【退役】武藤茂樹(むとう・しげき)|第28期・航空総隊司令官

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武藤茂樹(むとう・しげき)は昭和36年12月生まれ、群馬県出身の航空自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候74期、職種は飛行だ。

F-15戦闘機のパイロットであり、TACネームはトニーである。

令和元年8月23日(2019年8月23日) 航空総隊司令官・空将のポストを最後に制服を置くことが決まった。

前職は航空総隊副司令官であった。 

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

夏の将官人事は、世代交代の時期だ。

1選抜(昇任1番乗り)の、まだ若き40代の幹部が同期を代表して、最初の将官(将補)に昇る時期でもある。

もちろん、将補・将には定員があるので、昇任した幹部の数だけ、退役する幹部がいるということでもある。

そして私(管理人)にとって、退役する幹部をお見送りする記事を書くのは、物書きとして一番力が入る大仕事だ。

毎回大いなる緊張と気合いで取り組んでいるが、2019年夏の将官人事の最初の記事は、この男から取り組みたかった。

我が国の安全保障環境がもっとも厳しかった時代に、もっとも厳しい現場で指揮を執り続けた、武藤茂樹(第28期)である。

 

武藤は本当に、その自衛官人生において、常にタフな現場に身を置き続けた。

F-15戦闘機パイロットとして初めて任務を背負ったのが、まだまだ冷戦の残り香がある昭和63年6月の、第2航空団201飛行隊(千歳)である。

我が国にとって、シャレにならない強大な「敵」の正面に立ち、日夜スクランブルで空に上がり続ける20代を過ごした。

その後、順調に昇任を続ける中で、平成18年3月にはイラク戦争後の間もない現地に渡り、復興支援空輸計画部長を務めるなど存在感を発揮。

そして平成28年、自衛隊史上に残るであろう大仕事、すなわち南西航空混成団の南西航空方面隊への格上げを司令(官)として指揮し、我が国の国防を盤石なものとする任務を成し遂げた。

 

この時期は、中国人民解放軍による我が国領空・領海への侵犯意図がもっとも色濃く現れた時期でもあった。

当然のことながら、スクランブルも急増し、南西航空混成団・南西航空方面隊はその対応に追われ続けたわけだが、航空自衛隊は増加し続ける中国の驚異に対抗するため、南西方面の防備を増強する。

その現場指揮を執り、体制移行を成し遂げたのが武藤であった。

そしてその後職として航空総隊副司令官に着任すると、平成30年8月には航空総隊司令官に昇り、名実ともに我が国の国防を担い続けた。

そんな男が間もなく、令和元年の8月23日に、35年にわたり奉職した自衛隊を去る。

ぜひ改めて、その最後の活躍に注目してもらいたいと思う。

 

いつものフレーズで恐縮だが、一般人の誰も、武藤のことなど知らないだろう。

厳しい安全保障環境の中で、南西航空混成団を南西航空方面隊に格上げする大仕事を成し遂げたことも知らないはずだ。

だからこそ、当ブログを読んでくださっている変わり者(?)の皆さんには、改めて武藤の活躍に思いを馳せてほしいと願っている。

イケメンということとも併せて、2019年夏の退役人事では、最初にご紹介したかった。

いつものことながら、暑苦しい記事になってしまったことを、お詫びしたい。

 

武藤空将、本当に長い間お疲れさまでした、ありがとうございました。

空将が成し遂げた多くのお仕事は、自衛隊を応援する一人ひとりの国民の記憶に残り、そして記録にも残り続けるでしょう。

その崇高なお志と人生に、そして何よりも、空将のご活躍を支え続けたご家族の皆様に、心からの敬意と感謝を申し上げます。

本当にお疲れさまでした。 ありがとうございました。

(2019年8月15日 最終更新)

 

◆以下、2018年12月までに更新した記事

 

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2018年12月現在、航空総隊司令官の要職を務める武藤だ。

航空総隊は、その名前から戦闘機などの航空機部隊を統率する組織と誤解をされるかも知れないが、高射部隊や管制部隊をもその隷下に置き、我が国の航空戦闘の中枢を担う。

航空戦闘に必要な部隊を一元的に指揮する組織と考えたほうが、わかりやすいだろう。

また有事の際には、海上自衛隊のイージス艦などを含めたBMD(Ballistic Missile Defence:対弾道ミサイル防衛システム)網の統合司令官を務めることも定められており、その責任は極めて重く、国民からの期待は非常に大きい。

 

これだけの要職に着任する武藤のことだ。

その経歴は非常に充実しており、その全てが我が国の安全保障に直結すると言っても良いポストばかりであったが、敢えてここでは、武藤の新人時代のことを取り上げてみたいと思う。

武藤のパイロットとしての初任地は、千歳に所在する第2航空団であった。

冷戦の残り香がまだ色濃く感じられる昭和63年、F-15戦闘機を任された20代の若者は、非常な緊張感の中で対ソ防衛の最前線に立ち、日夜スクランブルで空に上がり続ける。

千歳における最前線での激務は4年に及んだが、武藤はこの過酷な任務の中にあって、いつの間にか美しい令夫人とめぐり逢い結婚し、子供まで授かるという、公私に渡るタフさを発揮した。

(本当にタフである・・・。)

そのため後年、人生で思い出深い地の一つとして第2航空団201飛行隊時代の千歳を上げているインタビュー記事を目にしたことがあるが、それももっともであろう。

なお、その思い出の地である第2航空団では、平成22年7月から司令として指揮を執り、再び北の防人として我が国の平和と安全に担う活躍を見せた。

 

また武藤は、平成28年12月から南西航空混成団司令を務め、29年7月に航空方面隊に格上げされ南西航空方面隊となった際の、初代司令官を務めている。

そしてこの時期の沖縄方面はまさに、準戦場とも言える、非常に緊張が高まった空域となった。

2016年度、航空自衛隊が行ったスクランブルの回数は過去最多を数え、実に1168回。

そしてその7割は南西航空方面隊、つまり武藤の管轄空域であり、侵略の意図を強める中国の脅威は極めて現実的になっている。

そのような南西方面の防衛を任され、全く隙を見せず、我が国の空の安全を守り抜いた武藤が航空総隊司令官に昇任するのは、ある意味で当然の流れだったと言ってよいだろう。

常に国防の最前線で戦い続けた男は今、我が国の航空戦力のほぼ全てを指揮統率し、日本と世界の平和のために体を張り続けている。

 

では、そんな要職を歴任し続けている武藤とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

以下、少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

 

その武藤が航空自衛隊に入隊したのは昭和59年3月。

1等空佐に昇ったのが平成15年7月、空将補に昇ったのが21年7月だったので、共に28期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。

空将に昇ったのが27年3月であり、本来であれば人事の慣例なら、28期組の1選抜の空将は27年夏であったはずだ。

人事の考課期間は満たしているものの、慣例と異なり4ヶ月ほど早く空将に昇任している理由は正直、何故かわからない・・・。

いずれにせよ、武藤が28期を代表する最高幹部として、その自衛官人生を駆け抜けてきたことだけは間違いなさそうである。

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

そしてその、F-15パイロットとしての初任地は冷戦の緊張感がまだまだ残る千歳の第2航空団201飛行隊。

その後、小松の第6航空団を経て、飛行隊長ポストは第7航空団の第305飛行隊で務めた。

団司令は、初任地である千歳の第2航空団で着任している。

その間、米空軍大学の国家戦略修士課程に留学し、また中央(統合幕僚監部、航空幕僚監部)では、空幕の装備体系課の装備体系第1班長、次期戦闘機企画室長、人事教育部長などの要職を歴任。

同様に統幕では、運用第1課長、運用部長など、3自衛隊統合作戦の中核となる非常に重い責任を担い、任務を全うした。

そして平成29年7月、南西航空方面隊司令官に着任し、我が国の最前線の防衛を全うした後に航空総隊副司令官、30年8月から航空総隊司令官としてさらに厳しい任務を続けている。

28期のみならず、我が国を代表する最高幹部の一人であると言ってよいだろう。

 

では最後に、その武藤と同期である28期組の空将人事の動向、すなわち次期航空幕僚長候補たちの顔ぶれを見てみたい。

2018年12月現在、航空幕僚長は27期組の丸茂吉成(第27期)が務めている。

28期組はその1期下ということになるが、まさに我が国の国防の中で、最も重い責任を担っている最高幹部たちと言っても良い空将たちは、以下の通りだ。

 

武藤茂樹(第28期)・航空総隊司令官(2015年3月)

荒木文博(第28期)・航空幕僚副長(2015年8月)

山田真史(第28期)・航空支援集団司令官(2015年12月)

※肩書はいずれも2018年12月現在。( )は空将昇任時期。

 

以上のようになっており、3空将の全員が後職で直接、航空幕僚長に昇る可能性があるポストを務めている。

これら3人は誰が航空幕僚長に昇っても決してサプライズではなく、そしてそれだけの見識と能力に溢れた、我が国を代表する空の男たちと言って良いだろう。

 

武藤についても、その経験、知見、人脈や責任を果たしてきたポストの全てが、航空自衛隊のトップに昇るにふさわしい、我が国になくてはならない自衛官であることを示している。

航空幕僚長の椅子に座るかどうかは、こればかりは努力だけで及ぶところではなく様々な運、めぐり合わせの結果であり確たることはわからないか、まずは総隊司令官としての、武藤の動向に注目をしていきたい。

そしてその活躍からは目を離さず、これからも応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:航空自衛隊知念分屯基地公式Webサイト

◆武藤茂樹(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 航空自衛隊入隊(第28期)
63年6月 第2航空団201飛行隊(千歳)

平成
3年8月 第13飛行教育団(芦屋)
5年10月 第6航空団(小松)
6年8月 幹部学校指揮幕僚課程(市ヶ谷)
7年1月 3等空佐
7年8月 中部航空方面隊司令部(入間)
10年3月 航空幕僚監部運用課(檜町)
11年1月 2等空佐
12年2月 第7航空団第305飛行隊長(百里)
14年3月 航空幕僚監部運用課(市ヶ谷)
15年6月 米空軍大学国家戦略修士課程(米国アラバマ州)
15年7月 1等空佐
16年7月 航空幕僚監部装備体系課装備体系第1班長(市ヶ谷)
18年3月 イラク復興支援空輸計画部長
18年7月 航空幕僚監部防衛課防衛調整官(市ヶ谷)
19年7月 統合幕僚監部運用第1課長(市ヶ谷)
21年7月 航空幕僚監部次期戦闘機企画室長(市ヶ谷) 空将補
22年7月 第2航空団司令兼ねて千歳基地司令(千歳)
23年8月 防衛大学校防衛学教育学群長(横須賀)
25年8月 航空幕僚監部人事教育部長(市ヶ谷)
27年3月 空将
27年4月 統合幕僚監部運用部長(市ヶ谷)
28年12月 南西航空混成団司令(那覇)
29年7月 南西航空方面隊司令官(那覇)
29年12月 航空総隊副司令官(横田)
30年8月 航空総隊司令官(横田)

令和
元年8月23日 航空総隊司令官のポストを最後に勇退

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1件のコメント

武藤茂樹 航空総隊司令官を最後に勇退しましたが、もう1つ上幕僚長にはなれなかったのでしょうか。
もう空は飛ばないのですか?
今、何をされてるのですか?

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