藤岡登志樹(ふじおか・としき)|第31期・富士学校副校長

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藤岡登志樹は昭和39年11月18日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 陸上自衛隊富士学校副校長・陸将補

平成30年3月(2018年3月) 兼ねて陸上自衛隊富士学校諸職種協同センター長

前職は第1師団副師団長であった。


(画像提供:陸上自衛隊別府駐屯地公式Webサイト 広報誌扇山第164号※PDF注意)


(画像提供:陸上自衛隊第1師団公式Webサイト

2019年6月現在、陸上自衛隊富士学校副校長兼ねて富士学校諸職種協同センター長を務める藤岡だ。

2018年3月から本格的に始まった陸自大改革において、その中心的役割を果たしていくことが求められる、要職中の要職に着任したと言っても良い最高幹部である。

前職は「頭号師団」、第1師団において我が国の政経の中枢を護る、その副師団長として手腕を発揮した。

 

なぜ、その富士学校と諸職種協同センターが陸自大改革を支えるほどの組織であるのか。

それは、この改革の主眼とするところが即応性と機動力の強化であり、なおかつ諸職種混成部隊による、初動での敵の企図の完全な撃破にあるからだ。

従来は、北部方面隊が対ソ連(ロシア)戦を想定し備えていた、重火力を中心とした正面戦というのが、我が国の戦闘プランであった。

それを昨今の安全保障環境の変化に合わせ、西部方面隊を主戦場に定め、我が国の離島に侵攻しようとする敵性勢力にフォーカスし部隊と装備の再編を行ったのが、陸自大改革の狙いだ。

具体的には、各地に所在する重火力の野戦特科は、その多くが廃止あるいは統合され、方面隊の直下に集約される再編が進められている。

そしてそのうちの一部は、機甲科とともに普通科連隊と合流し、「即応機動連隊」として、常時混成の部隊からなる実力組織へと変貌しつつある。

この際、機甲科は主力戦車を廃し、公道を時速100kmで移動可能な機動戦闘車へと換装。

野戦特科は、FH-70のような大火力の重装備から、被輸送性に優れた迫撃砲へと換装し、機動戦闘車や普通科とともに即応性と機動性を飛躍的に高め、あらゆる有事に即応できる態勢を整えた。

そして北部方面隊の諸部隊であっても、有事の際には西方(西部方面隊)に直ちに駆けつけられるべく、その組織改編と運用の見直し、厳しい訓練が実施されているというのが、2019年6月現在の状況である。

 

そしてその諸職種混成部隊による戦いをプランニングし、訓練し、幹部教育を行うのが、まさにこの、藤岡がセンター長を務める富士学校諸職種協同センターだ。

その初代センター長として藤岡は、我が国の新しい戦い方を確立し、そのために必要な訓練と教育を実施することが求められる、極めて重要なポストを命じられたことになる。

言い換えればこれは、この先数十年の我が国の平和と安全を護る最前線が、藤岡に託されたと言っても良いだろう。

その責任は極めて重く、国民からの期待は非常に大きい。

 

では、そんな重責を担う藤岡とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部自衛官なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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6件のコメント

コメントありがとうございました。
次の更新の際に、アップデートしますね!
ありがとうございます^^

江村先輩と一緒に昨年の練馬の記念行事でご一緒したYTS28期行澤です。1つ情報提供をさせてください。陸将補人事の岩名誠一将補は生徒27期です。新潟県出身で生徒からそのまま防大に行かれました。同じ教育隊の1期先輩でした。また、本年10月に28期の定年対象期の学校招待行事があるのですがいらしていただけるのですか?ご連絡いただけると幸いです。

行澤様

コメントが何故か、スパム扱いされてゴミ箱に入ってました・・・
気が付かずに失礼しました。

情報提供ありがとうございます!
確か、陸幕副長が第11旅団長であった時に、副旅団長をお務めでしたね!
江村さんから、「仲良くやってるんじゃないかな~」というお話を聞いた覚えがあります。

また28期のお誘い、ありがとうございます!
大変光栄です。
先のことですのでわかりませんが、行けるようであればぜひ、ご一緒させて頂きたいと思います!

藤岡陸将補からずれてしまいますが、今月の異動で岩名陸将補が母校の高等工科学校(少年工科学校)の校長として帰ってくることになります。

ですね!
11旅団の副旅団長時代に、確か
旅団長 竹本陸将補(当時)
副旅団長 岩名1佐(当時)
という少工コンビであったと記憶していますが、当時からいつか、このポストにこられるような気がしていました。
楽しみです!

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