奥村晶一は昭和37年10月21日生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。
陸上自衛隊少年工科学校に昭和53年4月入学なので、生徒第24期出身の幹部ということになる。
職種は高射特科。
平成30年8月(2018年8月) 陸上自衛隊高射学校付・1等陸佐
前職は自衛隊栃木地方協力本部長であった。
(画像提供:自衛隊栃木地方協力本部公式Webサイト)
(画像提供:自衛隊栃木地方協力本部公式ツイッター)
2018年8月現在、陸上自衛隊高射学校付の奥村だ。
昭和53年4月の少年工科学校入校以来、実に40年に渡り、自衛官を務めてきた超ベテランの幹部である。
そして奥村の生年月日は昭和37年10月21日であり、2018年10月21日で56歳を迎える。
つまり、この記事をポストしてから2ヶ月後には、定年退官を迎える見込みであるということだ。
前職である自衛隊栃木地方協力本部長の要職に着任したのは、2016年8月。
それからきっちりと2年間務め上げ、2018年8月に後任に譲り高射学校付となったが、この2ヶ月は、退官前の学校付きということなのだろう。
どれだけ功績があり、我が国の平和と安全に貢献し続けてきた自衛官であっても、退官の人事が一般に公表されるのは将官からとなっている。
そのため、いつのまにかご退職をされてしまい、気が付けない幹部自衛官がとても多いのだが、奥村についてはしっかりとその動向を把握できて、とてもラッキーであった。
奥村の長きに渡った自衛官生活と合わせて、退官前のこのタイミングでその活躍を振り返れること、とても光栄であり、早速ご紹介したい。
さて繰り返しになるが、奥村が陸上自衛隊に入隊したのは昭和53年4月。
当時の少年工科学校は、現在の高等工科学校と違い、入校と共に階級を持つ自衛官に任官したために、15歳の頃から本職の自衛官であったことになる。
お父様も元自衛官であり、少年工科学校には父の影響を受けて進んでいるようだ。
時代背景を考えると、当時の少年工科学校はきっと とんでもない悪たれ とても元気の良い少年たちの集まりであったのだろう。
同期生には、高等工科学校第4代校長の小和瀬一(第31期相当)、第5代校長の滝澤博文(第29期)などもいるが、将官に昇らなかった24期組は、2018年度中で全員が定年退官することになる。
寂しいことではあるが、階級章を外した悪童たちは40年前に戻り、当時の人間関係のままで美味い酒をまた、楽しむことになるのではないだろうか。
余談だが、少年工科学校出身の自衛官はやはり、特に同期同士の横の繋がりが非常に強いと聞く。
それもそのはずであり、15歳にして親元を離れ 拉致監禁 全寮制の生活である。
上級生は理不尽にぶん殴り(今はそんなことありません!多分)、自由もなくなかなか娯楽もない。
そんな中で、まだ大人になりきれていない少年たちの何よりの楽しみであり心の拠り所は、やはり同期生だ。
生徒出身者はそれこそ、下士官から将官まで幅広い階層で活躍をするが、何歳になっても、同期が集まると階級を忘れた付き合いが始まるそうである。
奥村もきっと、そんな同期に恵まれた生徒時代を過ごし、また自衛官として活躍してきたのではないだろうか。
(そしてきっと、理不尽にいじめた下級生の一人や二人はいるに違いない・・・)
では次に、おそらく退官が近いと思われるそんな奥村であるが、これまでどのような現場で活躍し、我が国の平和に貢献してきた幹部なのか。
少し詳細に、その足跡を見ていきたい。
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