山本雅史(やまもと・まさし)は昭和48年6月15日生まれ、石川県出身の陸上自衛官。
大阪大学工学部を平成8年3月に卒業し陸上自衛隊に入隊しているので、防衛大学校第40期相当の幹候77期ということになる。
職種は機甲科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第71戦車連隊長・1等陸佐
前職は第7師団司令部第3部長であった。
なお、第71戦車連隊長としての指導方針は以下の通り。
【要望事項】
「戦闘力の向上」
「自らよく考えよ」
(画像提供:陸上自衛隊第7師団公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第71戦車連隊公式Webサイト)
2019年5月現在、「鉄牛」の尊称を持つ第71戦車連隊で、連隊長を務める山本だ。
71戦車連隊は北海道の精鋭・第7機甲師団の隷下にあり、北千歳駐屯地に所在する。
なお鉄牛の名前だが、牛は古来、
「少々のことにはいささかの動揺も見せないが、一度怒れば荒熊も突き倒す勇猛ぶりを見せる」
ことに由来し、また内に力を秘めながらも平和を愛し、泰然自若にあるべきであるという戦車兵の理想像を表している。
その精鋭部隊を率いる山本だが、意外にも出身は国立大学のトップエリートである大阪大学であり、工学部の卒業だ。
大学卒業後は大学院に進むつもりだったそうだが、周囲の就職活動に励む同期たちを見る内に、
「今しかできないことをやりたい → そうだ!戦車兵の指揮官になろう!」
という、全く良くわからないヒラメキで自衛隊幹部候補試験を受験。
見事に合格し、念願の機甲科に配属された入隊の経緯を持つ。
そんな山本だが、これまでのキャリアでもっとも印象深い任務と言えば、やはりアメリカ防衛駐在官のポストだろうか。
ご存知のように、防衛駐在官という仕事はただでさえ、ごく一握りの幹部自衛官のみが任されるトップエリートの仕事だ。
国によって異なるが、概ね2佐~将補の階級にあるもの1名ないしは2名が3年間の任期で各国や代表部に配置され、それぞれの任地で「軍人外交」に励む。
その中でもやはりアメリカの位置づけは別格であり、実に6名もの防衛駐在官が常駐している。
もちろん6名という数字は最大で米国のみであり、2番めに多い国でも3名で、インド、中国、オーストラリア、ロシア、韓国の5カ国のみである。
あとは先述のように、2名ないしは1名なので、どれほど米国が特別であり、またこの米国防衛駐在官に任命されることが栄誉なことか、おわかり頂けるのではないだろうか。
また実際に米国防衛駐在官を経験した幹部には、将官はもちろん陸将にも昇り、その後国家の要職を担うことになる幹部が多い。
現役の陸自で言えば、例えば2019年5月現在で防衛大学校幹事を務める納冨中(第29期)、それに陸上総隊幕僚長を務める原田智総(第31期)が、米国防衛駐在官経験者だ。
もちろん、ともに階級は陸将である。
山本自身も、米国防衛駐在官に赴任する直前、ローマに所在するNATO国防大学上級幹部課程に留学し、その後職として米国に渡った経緯がある。
また米国時代にはアメリカ政府関係者、軍高官に多くのパイプを形成し情報収集に務め、また相互理解に奔走する活躍を見せている。
疑いようもなく将官に昇り、さらに重い責任を担っていく最高幹部になるのではないだろうか。
ぜひ、今もっとも注目してほしい1等陸佐の一人である。
では、そんな山本とはこれまで具体的に、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見てみたい。
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