【退役】和田良作(わだ・りょうさく)|第28期・陸上自衛隊

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和田良作は昭和36年5月生まれ、和歌山県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は需品科だ。

 

平成28年3月(2016年3月) 陸上自衛隊需品学校長・陸将補のポストを最後に退役となった。

前職は宮城地方協力本部長であった。

 

需品科のエキスパートとして、我が国の多くの危機に際し、大活躍をし続けてきた和田。

その和田が、長い陸上自衛官生活に別れを告げ、退役した。

退役日は2018年3月27日。

これほど目立たないにも関わらず、これほどまでに我が国の平和と安全に貢献する職種は、そうあるものではないだろう。

本当にお疲れ様でした。

 

需品科は、震災や自然災害が発生するたびに被災地に赴き、被災者の生活を支援するあらゆる活動を最前線で行う。

メディアを賑わす、仮設のお風呂などを見たことがない人はいないと思うが、あのようなお風呂の設営、温かい食事の準備、衛生環境を守るための洗濯に至るまで、需品科は絶望の底にある人達に常に静かに寄り添い、私達を力づけてきた。

 

もちろん和田は、阪神大震災でも東日本大震災でも被災地に入り、需品科の幹部としてあらゆる手配を一手に引き受けた。

中でも東日本大震災の際には、「1日あたり15万人分の食料を速やかに集め、提供せよ」という中央からの命令を受け、その実行責任者に着任。

そして命令通り速やかに、3ヶ月分の”兵站”を確保する働きを見せ、震災復興に大いに貢献することとなった。

 

東日本震災では、あらゆる方面で自衛官たちの活躍は本当にすごかった。

その献身的な活動は神々しさすらあり、私達日本人は決して、あの未曾有の大災害に際し、自衛隊と自衛官が見せてくれた活躍を忘れることはないだろう。

そしてその「裏方」として、和田のような需品科の幹部曹士が活躍してくれていたことにも、ぜひ注目してもらいたい。

自衛隊が自衛隊であるために、和田を始めとした後方支援職種の存在は、我が国に無くてはならない存在だ。

 

長い間、本当にお疲れ様でした。

和田陸将補の日本と日本国民に対する長年の貢献に、心からの敬意を申し上げます。

そしてその第二の人生も、より充実した素晴らしいものとなりますように。

 

【以上、2018年3月28日加筆】

※以下は2017年12月11日までに記してきた記事であり、最新の情報を反映していない。

 

 

需品科のエキスパートにして、その道の頂点とも言える需品学校長を務める和田だ。

需品学校は千葉県の松戸駐屯地に所在し、需品科の幹部曹士に必要な教育を行う他、需品科以外の隊員でも、補給や整備に関する技能が要求される隊員の教育を請け負う。

 

なお元々、和田は自衛官になるつもりではなく、学校の教員になるべく一般大学に進むことを考えていたが、授業料がかからない上に給料がもらえることに魅力を感じて防衛大学校を受験。

見事合格し入学して初めて、国防に対する使命感ややり甲斐に強く惹かれ、自衛官になったという経緯がある。

そんな動機で受験をした18歳の青年がおよそ40年後、陸将補という最高幹部にまで昇っているのだから、人生はどうなるものかわからない。

 

そんな和田の需品科幹部としての人生は、常に「有事」とともにあった。

まだ30代の若手幹部で、関西補給処勤務時代には阪神大震災が発生。

関東大震災以来となるわが国最大級の都市直下型地震に際し、自衛隊の救援活動に必要な物資を必死になってかき集めた経験を持つ。

さらに東日本大震災だ。

当時陸上幕僚監部需品課長であった和田は、自衛隊員と被災者支援分に相当する15万人分の食料を調達する責任者に着任。

1日に15万人分の糧食を突然確保するなど、正気の沙汰ではない。

陸上自衛隊が総力戦を行うに等しい兵站を当然要求されたわけだが、和田はここでも慌てず騒がず、民間に協力を求めながら必要な糧食をなんと3ヶ月分、きっちりと調達してみせる成果を挙げた。

 

需品科にとっては、災派(災害派遣)も実戦と同様の有事だ。

その為、常に大規模な需品調達に関する備えができていたということなのだと思うが、それにしても余りにも見事な手際であり、兵站の整備であった。

 

考えても見て欲しい。

10万人近い自衛官が被災地入りし、なおかつそれよりも多い被災者を支援しようというのだから、糧食や兵站の確保ができていなければ、あのようにスムーズな救援活動が展開できていたわけがない。

余りにも見事過ぎて意識すらしなかった人も多いかもしれないが、自衛隊の活躍の裏には、和田やその隷下にある需品科各隊員の大活躍があったことにも、ぜひ注目して欲しい。

 

 

さて、その和田のキャリアだが、自衛隊に入隊したのが昭和59年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成15年7月なので、28期1選抜から半年遅れということになる。

その後、需品科の現場や陸幕で需品系の要職を歴任する中で東日本震災が発生。

その際の功績なども評価され、平成28年3月に陸将補に昇った。

13年間の1等陸佐生活という分厚い現場経験に支えられた、非常に頼もしい最高幹部である。

 

おそらく後職として、2018年春の定時異動のタイミングでいずれかの補給処長に栄転になると思われるが、28期組と言えば、第36代陸上幕僚長・山崎幸二(第27期)の後任を出すことになるのはほぼ確実な世代だ。

その時期は恐らく2019年夏頃と思われ、和田も慣例に従い、このタイミングで早期退職となるだろう。

つまり、需品学校長の後職でいずれかの補給処長を務め、その職を最後に長年親しんだ自衛隊の制服を置くことになるかもしれない、ということになる。

 

なおその際、28期組から陸幕長に選ばれる可能性がある者は以下の最高幹部になっている。

 

田浦正人(第28期)・北部方面総監 機甲科出身

住田和明(第28期)・東部方面総監 高射特科出身

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 施設科出身

湯浅悟郎(第28期)・西部方面総監 普通科出身

岩谷要(第28期)・陸上自衛隊研究本部長 施設科出身

※肩書はいずれも2017年12月現在

 

この5名の中から誰が選ばれることになるのか。

その予想は下記のコラムで詳述しているので、ここでは割愛させて欲しい。

【コラム】次期陸上幕僚長人事予想|第37代・2017年10月予想

 

決して目立つことがないが、我が国が危機に直面した時には常に、裏方で想像を絶する働きを見せ、成果を挙げ続けてきた和田である。

自衛隊にはこんなに凄い職種があり、そして幹部がいることも、ぜひ知って欲しい。

 

◆和田良作(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 陸上自衛隊入隊

平成
7年1月 3等陸佐
10年7月 2等陸佐
15年7月 1等陸佐
15年8月 幹部学校教官
16年3月 幹部学校付(米国留学)
17年4月 陸上幕僚監部需品課総括班長
19年4月 第2後方支援連隊長
20年8月 補給統制本部需品部長
22年3月 陸上幕僚監部需品課長
25年3月 北部方面総監部装備部長
27年3月 宮城地方協力本部長
28年3月 需品学校長 陸将補
30年3月 退役

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省 宮城地方協力本部公式Webサイト(セミナー写真及び仕事初画像)

http://www.mod.go.jp/pco/miyagi/pcokiji/kiji182/kiji182.html

http://www.mod.go.jp/pco/miyagi/pcokiji/kiji185/kiji185.html

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2件のコメント

需品科の記事が比較的少なめに感じるのでできたら他の需品科の方も紹介してほしいです。

需品科に興味があるのでぜひよろしくお願いします。

鷹様
コメントありがとうございました。
確かに、需品科幹部の記事は少ないですね。
一つには、需品科出身で将補以上に昇る人が余り多くないことと、現場でも、需品科の指揮官はWebサイトで自己紹介をしていないことが多いからかもしれません。
総じて言えることなのですが、裏方系の部署にはそもそも部隊のWebサイトも無いことが多く、私もとても寂しく思っています。
とはいえ、そこで諦めずに私もより多く、これら裏方で活躍する人たちの紹介を増やしていきたいと思います!
コメント、本当にありがとうございました。

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