中谷一雄(なかたに・かずお)は昭和41年4月29日生まれ、福岡県北九州市出身の陸上自衛官。
昭和60年3月に陸上自衛隊に入隊しているために、高校を卒業しすぐに陸上自衛隊に入隊。
その後に部内幹部として昇任したと思われるが、幹候(幹部候補生学校)の期別は判明しない。
職種は機甲科だ。
平成29年12月(2017年12月) 第13偵察隊長兼ねて出雲駐屯地司令・2等陸佐
前職は第14旅団司令部であった。
なお第13偵察隊長としての指導方針は以下の通り。
【統率方針】
任務の完遂
【偵察隊長要望事項】
機甲科の偵察部隊として、生き残って任務を完遂する術を皆で徹底的に考え、そして実行せよ。
【駐屯地司令要望事項】
郷土に根ざす駐屯地
(画像提供:陸上自衛隊出雲駐屯地公式Webサイト 広報誌いずも227、229号)
2019年9月現在、第13偵察隊長兼ねて出雲駐屯地司令を務める中谷だ。
なお先述のように、中谷については高校を卒業しすぐに陸自に入隊したであろうと思われるものの、幹部候補生学校の期別がわからない。
生年月日だけで言うと、昭和41年生まれは防衛大学校第33期(幹候70期)相当の幹部ということになるが、部内幹部なのでその比較は余り意味がないだろう。
いずれにせよ、曹(士)から積み上げた筋金入りの幹部であり、現場を知り尽くす指揮官で、我が国の国防を支える非常に頼もしい幹部だ。
その中谷が指揮を執るのが、島根県出雲市に所在する第13偵察隊。
年に一度、神様が集まるとされる出雲神社のお膝元にあり、その駐屯地広報誌「いずも」では10月を、しっかりと「神無月」ではなく「神在月」と表記する力の入れようだ。
2等陸佐だが、自衛隊の幹部にとって非常に名誉なポストとされる指揮官職であり駐屯地司令の補職にあり、その与えられた任務は文字通り偵察任務である。
言うまでもなく偵察隊は、僅かな戦力で敵の最前線に近接あるいは潜入し、その動向や企図を探り出し、時に威力偵察(攻撃を伴う偵察活動)を行う命知らずの部隊だ。
敵に発見されれば確実に命を落とす極めて過酷な任務であり、その幹部曹士の士気は高く、また練度も同様に非常に高い。
どれほどにレーダーや偵察衛星が発達をしても、陸上に展開する敵性勢力の実際の動向や企図を把握できるのは、同じ水平面から観察ができる偵察隊のみだ。
文字通り、その命がけの任務を完遂する責任感があってこそ、初めて実力組織はその機能を発揮することができる。
陸上自衛隊の戦闘部隊の中にあっても、国民の誇りというべき非常に頼もしい部隊であると言ってよいだろう。
そのようなこともあるのであろうか、上記2枚めの写真は平成30年4月に、前・統合幕僚長の河野克俊(第21期)自らが、出雲駐屯地の部隊視察に訪れた際の記念写真だ。
河野の左手に座るのが中谷であり、河野からみて右手に2人目が、当時、中部方面総監であっや岸川公彦(第28期)。
その右手に座る幹部も2つ星の陸将補だが、あるいは当時、第13旅団長であった鈴木直栄(第30期)であろうか。
もしかして、中部方面総監部の幕僚副長である松永康則(第34期)であればと、探し求めていた画像を見つけたと小躍りで喜んだのだが。。
(どなたか判別できるようでしたら、お教え下さいませm(_ _)m)
いずれにせよ、統幕長も直接視察に訪れるほどに、第13偵察隊と中谷の活躍には、自衛隊内外の期待が集まる非常な精鋭集団である。
交通の便はあまり良くないが、もしよければ駐屯地の諸行事などに足を運び、幹部曹士に直接の声援を送ってもらえれば幸いだ。
では、そのような精鋭集団を率いる中谷とは、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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