備計画課長であった。
なお、第2施設団長としての指導方針は以下の通り。
【統率方針】和
(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式Webサイト「みちのく29年度2月号」)
2018年6月現在、第2施設団長を務める徳永だ。
第2施設団は東北方面隊隷下、船岡駐屯地に司令部を置き、岩手、福島、秋田の各駐屯地に部隊を展開する東北地方の施設部隊となる。
率直に言って近年、その施設団長職にはエース級の幹部が投入されてこなかった、という印象があったが、徳永の投入はその印象を大きく変えた。
言うまでもなく、徳永自信が36期の絶対エースだからだ。
自衛官の充足率が低迷し、また防衛予算は大きく削られる不遇の時代が続いている。
それでいて南西方面の安全保障環境は厳しく、自衛官の負担は増すばかりだが、このような環境の中にあって陸上自衛隊は2018年現在、各地の諸部隊を機動戦力化して戦力の集中を企図する部隊編成を進めているのはご存知のとおりだ。
このような環境にあっては、想定される有事が北方であっても西方であっても、全国に所在する全ての部隊が有事即応の体制を整える必要がある。
より具体的に言うと、四国や東北に所在する部隊をどのように機動展開するのか、といったことが有事対応の成否を分けるということだ。
そして、日露戦争の時代からその精強さと武勇を謳われ続けてきた、東北の強兵である。
これら戦力を使いこなさないことは国家的損失であり、また何よりも、東北地方の諸部隊で高い士気と練度を維持する精鋭に対し、礼を失することでもある。
そのような意味からも、徳永の第2施設団長着任には、2018年現在の安全保障環境と新しい時代の防衛構想が影響したように思えてならない。
ぜひ徳永には、その豊富な経験と36期を代表するエースとして、この第2施設団から新しい時代にふさわしい防衛力の整備を進めてもらうことを期待したい。
なおその徳永。
将官に昇ったこともあるのだろう、その視線は非常に厳しく強面で、いかにも陸自のエースと言った雰囲気だが、実はこれで居て笑顔はとてもチャーミングだ。
まだ3等陸佐で30代前半だった若い頃、PKO活動の一環でゴラン高原の第18次派遣輸送隊長として赴いた経験があるが、若い頃の写真は更に、凛々しくも親しみやすい笑顔を見せる。
大組織を背負い、大きな責任を任されるというのはきっとこういうことなのだろう。
年季を積むごとにその身にまとう雰囲気は重厚さを増し、そして陸将補となった今は近寄りがたい雰囲気すら感じさせる程になった。
そう言った意味で、自衛隊幹部のプロ意識の高さには改めて驚かされる事が多く、敬意を禁じえないことばかりだ。
では次に、その徳永の歩んできたキャリアについてより細かく見てみたい。
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