岩﨑英俊(海上自衛隊第2術科学校長・海将補)|第31期・海上自衛隊

岩崎英俊(いわさき・ひでとし)は昭和39年10月生まれ、山口県出身の海上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候は第38期だ。

平成30年3月(2018年3月) 第2術科学校長・海将補

前職は呉地方総監部幕僚長であった。

なお、第2術科学校長としての指導方針は以下の通り。

【指導方針】分を守り、分を尽くす

(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト

2019年2月現在、海上自衛隊の発祥の地・横須賀の田浦に所在する第2術科学校で、学校長を務める岩﨑だ。

第2術科学校は、艦艇の要諦とも言うべき機関、電機、応急工作(ダメコン)といった技術に加え、情報、電子機器操作、さらには外国語といった専門教育を行うことを目的としている。

また変わったところでは、退職予定者の再就職を支援する目的で職業訓練や通信教育も行うなど、海上自衛隊の主要教育を担う非常に重要な組織だ。

指揮官として現場を知り尽くし、また幕僚としても要職を歴任してきた岩﨑にとって、まさに適任と言うべきポストである。

その岩﨑について。

これまでのキャリアを概観すると、そのいずれもが印象深い補職ばかりだが、敢えて上げるとすれば平成27年12月から務めた、練習艦隊司令官のポストだろうか。

ご存知のように練習艦隊司令官は、海上自衛隊の幹部候補生たちが江田島を卒業し、3尉に任官したその足で練習艦に乗り込み、練習航海へと出発する艦隊の指揮官だ。

出発に際しては、幹部候補生学校長のみならず時に海上幕僚長も桟橋に立ち、帽振れでこの、我が国の宝とも言うべきヒヨコ幹部を見送る。

昭和33年(1958年)から始まった伝統なので、もちろん岩﨑もかつて、幹部候補生学校を卒業し初級幹部として、期待と不安の入り混じった思いで呉の桟橋を旅立ったはずだ。

それから30年の時を経て、今度は自らが、そのヒヨコ幹部を率いて世界の海を回る経験をすることになったのだから、感慨もひとしおであったのではないだろうか。

ちなみに練習航海は、年によってその時の国際情勢を反映し寄港地が異なるが、岩﨑の時はまずパールハーバーに寄港しそのままパナマ運河を抜け、大西洋を欧州に向けて東進。

仏英独といった主要国に加え、リトアニア、ベルギー、イタリアなどにも寄港する。

さらに地中海ではマルタ、アフリカでは海賊対処部隊の拠点であるジブチにも立ち寄り、アジアではスリランカ、フィリピンに寄港して日本に帰ってきた。

平成28年5月に出向し、11月に帰港するという、半年に及ぶ世界一周の練習航海であった。

なお練習艦隊司令官は、海将補の着任するポストとして唯一「司令官」の呼称が着く補職だ。

もちろん、初級幹部を率いて世界を回り、その教育と育成に大きな責任を担うというやり甲斐と併せ、海将補の階級にある幹部にとって、もっとも栄誉あるポストの一つとされている。

岩﨑もまた、熱い誇りを胸に、この職責を全うしたのではないだろうか。

では、そんな要職を歴任してきた岩﨑とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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