藤岡登志樹(ふじおか・としき)|第31期・富士学校副校長

その藤岡が陸上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。

原隊(初任地)は、日露戦争で勇名を馳せた我が国の最精鋭部隊の一つ、弘前に所在する第39普通科連隊だ。

1等陸佐に昇ったのが平成18年1月だったので、31期組1選抜(1番乗り)でのスピード昇任であった。


(画像提供:陸上自衛隊富士学校公式Webサイト


(画像提供:陸上自衛隊富士学校公式Webサイト 広報誌岳友30年4月号※PDF注意)

その後、職種部隊では、普通科教導連隊を経て中隊長ポストを多賀城に所在する第38普通科連隊で経験。

さらに連隊長ポストは、別府に所在する第41普通科連隊で上番した。

中央(陸上幕僚監部)では、防衛課や装備計画課の企画班長などで要職を歴任。

そして平成26年8月に陸将補に昇任すると、中部方面総監部幕僚副長として方面隊を支え、第1師団の副師団長を経て、富士学校副校長兼ねて陸上自衛隊富士学校諸職種協同センター長に着任した。

その経歴はまさに普通科のエキスパートであり、陸自大改革を現場で支える指揮官として、これ以上は無いキャリアの持ち主と言ってよいだろう。

非常に頼もしい、日本の未来を託してなお安心できる最高幹部の一人である。

ところでその藤岡には、連隊長時代のエピソードがある。

藤岡は別府の第41普通科連隊長のポストにある時に、未曾有の国難である東日本大震災への災派を経験した。

そして震災直後から直ちに連隊を率いて現地入りし、被災者のために身を呈した献身的な活動を展開している。

その活動は震災直後の3月14日から5月14日までの2ヶ月に渡り、捜索、生活支援(給水、給食、入浴、衛生)物流支援、慰問演奏などを幅広く実施。

そしてこの際に藤岡は、被災地での活動においては

・被災者の前でものを食べない

・被災者の前で座らない

・飲酒は厳禁、発覚の場合は厳罰とする

・笑わない、笑い声を出さない

・被災地に商店や自販機があっても絶対に購入してはならない

など、非常に厳しい活動方針を策定し隷下部隊に下令し、厳守させた。

あれほど過酷な活動の中で、なおこのようにストイックな要望事項を部下に求めた藤岡も凄いと思うが、それを厳守し、最後まで献身的な活動を行った第41普通科連隊もまた、私達国民は記憶に留めるべきだ。

日本国民の間では、あの震災を機にして一気に自衛隊と自衛官に対する評価が一変したが、その全ては、このような指揮官と一人ひとりの自衛官が勝ち取ったものと言ってよいだろう。

そしてそのような評価にも気を緩すことなく、さらにストイックに組織と自らを律する自衛隊と自衛官の姿には、国民の一人として心打たれ、ただただ感謝の言葉しか出てこない思いだ。

あれからもう8年以上になるが、折に付け被災地での自衛官の活動は、このようにして記憶と記録に残し続けていきたいと願っている。

なお後日談だが、震災直後に第41普通科連隊が支援に入ったのは宮城県の気仙沼市だった。

そしてこの際の鬼気迫る連隊の活躍に対し深い感謝の気持ちを表すため、後日、気仙沼市長が遠く別府まで、駐屯地創立54周年記念日行事に出席し、藤岡と連隊に感謝状を贈呈している。

幹部曹士以下にとって非常な名誉であったことは疑いがないが、それよりも、と言ってはなんだが、やはり嬉しかったのはそのご家族であったかも知れない。

任務とはいえ、自分の配偶者や家族が、あの未曾有の震災に赴くのはやはり大きな不安があっただろう。

そして無事に帰還し、地元の市長が遠く九州まで感謝の意を表しに足を運んでくれたとなれば、共に戦っていた家族もまた、その苦労が報われたのではないだろうか。

震災という悲惨な出来事ではあったが、これもまた地域と地域、自衛官と地域を繋ぐ一つのきっかけになったはずだ。

では最後に、その藤岡と同期である31期組の人事の動向について見てみたい。

31期組は、2018年夏の将官人事でまさに、1選抜の陸将が選抜されたばかりの年次にあたる。

そして2019年6月現在では、以下の幹部たちがその任にあたっている。

竹本竜司(第31期)・第1師団長(2018年8月)

沖邑佳彦(第31期)・第4師団長(2018年8月)

前田忠男(第31期)・第7師団長(2018年8月)

原田智総(第31期)・陸上総隊司令部幕僚長(2019年4月)

蛭川利幸(第31期)・第6師団長(2019年4月)

※肩書はいずれも2019年6月現在。( )は陸将昇任時期。

以上のような状況になっており、まずはこの5名が31期組1選抜として名乗りを上げた形だ。

いずれも近い将来の陸上幕僚長候補として遜色のない将星ばかりであり、その活躍がとても楽しみである。

藤岡については、諸職種共同という新しい組織運営の確立に尽力し、大きな成果を残している幹部だ。

あるいは今後も、その運営面での重責を担う陸上総隊などでも、要職を重ねていくことになるのではないだろうか。

陸自大改革において、非常に大きな責任を担い、果たしている藤岡のご紹介であった。

その活躍には今後とも注目し、そして応援していきたい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。


(画像提供:陸上自衛隊富士学校公式Webサイト 広報誌岳友30年4月号※PDF注意)

◆藤岡登志樹(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊(第31期)
63年3月 第39普通科連隊(弘前)

平成
4年3月 普通科教導連隊(滝ヶ原)
5年10月 装備開発実験隊(富士)
10年1月 3等陸佐
11年8月 第38普通科連隊 第2中隊長(多賀城)
13年7月 2等陸佐
16年3月 陸上幕僚監部防衛課
18年1月 1等陸佐
18年8月 幹部学校付
19年8月 陸上幕僚監部装計課(装備計画課)企画班長
21年7月 第41普通科連隊長(別府)
23年12月 北部方面総監部防衛部長(札幌)
26年8月 中部方面総監部幕僚副長(伊丹) 陸将補
28年3月 第1師団副師団長
29年8月 陸上自衛隊富士学校副校長
30年3月 兼ねて陸上自衛隊富士学校諸職種協同センター長

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