末継智久(すえつぐ・ともひさ)|第39期・第12施設群長

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末継智久(すえつぐ・ともひさ)は昭和47年12月21日生まれ、山口県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第39期の卒業で幹候76期、職種は施設科だ。

 

平成30年8月(2018年8月) 第12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令・1等陸佐

前職は陸上幕僚監部防衛部施設科建設班長であった。

なお第12施設群長としての指導方針は以下の通り。

 

【統率方針】

「バランス」

 

【要望事項】

「任務・目的の意識」

「バランスの良い練度の保持」

「健全な心、体、家族」

 

【駐屯地司令要望事項】

「地域との共存」

「駐屯地機能の継続的発揮」

「歴史の継承」

(画像提供:陸上自衛隊第9施設大隊公式Webサイト 広報誌まべち第140号)

(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト

2019年9月現在、第12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令を務める末継だ。

岩見沢駐屯地は札幌の北東、夕張の北に位置する北海道内陸部で、寒さ厳しい自然の中にあって第12施設群の精鋭を率いている。

 

施設科と言えば、もちろんその役割は演習場整備や施設の整備・設営、陣地の構築や架橋、さらには障害排除など、戦闘部隊が有利に戦いを進めるためのあらゆる支援をおこなうことにある。

その一方で、近年では国際貢献活動における活躍が目立ち、我が国の高い土木技術力が施設科の幹部曹士を通じ、世界平和にも大いに貢献しているという非常に誇り高い活躍がある。

そして末継も、入隊からわずか6年目の平成13年には、イスラエルとシリアの停戦を監視する国連の活動、UNDOFに参加して中東・ゴラン高原に赴いている。

第12次ゴラン高原派遣輸送隊の一員としての赴任だ。

 

その任務は主に、

・各宿営地や港湾・空港間における輸送業務

・輸送に必要となる道路など各種インフラの整備及び補修

・山岳地帯における除雪作業

・その他、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の活動に必要な後方支援業務

といったところだが、もちろん一般に想像される平時・平地での輸送及び土木工事と言った生ぬるいものではない。

そもそもが、イスラエルと中東諸国が、国連軍が間に入らないと戦争を始めるような地域のど真ん中である。

その任務は非常な危険が伴うだけでなく、山岳地帯では2800m級の道路で除雪作業を行うなど、非常な困難を極めた。

治安だけでなく、自然環境にも命の危険を晒す非常に厳しい任務に、私達の自衛隊は赴いていたわけだが、この国際貢献活動はもっと特筆されるべきもののはずだ。

実際に、平成25年にこの任務が打ち切られ、撤収が決まった際の理由は、治安の悪化による。

 

幹部に任官しまだ6年の20代であった若き末継も、いきなりこの困難な任務を任され現地で汗を流したわけだが、施設科の「駆け出し」幹部として、これ以上はない経験になったのではないだろうか。

そしてその後、末継は職種部隊の指揮官としてはもちろん、施設学校や陸幕でも要職を重ねていくが、きっとこの時の経験が、我が国のその後のPKO活動にも大きな財産となったはずである。

国益に資する、施設科の重要な任務を最前線で担い続けてきた高級幹部の一人と言ってよいだろう。

 

ではそんな末継とはこれまで、具体的にどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

 

その末継が陸上自衛隊に入隊したのは平成7年3月。

1等陸佐に昇ったのが26年1月だったので、39期組1選抜(1番乗り)となるスピード出世だ。

その原隊は北海道帯広の第5施設大隊であり、広大な演習場に恵まれた北部方面隊で、厳しく揉まれる初級幹部として自衛官生活のスタートを切った。

(画像提供:陸上自衛隊第9施設大隊公式Webサイト 広報誌まべち第140号)

(画像提供:陸上自衛隊岩見沢駐屯地公式Webサイト

その後すぐに、第12次ゴラン高原派遣輸送隊の一員として現地に赴いているのは先述の通りである。

そして帰国後、同じ第5施設大隊で、多くの幹部自衛官が思い出の補職として語ることが多い中隊長ポストを経験。

大隊長は、青森県八戸の第9施設大隊で務めた。

その間、施設学校教育部勤務、中央(陸上幕僚監部)では教育訓練部教育訓練計画課、人事部人事計画課などでキャリアを重ね、1等陸佐に昇任。

28年8月からは陸上幕僚監部で防衛部施設科の建設班長の要職に着任し、その後職として30年8月、第12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令に上番している。

豊富な現場経験をもとに、その知見を組織づくりにも活かすポストでも活躍をし続けてきた、とても頼もしい次のトップリーダー候補の一人と言ってよいだろう。

 

ちなみに、末継が第12次ゴラン高原派遣輸送隊の一員として現地にあった時の隊長は、当時3佐であった現陸将補の、佐々木俊哉(第32期)

派遣輸送隊の構成は、1回あたり40名余りの規模であったので、きっとこのイケメン陸将補とも長い付き合いになっているのではないだろうか。

さらに1代前の隊長は、2019年9月現在で西部方面混成団長を務める古庄信二(第33期)

古庄については、隊長として現地に赴く際に、当時防衛副長官にあった石破茂氏から隊旗を受け取る写真が手元にあるのだが・・・なかなかすごい。。

<before>

(画像提供:陸上自衛隊公式Webサイト ※リンク切れ)

<after>


(画像提供:陸上自衛隊中央即応集団公式Webサイト

若さもさることながら、どうも古庄は余りヒゲが似合わないようである・・・。

 

では最後に、その末継と同期である39期組の人事の動向について・・・見てみたいところなのだが、39期組は2020年夏の将官人事で最初の陸将補が選抜される年次に当たる。

そのため2019年9月現在では、1選抜でも1等陸佐であり、その数は簡単にご紹介できるものではないので割愛したいと思う。

 

いずれにせよ、施設科を代表する幹部として、2020年代の我が国の安全保障を中心になって担うことが確実な末継である。

その活躍には今後とも注目を続け、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊第9施設大隊公式Webサイト 広報誌まべち第141号)

◆末継智久(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
7年3月 陸上自衛隊入隊(第39期)
年 月 第5施設大隊(北海道:帯広)
13年8月 第12次ゴラン高原派遣輸送隊
年 月 第5施設大隊中隊長(北海道:帯広)
年 月 施設学校教育部(茨城県:勝田)
年 月 指揮幕僚課程学生(東京都:目黒)
年 月 防衛大学校訓練部次席指導教官(神奈川県:横須賀)
年 月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課(東京都:市ヶ谷)
年 月 陸上幕僚監部人事部人事計画課(東京都:市ヶ谷)
年 月 第9施設大隊長兼ねて第9師団司令部施設課長(青森県:八戸)
26年1月 1等陸佐
26年8月 幹部高級課程学生(東京都:目黒)
27年3月 統合高級課程学生(東京都:目黒)
27年8月 統合幕僚学校教育課第2教官室学校教官(東京都:目黒)
28年8月 陸上幕僚監部防衛部施設科建設班長(東京都:市ヶ谷)
30年8月 第12施設群長兼ねて岩見沢駐屯地司令(北海道:岩見沢)

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