渡邊博史は昭和36年5月生まれ、東京都出身の航空自衛官。
防衛大学校第28期の卒業で幹候第74期、出身職種は判明しないが、その経歴から要撃管制ではないかと思われる。
平成30年3月、南西航空方面隊副司令官の補職を最後に、退役となった。
前職は南西航空混成団副司令官であった。
おそらくまだ退役にならないだろうと、記事にするのを後回しにしていた渡邊の退役だったが、2018年3月27日にその日を迎えてしまった。
要撃管制の現場で多く指揮を執り、最後の補職となったのは航空自衛隊のみならず、我が国の安全保障環境におけるもっとも厳しい最前線である南西航空方面隊副司令官。
なおかつ、南西航空混成団が2017年7月、歴史的な昇格を果たし、南西航空方面隊に新編された際の副司令官であり、混成団を方面隊に再編する大役をこなすなど、要職を歴任し続けた自衛官人生だった。
なお、その渡邊が南西航空混成団の副司令官に着任する前の補職は第5術科学校長。
第5術科学校は主として要撃管制や航空管制の術科を教える学校であり、出身職種の畑においては、行き着くところまで行き着いたポストだ。
そのエキスパートとして積み上げたものを後進に授け、多くの後輩たちを指導・育成し、10年後、20年後における我が国の空の安全を担っていく幹部曹士も多く育てた上での、やり切った上での退役となった。
2018年3月の将官人事は、28期組から陸海空で多くの功労者たちが自衛隊を去る、一際寂しい異動になった。
せめてもの慰めは、3月27日は全国的に快晴の真っ青な空になったことだろうか。
特に渡邊を見送る南西方面の空は、空だけでなく海までも蒼く染まり、渡邊の新たな出発を祝福してくれたのではないだろうか。
そして時代は、間もなく27期組の幕僚長から28期組以降に引き継がれようとしている。
2018年3月現在で、陸上幕僚長を務めるのは山崎幸二(第27期)。
航空幕僚長を務めるのも丸茂吉成(第27期)で、共に27期組だ。
海上幕僚長は村川豊(第25期)だが、遅くとも2018年12月の人事で、27期組の山下万喜(第27期)が海上幕僚長に着任するだろう。
最速の場合、2018年5月に、統合幕僚長の河野克俊(第21期)の延長された任期切れの際に再延長がないとすれば、後任が誰であれ、その後任である幕僚長には28期組が着任する可能性がある。
そして航空自衛隊の場合、丸茂の跡を継ぐ可能性があるのは28期~29期組と言うことが考えられるが、渡邊と同期である28期組からは、おそらく下記のような空将がその候補に上がっているはずだ。
武藤茂樹(第28期)・航空総隊副司令官(2015年3月)
荒木文博(第28期)・航空幕僚副長(2015年7月)
山田真史(第28期)・航空支援集団司令官(2015年12月)
※肩書はいずれも2018年3月現在。( )は空将昇任時期。
いずれ劣らぬ名将たちばかりだが、彼らもまた、頂点に昇ることがなければ最速の場合、1年以内に自衛隊を去ることになるかも知れない。
どれほど優秀で他に得難い自衛官であっても、軍事組織では強制的な新陳代謝を図る必要があるのは、我が国のみならず世界各国の軍隊がその経験則から学んだ、避けがたい合理性だ。
自衛官一人ひとりを見た際には寂しい感傷を禁じ得ないが、どうか退役後の自衛官と接することがあれば、国民の一人ひとりがその労をねぎらってほしい。
そして渡邊空将補も、長い間ほんとうにお疲れ様でした。
ありがとうございました。
その第二の人生が、さらに充実した栄誉あるものとなりますことを、心からお祈りしています。
◆渡邊博史(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
59年3月 航空自衛隊入隊(第28期)
平成
7年1月 3等空佐
11年1月 2等空佐
16年1月 1等空佐
16年8月 北部警戒管制団第18警戒隊長
18年4月 航空幕僚監部運用支援・情報部運用支援課演習・検閲班長
19年4月 北部防空管制群司令
20年12月 航空幕僚監部総務部総務課広報室長
23年4月 航空幕僚監部人事教育部援護業務課長
25年3月 第5術科学校長 空将補
27年12月 南西航空混成団副司令
29年7月 南西航空方面隊副司令官
30年3月 退役
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 南西航空方面隊公式Webサイト(各種行事写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/swadf/second/third/katsudou.html
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