池田頼昭(いけだ・よりあき)は昭和41年1月生まれ、岡山県津山市出身の陸上自衛官。
防衛大学校第32期の卒業で幹候69期、出身職種は普通科だ。
平成29年8月(2017年8月) 第10師団副師団長兼守山駐屯地司令・陸将補
前職は東部方面総監部幕僚副長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第10師団公式Webサイト 師団だより第73号)
2019年6月現在、名古屋市に司令部を置き、東海から北陸までを広く担当する第10師団の副師団長を務める池田だ。
第1師団や第3師団のように、「政経中枢師団」とは位置づけられていないものの、お膝元は大都市の名古屋市。
そのため、CQB(Close Quarters Battle:近接戦闘)の訓練を欠かさない第35普通科連隊、生物、化学、核兵器などによる攻撃に備える第10特殊武器防護隊など、都市防衛にも非常な強みを発揮する。
その副師団長として任務を果たす池田も、軽武装・高機動力の部隊を率いる事に非常な実績を積んできた陸将補である。
将官に昇るような自衛官なので、そのキャリアはどれも印象深いものばかりだが、あえて一つ挙げるのであれば、平成12年1月の3等陸佐であった時に任された第9次ゴラン高原派遣輸送隊の隊長職であろうか。
この任務は、イスラエルとシリアの戦争を終結させ、両国の軍事力を引き離すことを任務とするUNDOF(国際連合兵力引き離し監視軍)の後方支援として、我が国が1996年から17年間参加したものだ。
具体的には、UNDOFの活動に必要な物資などを、イスラエル、シリア、レバノンの港湾、空港、市場などから各宿営地まで輸送し、また必要に応じ道路の補修などを行い、国連軍の兵站を担った。
いうまでもなく、一触即発の戦場跡地でもあり、また標高も2800mの山岳地帯を抜けるなど、その任務は非常に過酷なものであったので、隊長職は心身ともに極限まで追い詰められるものである。
そんなこともあるのだろう。
このゴラン高原派遣輸送隊の隊長職は3等陸佐が任されるポストであったが、その後このポストを務めた者の多くが、将官にまで昇っている。
初代は「ひげの隊長」で有名な現・参議院議員の佐藤正久(第27期)。
2代目は、2017年12月に第3師団長・陸将で勇退となった角南良児(第27期)。
3代目は、2019年6月現在で西部方面総監を務める本松敬史(第29期)など、錚々たる顔ぶれの幹部たちである。
みな、まだ30代半ばの若き士官であった頃にこの重責を担い、我が国の国益と世界平和のために貢献した。
そして心身ともに非常なプレッシャーの掛かる過酷な任務をやり遂げ、後に最高幹部まで駆け上がったエリートばかりだ。
そして池田自身も、その9代目となる輸送隊長であり、大役をやりきって無事に帰国。
その後も成果を上げ続け、やはり将官に昇り副師団長として活躍している。
我が国の国益にも大いに貢献をした、特筆すべき実績を誇る幹部自衛官である。
では、そんな池田とは一体どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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