湯浅秀樹(海上自衛隊幹部学校長・海将)|第30期・海上自衛隊

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湯浅秀樹(ゆあさ・ひでき)は昭和39年2月生まれ、徳島県出身の海上自衛官。

防衛大学第30期(電気工学)の卒業で幹候37期、出身職種は水上艦艇(船務)だ。

 

平成29年12月(2017年12月) 海上自衛隊幹部学校長・海将

前職は掃海隊群司令であった。

なお、海上自衛隊幹部学校長としての指導方針は以下の通り。

 

【勤務方針】

『未来を創る』


(画像提供:海上自衛隊掃海隊群公式Webサイト

2018年10月現在、海上自衛隊幹部学校長を務める湯浅だ。

幹部学校は、言うまでもなく近い将来の国防を担う最高幹部の教育にあたる組織ではあるが、それと同等かあるいはそれ以上に、研究機関として、あるいは各国軍人との外交の場として機能する。

そのために、海上自衛官としてあらゆる知見を備えているだけでなく、優れた人格、魅力的な人間性など、あらゆる事に優れていることが求められるポストだ。

そして湯浅は、そのポストにふさわしい最高幹部であると言ってよいだろう。

個人的にも、海自の中で好きな幹部自衛官の名前を挙げろと言われたらすぐに出てくる、とても敬愛する最高幹部だ。

 

その湯浅。

エリートらしい非常に充実したキャリアを歩んできた自衛官人生であったが、敢えて印象的なポストを一つ挙げるとすれば、前職の掃海隊群司令職であろうか。

近年、その役割を大きく変え、そして我が国の国防を左右するほどに存在感を増している掃海隊群は2016年、護衛艦隊隷下にあった第1輸送隊をその隷下に収めた。

湯浅が司令に着任して4ヶ月後となる、2016年7月のことだ。

そして第1輸送隊は、輸送艦おおすみ、しもきた、くにさきからなる艦隊であり、それぞれLCAC(エアクッション艇)を搭載し、主力戦車の揚陸任務を担うことも可能になっている。

つまり、これら第1輸送隊は、輸送艦という名前から想像される任務ではなく、強襲揚陸艦としての運用も想定しており、事実、掃海隊群はこの編成替えをもって、海上自衛隊で唯一の「水陸両用戦部隊」として扱われることになった。

 

掃海艇で進路を啓開し、陸上自衛隊の水陸機動団を載せた輸送隊で島嶼部に強襲揚陸する。

中国人民解放軍の脅威に対応することを具体的に意識した部隊であり、この任務を最初に任された湯浅に対する期待の大きさを、物語るものであると言えるだろう。

なお湯浅だが、そのキャリアを見ると急に畑違いの掃海隊群司令に着任したように見えるかもしれない。

しかしその歴任してきたポストだけでなく、参加してきた訓練を見ると、湯浅がこのポストに着任したことは必然であることは、間違いないと言えるだろう。

 

例えば、2011年から2年間務めた第2護衛隊群司令時代の国際演習。

湯浅はこの頃、隷下艦隊を率いて米国に赴き、島嶼侵攻対処を想定した大規模な実働統合訓練(ドーン・ブリッツ13)に参加し、陸海空統合司令部の訓練統制官を務めている。

陸海空自衛隊に加え、米海兵隊と共に敵性勢力が上陸した島しょ部を奪還するというシナリオであり、まさに我が国が直面する脅威に対する本格的な訓練だ。

この訓練に参加したのは、第2護衛隊群と西普連(陸上自衛隊西部方面普通科連隊、水陸機動団の前身)、それに米海兵隊。

島嶼部への着上陸及び敵の無力化を企図して様々な想定で訓練を行ったが、中でも特筆するべきは、海上自衛隊の艦船として初めてとなるオスプレイの離着艦訓練が、輸送艦しもきたの艦上で行われたことだ。

もちろん、しもきたに搭載されているLCACで西普連の隊員を輸送し、敵の最前線である島嶼部に強襲揚陸する訓練も行われた。

 

このような運用構想を考えると、第1輸送隊は明らかに、輸送隊というよりも「上陸母艦」もしくは「洋上の統合司令部」として機能すると言ってよいだろう。

湯浅は、このような訓練の統制官を経験した上で掃海隊群司令に着任し、そしてそのタイミングで第1輸送隊は、掃海隊群の隷下に編入されたということになる。

これは、南西島嶼部有事がいつ起きてもおかしくない今の情勢で、奪還作戦の立案と訓練の実施を湯浅に期待することを意味する人事であり、組織再編であった。

そして、その運用構想をしっかりと固め、後進をしっかりと育てる事も併せて託されたことを意味しており、湯浅への期待が極めて大きいことが窺える配置となっている。

湯浅はそれほどまでに大きい仕事をこなし、その後職として、幹部学校長に着任した。

 

では、そんな大きな仕事を任され続けてきた湯浅とは、これまでどのような自衛官人生を歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

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