堀井泰蔵(ほりい・たいぞう)は昭和39年12月生まれ、秋田県出身の陸上自衛官。
二松学舎大学(国文)を卒業し、昭和63年3月の陸上自衛隊入隊であることから、防衛大学校第32期相当ということになる。
幹候は69期で出身職種は普通科だ。
平成29年8月(2017年8月) 第5旅団長・陸将補
前職は中部方面総監部幕僚副長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第5旅団公式Webサイト 広報誌ひがし北海道だより29年8月号)
(画像提供:陸上自衛隊古河駐屯地公式Webサイト)
2019年6月現在、北海道帯広に所在し、広く道東全域をその担当地域に収める第5旅団長を務める堀井だ。
一般大学の卒業生でありながら、32期組の1選抜で出世を続ける期待の幹部である。
同期のトップエリートにふさわしく、非常に充実したキャリアを駆け上がってきたが、間もなく陸将に昇り、さらに重い責任を担っていくことは間違いがないだろう。
さてその掘井だが、実はこの第5旅団長着任で、自衛隊史上で事実上初となる、凄いことを成し遂げている。
それは、師団クラスの戦闘単位(師団長、旅団長、混成団長)のトップとして初めて、2代続けての非防大出身者となったことだ。
なお堀井の前任は東大出身の英才で、2017年8月に、第5旅団長のポストを最後に退役となった正木幸夫(第28期相当)。
その後任として、二松学舎大学卒業生である堀井が旅団長に着任したのだから、一般大学を卒業し幹部自衛官になろうとする学生にとっては、大きな励みと言える出来事になったと言えそうだ。
なお、先程【事実上初】と書かせて頂いたが、事実上と書くということは、全く0であったわけではないということだ。
自衛隊マニアであればご存知だと思うが、かつて1980年代には、「将」の多くを一般大学卒業生が占めていた時期がある。
というのも、日本軍出身で、そのまま自衛隊の幹部となった世代は、終戦時点でもっとも若い世代でも20代前半。
その世代が自衛隊で最高幹部でいられたのは、どう頑張っても1980年代前半までだった。
そして防衛大学校第1期生が自衛隊に入隊したのは1957年3月であり、第1期生が将に昇るのは、最も早くとも1980年代後半だ。
つまり1980年代には、日本軍を経験していない一般大学の卒業生だけで最高幹部を務めなければならない、10年近い期間があったということである。
さすがにこの時期は、陸海空の幕僚長も一般大学卒業生が着任しており、3自衛隊の最高幹部も、一般大学卒業生ばかりという時代が続いた。
しかし防衛大学校第1期生が将に昇ってから以降は、一般大学卒業生から陸海空幕僚長が誕生していないことはもちろん、陸自で言えば師団長、旅団長、混成団長クラスに着任するケースもレアになってきた。
そんな中で、この第5旅団では、東大出身の正木から、二松学舎大出身の堀井に旅団長ポストが受け継がれたことになる。
「事実上」史上初の人事であり、一般大学卒業であっても、努力と結果次第で最高幹部に昇れることを、この2人の将官が証明してみせた形だ。
後に続く若い世代にも、非常な励みになる活躍であると言ってよいだろう。
では、そんな凄いことを成し遂げてしまった堀井とは、これまでどんなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
このサイトをご覧の方は既にお気づきかと思いますが、堀井陸将は現在第8師団長ですが、前任者は現北部方面総監の吉田陸将です。ここも2代続いて一般大学出身です。ある意味新記録(?)達成ではないでしょうか?
帯広第5旅団では東大卒の正木さん
二松学舎大学卒の堀井さん
東大卒の小瀬さんと、3期一般大学卒が続きましたね
そういう人事が続くポストってありますよね
大阪地本長は少年工科学校出身者が続いてます
おおおお!言われてみればそうですね!
次の更新のネタができました(笑)
ありがとうございます!