白川訓通(しらかわ・のりみち)は昭和45年7月生まれ、宮崎県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第37期の卒業で幹候74期、出身職種は普通科だ。
防衛大学校ではラグビー部に所属した、防大伝統の元ラガーマンである。
平成30年8月(2018年8月) 第5施設団長兼ねて小郡駐屯地司令・陸将補
前職は統合幕僚監部運用部運用第2課長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第5施設団公式Webサイト 広報誌えんじより)
(画像提供:陸上自衛隊第5施設団公式Webサイト)
2019年6月現在、福岡県の小郡駐屯地に所在する第5施設団長を務める白川だ。
第5施設団は西部方面隊隷下にあり、我が国の最前線を守る施設科部隊として訓練支援、施設・設備設営支援などの他、災害派遣等でも中心的な役割を果たす。
2018年夏の将官人事で陸将補に昇任したばかりであり、将官として最初のポストでこの要職を預かる。
37期1選抜(1番乗り)で将補に昇任した最高幹部であり、そのキャリアは非常に充実したエリートらしい経歴となっているが、中でも印象的な活躍はやはり、第20次ゴラン高原派遣輸送隊長のポストだろうか。
この輸送隊は、ゴラン高原での国連PKO活動を後方支援する目的で、1996年から2013年まで組織され、派遣された部隊だ。
イラクとシリアの国境に位置するゴラン高原で、両国の兵力を引き離し地域の平和と安定に貢献するUNDOF(国連兵力引き離し監視軍)の活動として展開された。
派遣されたのは、40~50名ほどの小部隊であることもありその隊長職は3等陸佐。
白川も当時、3等陸佐として現地に赴任しているが、言うまでもなくこの地では、激しい戦闘が行われていた両国の間に体を入れることが求められる極めて厳しい任務を行うことになる。
そのためその指揮官たる3等陸佐には、歴代の顔ぶれを見ても同期の1選抜クラスであるエリートが充てられ、万全の体制で臨んでいたことが窺える隊長名が並ぶ。
ほんの一例を挙げていくと、初代の派遣輸送隊長は、2018年11月現在で参議院議員を務める、「ひげの隊長」こと佐藤正久(第27期)。
第2代が、2017年12月に第3師団長のポストを最後に退役した角南良児(第27期)。
以降も、第3代が2018年11月現在で統合幕僚副長を務める本松敬史(第29期)と言った名前があり、また白川の前任である前第5施設団長(現・関西補給処長)の秋葉瑞穂(第30期)も第8代で務めているなど、凄い名前が並ぶ。
キリがないので全てのご紹介は省略させていただきたいが、要するに2018年11月現在で将官もしくは将官として退役した最高幹部ばかりの名前が並んでいるということだ。
それほどまでに、「こいつにしか任せられない」と特に名前が挙がり、隊長に抜擢された幹部ばかりということだが、白川も若き3等陸佐の時代からそういうことだったのだろう。
そしてこの重要なポストを任され、国際平和と我が国の国益に大いに貢献し、また隷下隊員の安全も守り抜いて、無事に任務を完遂し帰国を果たしている。
そんな大きな仕事をやり抜いて、その後も活躍を続け将官に昇った幹部ということだ。
では、そんなトップエリートたる白川とは、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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